[ 他の物語を読み返す ]
(強く在れ) |
|
![]() 岩泉一 |
(岩泉一は強い男だといわれ続けてきた。それは幼馴染であったり、幼馴染の両親であったり、近所のおばちゃんであったり、学校の先生だったりしたが、とにかく誰もかれもが岩泉に対して「強い」という形容を使いたがった。それを面映ゆく思うことはあれど、岩泉がそれに対して後ろめたさやプレッシャーを感じることは一度たりともなかった。それは岩泉自身が強くあろうとしていたからであった。周りの人間のおかげで自らが強く在れるのだと、本能的に知っていたためであると言い換えてもいい。岩泉は知っていた。自分は別に強い人間ではない。特別な才を携えた人間ではない。けれど、誰かのためなら強く在れる。仲間が、友が、両親が、そして彼女がいれば、自分はどんな努力だって続けられる。そしてその努力は、必ず岩泉をさらなる高みへと推し進めてくれる。求めて得られぬものはない。岩泉はそう信じていた。幼馴染に強烈な頭突きをお見舞いしてやったときも、彼女に対する恋心を自覚した時も、自らに対する疑念や惑いがなかったといえば嘘になるが、決して迷いはしなかった。岩泉一は常に前だけを向いていた。足りぬ部分があるならば補えばいい。持ち切れぬものを捨てるのではなく、すべて持てるくらいにキャパシティを広げればいい。そうして生きていくことは、決して不可能ではないと信じていた。けれど、岩泉の生き方は、信念は、恐ろしいほどにあっさりと否定されることになる。) 玉眼、症。(自らが発したぎこちない響きが鼓膜を揺らして吐きそうになった。目の前の医師は、まるでおとぎ話の中の出来事のようなことを、臆面もせず岩泉へと告げた。ずきずきと自らを苛むこの痛みは、失われた光は、自分が抱いた恋心のせいだと言う。いずれか一方を、と求められたとき、岩泉はもう一度、「玉眼症」とさきほどよりもしっかりした音でその病名を紡いだ。初恋とともに発症する病。完治の方法はただひとつ。恋を捨てること。)……ほかに、なんかないんすか。恋を捨てるとか――そんなの、っ――そんなのあいまいすぎんだろ!(衝撃でぼんやりとしていた岩泉の脳みそが徐々に覚醒し、そして怒りに染まっていく。恋を捨てるとはなんだ。この気持ちを捨てろというのか。捨てろと言われ捨てられる気持ちなら、こんな恋になんか落ちてはいない。要領を得ない言葉で怒鳴り散らす岩泉の姿は、きっとたいそう珍しいものだった。こんな風に、人に自らのいらだちをぶつけることを岩泉は是としていなかったからである。けれど、すべてをおとなしくあるがまま受け入れられるほど、岩泉は人間ができていなかった。当たり前だ。この男は、どこまでも強く気高くあろうとした男は、それでも無力で矮小な、才も持たぬ一介の高校生に過ぎないのだから。)なあ、なんかないんスか!何をもって、恋を、捨てるなんか――気持ちを捨てたなんか、だれが、判断すんだよ………っ(きっと叫びは悲痛に響いた。医師はただ、静かに、そして悲しそうに微笑んでいた。岩泉の激昂を受け止めて、それでも岩泉の願いを肯定はしなかった。「ほかに方法がある」なんて、奇跡のような甘い解決策を彼はくれない。切なそうに微笑みながら、「君はどちらかを選ぶしかない」と、もう一度はっきりと告げた。この世では小説よりも奇となる出来事が起きるくせして、フィクションの世界の大団円の魔法なんか存在しちゃいないのだ。震える唇がわななく。まるで走馬灯のようにふたつの記憶が駆け巡った。ひとつは幼いころから夢中になって追いかけたバレーボールの記憶。そうしてもう一つは、淡く、そしてほんのり甘い、彼女の記憶。)なんで――っ!(再び慟哭は診察室の空気を震わす。看護師がそっと岩泉から視線を外した。一度唇を震わせて、岩泉は細く息を吐く。ぶつけたところで何がどうなるわけでもないということは、ほかならぬ岩泉が一番わかっていた。光を失った瞳では、看護師たちの機微はすこしもわからない。けれど、この診察室の痛ましい空気を作っているのが自らであるということは、痛いほどに分かった。「スンマセン、」と岩泉は力なく告げる。