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(色亡きカメレオンに存在価値はあるか。) |
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![]() 亀井澪桜 |
(清く、正しく、美しく。栄誉と安定、何よりも生きやすい世界を求めて、娘はいつだって努力を重ねてきた。研鑽を積んできた。それは誰に強いられた訳でもなく、娘自身が選択したことだ。完璧な自分を求め、他者の眸には何ら欠陥のない楚々たる姿が刻まれることを望んでいた。其は、娘の真実の姿ではあるけれど、娘のすべてではない。打算的であったり、合理的に過ぎる思考回路は意識的に穏やかな相貌の下に隠してきた。故にこそ、熱帯びた視線を娘へと向ける青年の唇が清廉にして高潔な人物であると娘を評じるのも致し方ないことなのだ。)穏やかで、優しい……ね。(平素であれば、ありがとうと謝辞を述べ、そのうえで丁寧にお断りの言葉を紡いだことだろう。今は誰とも付き合うつもりはないの。なんて当たり障りのないことを紡いで、申し訳なさげに眉尻をハの字に下げて、ゆうるく口唇は持ち上げて、気持ちはとっても嬉しいよ、と用意した字面を粛々となぞるだけ。告白を受けたことも、それへと断りを入れるのも珍しいこととは言え、初めてのことという訳でもなく。経験を重ねる度、胸に抱く喜びも罪悪感も薄れていた。其れなのに。娘が心の中心に坐する青年の下へ向かう足を止められたからか、今度にしてほしいという懇請を聞き入れてくれなかったからか、それとも、誰よりも誠実で優しく穏やかな青年が苦しみを抱いているというのに何を世迷言をと八つ当たりめいた仄暗い思索が芽生えたからか──此度、娘が胸中に渦を巻くは、到底、青年が語る娘であれば抱かないような感情で。相貌より色彩を消し去れば、暫しの沈黙ののち、娘は語る。)私はそんな人間じゃないよ。(謙遜でも何でもない心からの感想。それでも、娘の上辺しか知らぬ青年は、瞠目の後、改めて言葉を紡ごうとする。単純に時間が惜しかった。紫苑に映したいのは、こんな強い眸ではない。青年の感情が音となる前に、娘は首を横に振る。そこで漸く、初めて相好を崩した。穏やかさの奥に微かな嘲弄が滲んでいる。)私のことそんな風に見えてたなら、君は何も見えてないね。(諭すかのような口吻で、その実、ただ吐き捨てて、それを答えの代わりとばかり娘は青年の前から足早に去っていく。つま先が向かうは、市内某所の大きな病院。職員室で偶然耳にしたのだったか、それとも彼の人のチームメイトより情報を得たのだったか、夕刻、その病院へと彼が現れることだけを知っていた。過日、雨の中で交わしたやり取りだけではどうにも腑に落ちなくて。やんわりと受けた線引きの所以が恐らくは娘自身に心配をかけぬためという気遣いにあることを理解しながらも、再び対峙する時を望んでやまなかった。連日降り続けた雨は上がり、頭上には一番星がきらりと瞬き始めている。ふ、と視線を下へと遣れば雨雫を宝石のように纏う紫陽花の花が目に入った。そうして、辿り着いた病院の待合室にて、診察か検査かを終えていずれ奥より出てくるだろう青年を待ち伏せる。そんな折、耳朶に触れるは馴染みのある響き。「茂庭要さんですね。」電話口よりの指示を反芻した看護師は、その後、静かに睫毛を伏せる。その所作に胸騒ぎを覚えた娘は、無礼であることを理解しながらも、その看護師の旋律をすべて聞き取れるような距離まで歩を進めた。そこで、明らかになる事柄は、夢であればよいと願うほど残酷なものであったけれど。)……、 なん (で。とその三字を紡ぐことすら儘ならず。縺れる感情が冷静な思索紡ぐことを阻害する。瞳を患っているのは青年の方であるのに、目の前が暗転し、ふらり、と体躯がよろめいた。思わず柱へ手を添えて、地に膝を落とすことだけは回避する。どくん、と心臓を煩く響き血潮を巡らすくせ、そのすべてが冷たかった。これが病院で看護師からではなく、学校で噂好きの同窓生から聞かされていたならば一笑に付していただろうに。現実感のない話も語る相手によっては、懐疑の余地すら抱かせてくれない。過日、青年がその双眸を薄い膜で覆っていた事実が追い打ち。あの日から、既に優しい眼差しに異変が生じていたというのなら──それでも、何てことのないように振る舞っていたのなら、青年の前に今姿を晒すことは彼のすべてを踏み躙ることとなろう。その思考を最後に、そのあとのことはよく覚えてはいなかった。気付けば自室にて。夕飯を取ることもなく、茫然と携帯端末の液晶画面を眺めていた。当初は青年とのトーク履歴を映していた其れも、今となれば灯り失い、黒のなか、娘の姿を微かに反射するばかり。恋か視力か。恋なんて一時の気の迷いと聞く。ならば、選ぶべきは明らかだ。理性ではわかっていても、受け入れることができなかった。それは、何処かで青年が恋心を抱くのであれば、屹度──という確信があったから。中庭で飲んだミルクティーの味を覚えている。困ったように笑う彼の姿を覚えている。この世で唯一、きっと、亀井澪桜という人間のありのままを知っている人。失いたくない。失ってほしくない。そう思うのに、瞼の裏に投影される真摯にボールを追う姿。目標を語るときのいつもよりもしっかりとした表情。青年を形作るバレーという要素、そして、青年が歩み続ける道に溢れだろう数多の光。奪ってしまっていいものなんて、何一つなかった。)わかんないよ。茂庭。どうしたらいいのか、全然……わから な (逢いたいが情、見たいが病。本当によく言ったものだと思う。そして、そのいずれもを咎とするかのような残酷な病を作り出した神を心の底から恨んだ。言葉を紡げば紡ぐほど、ちぎれていって、青年とのこれからを想起したくても、何も少女なかに映らなかった。)……何にも見えないの。(知らぬ間に育ち切った恋心は娘の支柱の一にまで至っていた。当惑と悲哀、絶望と自分勝手なエゴがぶつかって、カメレオンから少しずつ色を奪っていく。) |
Published:2019/07/05 (Fri) 18:04 [ 5 ] |
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