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(白紙の答案用紙) |
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![]() 小戸森和奏 |
(待ち侘びていた終業のチャイムが鳴り響く。学業からの解放を喜び各々が教室を飛び出していく中、女も珍しくその波に乗っていた。それもその筈、見舞いに行った日からも変わらず欠席を続ける彼を蝕むのが果たしてどんな病なのか、その原因が判明するのが今日なのだ。走り出しそうになるのを必死に抑え、急いた様子で昇降口へ向かう。――あの日。結局、道の途中で合流した片割れたるその人へ頼み込み玄関の内へ入れて貰うに至ったはいいものの、逃げるように向けられた背中しか見る事は叶わなかった。「あっこら!!」なんて声を荒げても、彼はちらりとも此方を見ずに部屋へ籠ってしまったものだから、其れならばと帰路の途中でメッセージを送り付け、半ば強引に検査結果が出る日取りを聞き出したのである。会いに行くと伝えたのは、今度こそ彼の顔が見たかったから。ざわざわと騒がしい雑念を、不遜な笑みで吹き飛ばして欲しかったから。顔を合わせれば屹度またいつもみたいに、琥珀色の瞳を細めて揶揄う言葉を向けてくるだろうけれど、それでも構わないと思う程に、恋しさは募っていたらしい。早く早くと階段を駆け下り、屯する生徒たちの間を抜けて昇降口へついた頃。遠く微かに、「小戸森!」と呼ぶ声がした、ような。)………?(気のせいだ。そう決め付けては焦燥が絡む指先で掴んだローファーを乱雑に放る、けれどその所為で片方がころりと底を露わにした。しゃがんで揃える数秒を惜しみ御行儀悪く爪先で裏返そうと試みるけれど、かえって踵を収めるまでにかかる時間を倍に膨らませる事と成る。よろりとバランスを崩しつつも何とか両足とも履き替えて、上履きを靴箱に収めた時、再び少女の名を呼ぶ声がした。今度は気のせいなんかじゃなく。反射的に其方を見遣れば、去年より同じクラスで出席番号が前後の少年が声の主が此方へ駆け寄ってくるのが目に入る。何かと親交の深い相手であるから気兼ねなく「どうしたの?急いでるんだけど。」と手短に用件を尋ねるけれど、返って来たのは「一緒に帰ってもいいか」との一言。やけに真剣な眼差しと疑問符の抜け落ちた声音に言い返す事は憚られ、頷く他なかった。)けど今日は行くとこあるから…途中まででも良ければ?(そう釘を差せば、構わないと彼は頷いた。今にも走り出したい気持ちを何とか宥めて歩き出せば、つい思い出すのは心を占める想い人と二人で過ごした放課後のこと。あの時はマラソンでもしてるみたいに息苦しく、心臓が脈打つかのように騒いで、けれどその隣を誰にも譲りたくないとの思いで一杯だった。胸の内が色付く事など無い今とは、全然違う。だからこそ彼が特別なのだと再認識したならば、早く会いたいなと、視線を落とした。)………えっと、じゃあ私、こっちだから。(通学路を抜け、大通り沿いに歩く中。時折通る車のエンジン音を背景とし、期末テスト、夏休み、学祭の準備等々。とりとめの無い事を話しつつ、事前に聞いていた病院へ続く岐路に立ったらば思考は一気に特別なその人に染まる。あっさり「またね」と言ってのけてはクラスメイトへ背を向けた。けれど、歩を進める事は叶わない。咄嗟に捕まれた手が、動きを制限したためだ。驚きに目を瞠り振り返ったなら、恋色に染まった頬が映る。「俺、ずっと小戸森の事が好きだったんだ。」真っ直ぐに注がれた視線が、腕を掴む熱が、彼の全てが、冗談では無い事を物語っていた。何も言えず、唯驚愕を相貌に浮かべる自分に何を思ったろう。同等の想いを求めるでもなく手を解き、「良かったら考えてみて」とだけ言って青年はそのまま来た道を戻って行った。小さくなった背中を見て、思い出した事が一つある。)……あんた、家、反対方向じゃん。(そう零れた声は小さいながらも何だか妙に冷静で、まるで自分のものではないみたいだった。