思い出すのは、この病室に来る前に、耳にしたひとつのやり取りだった。) (岩泉は病院に向かっていた。病状を問いたださんとする幼馴染に見つからぬよう、こっそりと親とともに病院へと向かう道すがら。耳に慣れたきれいなソプラノが鼓膜を揺らしたのは、偶然のことだった。)……土井?(反応を示した岩泉に、付き添っていた母親は不思議そうな表情をした。はじめ、どうしたの、と問いかける母親に「ん、」と生返事をする。目が不自由になって以降、岩泉の耳はことさらよく周囲の音を聞き分けた。まったく、人間の体とはよくできていると思う。そしてその有能さが、時に狂おしいほどに憎らしい。)…………!(盗み聞きをするつもりはなかった。が、彼女の声が聞こえたら、岩泉はつい彼女の声に集中してしまうのだ。そして聞いた。彼女にまっすぐ思いのたけをぶつける声を。そしてそれに対して、彼女が奏でる戸惑いの音を。その瞬間、ぎゅう、と胸の奥底が痛み、同時に瞳が焼けるように熱くなる。胸を妬いたのは嫉妬の炎だ。それならば瞳は。「っ、」と声もなくうめいた岩泉に、「はじめ!?」と母親の驚いた声が重なった。何でもない、と首を横に振る。彼女とはそれなりに距離があるだろうことはわかっていても、少しでも早く、この場から離れたかった。耳にこびりついたまっすぐな声は、岩泉の心をじわりじわりと苦しめる。「白鳥沢」の音色がべっとりと鼓膜にこびりつき、嫌な感情を呼び起こした。――こんなところでまで、お前らに邪魔されるなんて、と。それは紛れもない、岩泉の中に生まれた闇。) ………なんともなんねえって、そんな話があるかよ……。(そして今、岩泉はひとり、自室でうなだれている。結果を求める幼馴染のしつこい着信と、その隙間に紛れ込んだ愛しいソプラノの音。幼馴染の着信は知らぬ存ぜぬを貫き通すつもりだが、彼女に対してどうしていいかわからず、岩泉はずっとろくに扱えもしない携帯電話を握ったままうつむいていた。今、岩泉の胸を焦がすのは嫉妬の炎なんかではない。無力な自分に対する憤りと、理不尽な現実への絶望だ。――かつて、岩泉一は信じていた。二兎を追う者は一兎をも得ずなんてことわざがあるが、それは嘘に違いないと。二兎を追うものが一兎も得られぬのはその人間にそれだけの器がなかったからに違いない――一兎を追えば一兎を得られるのかもしれないが、二兎を追わなければ二兎を得られる可能性はないではないか、と。岩泉はどこまでも無邪気で、まっすぐで、そして無自覚に傲慢だった。岩泉一は強かった、けれどその強さは、根拠のない自信に裏打ちされたものだった。今、岩泉は絶望を知り、そして弱さを感じた。えらべるものはふたつにひとつ――どうしたって変わらないというその現実に、息を吐いた。)くっそ――!(ぎり、と奥歯が折れてしまわんばかりに強く、強く歯を食いしばる。どんっと勢いよく殴りつけた壁は、光を受容せぬ岩泉の目には底知れぬ不気味な地獄の門にも思えた。ジンジンとこぶしが痛みを訴える。短く吐き出した吐息の間、携帯電話に吹き込まれた彼女の己を案じる声が、何度も何度もリフレインしていた。――思いを捨てるとは何なのだろう。岩泉には分らない。こんなわけのわからないことになるなんて。自分が一体何をしたというんだ。まっすぐな男であり続けた岩泉は、今、この瞬間、初めて自らの運命を呪った。そして、ほんの少しだけ泣いた。) (――理不尽を受け止め、涙を流し、苦しみに胸を痛めた男は、とうとう深夜、幼馴染にひとつの言葉と事実をこぼした。情けなく震える声にて語る言葉は覚悟の音だった。バカみたいな遅い時刻にも関わらず、幼馴染は茶化すことなく、ただ、静かに岩泉の決意を聞いていた。岩泉一は強い男だった。強かった男は弱さをしり、運命を呪う闇に落ちた。そうしてその弱さを握りしめ、岩泉はまた立ち上がった。結局一睡もできぬまま迎えた朝。ろくに光も受容できぬ瞳でぼんやりと明るい窓のほうを見つめる岩泉の瞳は、強い覚悟に彩られていた。) |
Published:2019/07/06 (Sat) 00:31 [ 13 ] |
|