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(台本をよこせ。) |
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![]() 都築円佳 |
(現実って、なんだっけ。) (いつもと変わらぬ一日だった。彼が体調を崩していても皮肉なことに時間は止まったりなんかしなくて、彼の席を空白にしたまま火曜日五限の数学は訪れる。クラスメイトに宿題の答え合わせを求める気なんかもちろん起きるはずもなく、都築は余白の目立つノートを前に気もそぞろでその時間を過ごした。こんな日に限って数学教師は都築のことを当てるのだから、まったく神様も意地が悪いと思わざるを得ない。よりにもよって解けていない問題に当たったせいで授業中には恥をかいたが、いつもであればへこむであろうその出来事も、今日の都築にとってはとるに足らぬ事象の一つに過ぎなかった。なぜか。都築の心は、もっと大きな、別の関心事にすっかり向いていたためである。都築がいつもに増して上の空であったのは、決して彼が休みだからという理由だけではない。今日、検査結果が出る。彼は確かにそう言っていたはずだ。きちんと彼の幼馴染にも確認したので嘘ではないはず。何か大変な病気でなければいいという気持ちと、大変な病気だったらどうしようという不安とがないまぜになって、都築の心はすっかりかき乱されていた。来なくていいのにと叱られてしまいそうだが、どうしても、いてもたってもいられなくなって、都築は放課後、迷わず病院へと足を向ける。このお見舞いは「友人」の距離感でも許されるものだろうか、なんてほんのひとかけらの不安を持った状態で。――自主練習をサボって到着した病院の前で、少女は聞き覚えのある声に呼び止められた。「都築?」と紡がれた音に肩を跳ねさせ、振り返る。ばつの悪さは、好きな人のお見舞いに来ているという事実を隠したいがためである。)あっ……洋平、(必要以上に驚いた都築を見て、彼こそ驚いた顔をしながら、「今日は自主練しねえの?珍しい」と首を傾げた。声をかけてきたのは都築のクラスメイト、兼演劇部にて舞台をともに作る仲間である。実は小学校時代からの付き合いで、彼はもっと昔から演劇にのめりこんでいたという経歴も持つ。名前呼びは当時「山田」という名字が複数人いたための名残である。)いやあ、あはは。ていうか、洋平こそ、今日は風邪って言ってなかったっけ。大丈夫?(熱っぽいとこぼしていた友人の体を気遣えば、今度は彼も苦笑をこぼす。「まあ、一応。診察終わって薬もらたところ」と続ける彼の頬がほんのり赤いのはなぜだろうか。「都築は?どっか悪いのか?」と問いを重ねられ、再び都築の目が泳いだ。まあね、とあいまいな言葉ばかりを並べることしかできない。)まあ、大事なくてよかったよ。じゃあ、ゆっくり休んでね。それじゃあ、(ばいばい。そう言おうとした都築の言葉がさえぎられる。「あのさ、」立ち去ろうとした都築の手を掴んだ彼の瞳はいやに真剣だった。赤い頬にそんなに熱が高いのだろうか、なんて間抜けな思考を巡らせて――「都築が好きなんだけど」。唐突に発せられたその言葉の意味を理解するのに、数秒の時間を要した。)…………はい?(聞き返した音はさぞ間抜けに響いただろう。そこから先は山田の独壇場であった。バドミントンをしていた時からずっと都築を見ていたこと、志敗れた都築のことを心配していたこと。そうして、自分が夢中になっている演劇に目を向けてくれたのがうれしかったこと。新しくもたらされる情報は膨大で、まったく思考がついていかない。瞬き以外の返事ができていないというのに、言いたいことを言い切った彼は「返事は今じゃなくていいから、ほら俺今体調悪いし。おつかれ!」といい逃げよろしく都築に背を向け走っていった。いやいやいや、体調悪いなら走っちゃダメでしょ、なんて、余裕のないときには余計のないことばかり思い浮かぶものだ。)………えええ………?(正直、だれかに思いを寄せられるなんて経験はほとんどなくて、戸惑いが強い。うれしくないわけではない。けれど、どうしたって喜べないのは、都築の心がたったひとりに向いているからだろう。きちんと気持ちの整理ができたわけでは全くないが、今の都築にとっては彼の告白よりも大切なものがある。ごめんね洋平、と心の中で謝罪して、都築は病院へと足を踏み入れた。) (そして、絶望を知る。) ……目が宝石になっちゃうって、そんなの、……そんな馬鹿な話ないよねえ。(病院で、都築は結局彼を探すことができなかった。理由は簡単、彼を見つけるよりも前に、都築が彼を侵す病の全貌を知ってしまったからだ。わかったことは二つ。「彼には好きな人がいる」ということ。そして、「その恋が成就すれば、彼は一生バレーをすることができなくなる」ということ。家に帰るのも嫌で、闇に染まり始めた人気のない公園のブランコで一人、風に揺られている。そよそよと鼓膜をくすぐる風音は穏やかなのに、肌をなぜるそれは生ぬるくて気持ち悪い。湿気をはらんだその風は忌憚なくいって不快だった。心が詰まる。)………なんで、月島だったんだろう……。(この世の中に初恋に焦がれる人間なんかごまんといる。どうしてその中のたった一人、月島蛍という人間が選ばれたのだろうか。自分の心がナイフでずたずたに切り裂かれているかのように痛い。つらい。しんどい。じわりと瞳に涙がにじんだ。)……つきしまの好きな人、って、だれなんだろう……。(唇といっしょに声が震えた。都築円佳は知っている。自分の打ち込んでいたものを理不尽に奪われるその痛みを。恋に敗れるその苦しみを。そのいずれかを彼が経験しなければならないなんて、そんなひどい話があるだろうか。震える吐息が空気を揺らした。音にはならない。)なんで、(そして都築は、自分勝手な理由でしか涙を流せない自分自身に嫌気がさした。ここ最近、もしかして彼にとって自分はとくべつなのではないかとうぬぼれる瞬間があった。もしもそれが事実だとしたら、彼の視力を奪うのは――彼からバレーを奪うのは、ほかならぬ自分であるということになる。都築はそれが、つらくて辛くて仕方がない。一方で、彼の思い人が自分以外であった場合。この場合都築は紛れもなく失恋したということだ。それもまた、つらい。そして自分自身の痛みに対して、都築は涙を流してしまう。彼のことよりも自分を嘆くその身勝手なメンタリティが、嫌で嫌で仕方がない。のに、どうしたってその方向に傾いてしまうのだから、都築はどこまでも脆弱だ。)………う、ぁ、えぇ、ん、(公園のブランコで泣きじゃくる女子高生、なんて下手すれば通報されそうだ。でも、今ばかりは止めることができなかった。嫌だった。彼の好きな人が自分以外であってほしい。そして彼はバレーを選び、恋に敗れ、そしてそこにつけこんだ自分と新たな恋を始めてほしい。そんな身勝手な彼の不幸を願う自分が嫌だった。けれどその願いは止められず、歯止めの利かぬ感情は涙となって流れて落ちる。どうしようもない。進むことも、戻ることもできない。台本がなければ演じられない。自分の与えられた役割が見えなければ、舞台に立っても演じられない。)えーーーん……(少女のまるで幼子のようなはかない嘆きは、ずっと、ずっと、日が落ちるまでずっと、続いていた。) (現実ってなんだっけ。降ってわいた現実はまるで夢物語のようなのに、ほっぺを引っ張ったらちゃんと痛いのだから救われない。これがフィクションだったならば、どこかに救いはあったのだろうか。) |
Published:2019/07/05 (Fri) 23:44 [ 11 ] |
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