考える余地は無いと即答出来たらどれだけ良かったろう。どれだけ真摯に心を寄せられようともこの胸は揺らがない。少女の心をどうしようも無く掻き乱すのはたった一人だけ。きっと、後にも先にも。だから返事は決まっている。――明日にでも、言おう。好きな人がいると。どうしようもなく大好きで、その人以外は考えられないのだと。大きく息を吸って、吐いて、最早人影など見えぬ道を見据えたなら、スカートを翻した。)どこだろ……。(院内についたはいいものの、待合室に見慣れた青年の姿は無い。きょろきょろと周囲を見渡しつつ、とりあえず連絡を取るかと鞄に入ったスマホへ手を伸ばす。トーク画面を開いて、到着を知らせる旨を打ち込んでいる最中、「宮君って」と焦がれたその名が耳朶を打ち顔を上げた。端末を耳に当て神妙な面持ちで歩く看護師がその声の主らしいと察した時にはもう、腰を上げていた。不自然に見えぬよう注意しつつ、手元のファイルを見ながら空き病室に入っていくその人を追い、入り口付近に身を寄せたなら。盗み聞いた内容はまるで現実味の無い話だった。)………ッ!(その看護師はまだ電話をしていたけれど、耐え切れなかった。「ごめん、急用できたから今日行けない。また今度。」端的にメッセージを送信しては、返事も見ないまま病院内から逃げるようにそそくさと立ち去った。自宅への道のりをふらふらと進みながら、反芻するように呟く。)……初恋が、原因……?(――奏ちゃん。 柔く紡がれる声が鼓膜の奥で優しく響く。彼が誰を見つめているのか、分からない。けれど、きっと、違いない。そう自惚れてしまう。眼差しも、声も、仕草も。彼は事あるごとに“友達”としての境界を明確にしながら、同時にその線を越えられる特権を何度もこの手に握り込ませた。だからこそ、その時が来たら胸を張って、想いを告げられる自分であれるようにと、掲げた目標へ向けてひた走る事が出来たのだ。なのに。)見えてない……?失恋すれば、目は見えるようになるってこと……?(なれば、自分こそがきっと特効薬。他の誰かだとは、到底思えなかった。頭の中に広げた真白なノートに、答の分かり切った式を並べていくような心地だった。彼の家に押しかけた時、外に出られないと言っていた。曰く症状は末期、生活に支障が出る程――大好きなバレーも出来ない程、重篤な。“見えるとええんやけど。”耳元に転がった小さな小さな声を思い出しては、喉の奥が締め付けられる。)……なんで、なんで!! なんで、宮なの……ッ!(大通りから細い路地に入り、自宅まではもう数百メートル。引き摺るようだった足取りは遂に地面に縫い付けられ、少女は俯き吐き捨てた。バレーに懸命な彼が好きだ。何もかもを注ぎ、勝利を追い求める彼が、どうしようもなく好きだ。コートの中で、生き生きと笑うその笑顔を、ずっと見ていたかった。瞼の裏に描いた無邪気な笑みが滲み、ぽたり、ぽたりと足元のコンクリートは斑に染まる。頭の中で組み立てた数式、イコールの先にあるのがは何かだなんて、小学生でもわかる。それでも。)~~~っ、でも、……っやだ、宮が、すきだよぉ……っ。(悪戯に細められた、見透かすような視線の先にいるのは自分が良い。他の誰でも無く。そう願ってしまうのは罪であると理解しながら、込み上げる恋情はどうしようも出来なくて、凡庸なまなこから雫と共に溢れ出る。遂にその場にしゃがみ込んではくしゃくしゃに濡れた顔を覆った。ねえ神様、と信じちゃいない天上のその人へ呼びかける。どうして。どうして。――どうして、あの人を選んだの。 いつの間にか頭上で星屑が輝き始めても、その答えは得られぬままだった。最適解を迷いなく選び取る事が出来ず、かといって別の解を導き出すのは絶望的。惑う少女は力無く立ち上がり、薄暮の中を進む。期末テストの方がよっぽど簡単なのだと今この時、初めて知った。) |
Published:2019/07/04 (Thu) 22:12 [ 4 ] |
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