嬢ちゃん。知っておるかえ? 「私の元から去りなさい」
古来、靴を贈ることは、斯様な意味を抱いておったそうじゃ。
故に、今も年寄りには靴を贈ることを躊躇う者もいると聞く。
しかしのう、ジンクスというのは容易く移ろうもの。
故に、――我輩とおぬしで、塗り替えてやろうではないか。
Character
闇夜で染め上げたかのよな漆黒の髪より覗くは柘榴石を彷彿とさせる艶美なる紅の双玉。どこか気品すら漂わせる男の声は見目と同様に艶を抱く一方で、奏でられる旋律は如何にも年寄り染みている。そして、また、いっそ近寄りがたさすら感じさせるミステリアスな外見の一方で、先述の柘榴石が擁く光は怜悧というより慈愛に満ちたものであることが多いだろう。多くの国を歩き、多くの者を見つめた視座は広く、見識深く、その在り方は円熟の域に達している。けれど、では完璧かと問われればその答えは否だろう。朔間零という存在には確かに缺陥がある。それは皮肉にも男自身が広い視座を得ようとしたが故の帰結──俯瞰力と分析力に長けたからこそ、男は盤上の全てに視線を行き渡らせ、そして迅速に解決までの最適解を見つけ出すことができた。そうして、その最適解をその身一つで解決する実力も持していた。かくして、その裡に博愛の精神を抱く男は確かに多くの者を救ってきたのだろう。けれど、灯台下暗し。男は多くをいとおしく想う一方で、特定個人より向けられる男自身への想いを汲み取ることに疎かった。故にこそ男の愛はひどく歪に──名を付けるならば庇護や愛玩と捉えられるやもしれぬものに──映ったことだろう。けれど、風薫る時候、異国の地にて男は新たなる認識を得て、回帰を果たす。さて、人間となり自らへの「愛」を求めるようになった男はこの先、何に化けるか。
Sample role
(夢ノ咲学院より羽搏いて数か月──「学生」から「社会人」へと肩書を変えた男の日常は、端的に言えば多忙を極めていた。天高く金烏が坐す時間帯に気怠さを抱える体を叱責し活動を始めても、収録や打合せ等、ぎゅうぎゅうに敷き詰められたスケジュールを終えれば空は闇色に染められ、月が皓皓と輝く時刻に至っている。余暇らしい余暇は皆無に近しい日々。さりとて、男はそんな生活に確かな充足感を抱いていた。夜闇に誘う魔王なるキャッチフレーズを与えられながらも、その心にはほかのアイドル達同様に綺羅星の耀きが幾つも灯っていた。それには、長年に亘り積み重なり、縺れ、絡まった蟠りが解けたことも大きく起因していよう。ほかでもない愛する弟の言により、一族の願いを叶えることを改めて決したことも大きかろう。人間の朔間零と共に音楽を奏でたいと、純粋な感情を真っ直ぐに示してくれた後輩が、いつかちゃんと追いついてきてくれた時に、高らかに”UNDEAD”の咆哮を世界へ響かせる日を夢見、その為に邁進する日々が楽しくない訳がない。そうして、もう一つ──その輝きは、学園在籍時代より連綿と続いていたものでもあったが──これまで誰にも秘してきたものがある。)よもや我輩とあの子が共に壇上にのぼる日が来ようとはのう。しかも、それが「恋を纏う靴」がブランドのコンセプトとは。 縁は異なもの味なものというが、これは本当に……くっくっくっ。 年甲斐もなく胸が躍る心地じゃわい。(本日の予定をすべて熟し、寮への帰路の上。ふ、と車窓より空を見上げれば中天には柔らかな白銀の光が灯っていた。宵闇を切り裂く太陽が如き凄烈さはない。宵闇に寄り添い、そして時には夜と昼をつなぐ存在となる月の灯り。多くの人々の心を、時には魔物の心すら魅了したディアナの化身。その輝きを見つめるたび、男はひとりの少女の姿を脳裏に描く。)我輩は吸血鬼──夜を統べ、宵闇と共に生きるもの。そう定義し、あの子を翳らすやもしれぬと、この気持ちにも封をしておった訳じゃが、「人間」として生きることを選んだからには、そろそろこの感情とも向き合わねばならん頃なのかもしれんのう。(事務所を退勤する折に告げられた「新しい仕事」。SavneHAVという新たな靴のブランドのメインモデルへの抜擢──次いで告げられた「共演者」の名に男の心は熱を帯びた。それこそ、過日弟が紡いだとおり永きに亘り闇底を徘徊していた己たちが普通の人となることができるのであれば、朝暘の中に彼女と寄り添う未来も描けるのやもしれぬ。なんて、そんな夢見がちな思想に耽るほどに。「■■■」唇を閉ざしたまま、舌の上でその甘い響きを堪能する。月を眺める男の顔は、愛おしさに溢れていた。)