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(針のない羅針盤。) |
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![]() 宮侑 |
(片割れに連れられ入室を果たした少女の視線へと、真実、逃げるように背を向け自室に籠った日より早数日。男の眸は日に日に色鮮やかな光彩へと変化を遂げ、輝きを増すに比例して、男の世界は暗闇を多く孕むようになった。未だ、慣れ親しんだ場所であれば独歩をすることは可能ではあるし、対面する相手の輪郭を追うことはできるも、日常生活を滞りなく履践することは既に難く。少女に購入してもらった雑誌すら、見出し以外の内容は片割れより口述されることによって把握した。それでも男が自棄になるでもなく、四囲に当たり散らすでもなく、粛々と日々を過ごすことができたのは、信じていたからだ。少女より懇請を受け、検査結果が出る日と、通院した病院の名を告げたのも、何れ「普段通りの日常」が戻ってくると愚直なまでに信じていたからこそ。否、或いは。そう思い込むことで自らを保っていただけかもしれないが、それでも、光を失いつつある日々の中で、少女の存在と、排球への思い、そして、そのいずれもを手にするという未来への決意ばかりが男を支える支柱であった。心配そうな面持ちの母親に連れ添われ、病院へと向かうためにタクシーに乗車する。流れ行く景色からはそれらを構成する物が如何なる色を抱くのか、程度の情報しか掬い上げることができなかったものの、運転席からの怪訝そうな視線が気持ちよいものではなかったから男は移動中ずっと外を見続けた。そうして、病院まで後幾許かといった地点。信号待ちにて停車した為にいくらか――とはいえ、微々たる差ではあるが――鮮明となった景色の中に、向かい合う一対の人影を認める。その一方が恋い慕う少女のものであることに気付いた所以は、偶然だったのか、それとも、心焦がす熱情が疼痛となって男の意識を視界の先へと向けさせたが故か。体格差からは対峙するのが男であること、心なしか近しい距離より、友人とはまた異なる雰囲気を受けたこと。種々の事情も相俟って、導き出された結論は、少女へと降り注いだ事象と相違ないもの。それでも、男の中で憂慮が芽生えることはこの時点では未だなく。むしろ、日常へ帰還するための一つの要素として、少女と相対した際に揶揄の一つにでもしてやろうと、そんなことすら思っていた。かすんだ視界の中で、医師が抱く紫の色彩ばかりがやけに鮮明だった。特に支障を感じさせぬ所作にてカルテへと目を通し、言葉を紡いでいく医師の存在は診察室への入室当初、男に希望すら与えた。)せやな。病名なんざどうでもええから、勿体ぶらんと教えてほしいわ。こんなもんに振り回される程暇ちゃうねん。俺。見たとこ、先生も同じ病気かかったんやろ。どないして治したん?(ゆえに、医師より病名を告げられても然したる興味を見せることなく、男は軽快な語調で生意気な口吻を紡ぎだす。スツールに手をかけ、やや前のめりになる姿勢も、男の中で期待が勝っていたことの証左であろう。「治し方わかったで。」「すぐ治るらしいわ。」「けど、目の色はそのままらしい。」「見分け付きやすくなってええやろ。男前度もあがったし。」そんな風に矢継ぎ早に少女へと告げて、しまいには「ちゅーか、さっきの男、誰やねん。」なんて未だ完治前であるにも関わらず病気のことなど過去のこととして、少女との未来を日常へと溶かす。それが、男の中での未来予想図。けれど、斯様な思惑は、真実を前にものの見事に瓦解する。まず耳朶に触れたのは、”確立した治療方法はない”そんな風に告げる静かな医師の言葉だった。)なっ……にを、ふざけたこと言ってんねん。医者が、吐いていいウソちゃうぞ。(瞠目した暁には美しい青紫の宝玉が医師の前にさらされたことだろう。息が止まりそうになった。突如として、絶望が姿を見せた。顔も体もない、ただ夜闇のような塊がすべてを押しつぶしそうになることに必死に耐えながら、男は噛み付くように吠えた。それでも医師は嘘ではないと静かに語る。「ふざけんなや。実際、自分は治ってる……」そこまで紡いだところで、『うん。だからね、』と先刻よりも力強さを持った声が鼓膜を揺らした。)………、恋心て……、んな。(全ての言葉を聞き終えて最初に飛び出したのは怒号ではなく、乾いた呼気。瞬きを忘れたままでいた双眸は、その呼気の行方を追うように床へと落ちて、男の中から何もかもの気力を奪う。突きつけられた事実が孕む絶望の重さに、これまでとは異なる意味において眸の奥が熱くなる。排球も恋も、何れ、自らが望み、まっすぐに向き合えば両方とも手に入ると疑わなかった。強欲であるならば、と、その強欲に見合うだけの努力を積んできたつもりだった。その自負こそが、傲慢なものだったというのか。)なんで……俺やねん。なんで、……――なんっでッッ!!来月にはインハイが始まる。そのためにずっとずっと、誰よりも練習してきたんや。いろんなもん支えられるように、ひとつも零さんように、俺がどんだけバレーに命注いでるのかわかってんのか。知らんやろ。そんなもん、誰も――誰も!! あいつのことも!!俺以外の誰が……誰が、――俺が一番、あいつのこと、ちゃんと好きなのに。なんで。(今にも掴みかからんとする勢いで、眼前の医師へと両の腕を伸ばす。立ち上がった際に足で蹴飛ばしたスツールが病室の床に転がって、制止に入った男性看護師に「放せや。」と吠え、言葉を続けた。けれど、反抗をすることもなく、制止をかけるでもなく、静かに受容する医師の姿がすべてが真実であることを言外に告げる。まなうらに少女の姿を思い描いて、また、目の奥が痛んだ。語調は徐々に勢いを失って、最後には医師の肩に項垂れるように。)なんで……どっちかしか手に入らへんねん。(力ない声だった。わずかに震えた言葉だった。どうにかしたいと思いながら、どうにもならぬことを理解してしまった瞬間だった。アイオライトは古来、羅針盤として多くの海賊に愛され、彼らに進むべき道を示していたという。故に、現在においても、物事の本質を指し示し、真実を見定める力を与える宝玉であると言い伝えられている。仮令、それが真実だとして、ならば、男の眸に宿りし一対の青紫は男をどこに導こうというのか。何を見定めさせようというのか。選択の時は、もう間近に迫っている。) |
Published:2019/07/05 (Fri) 18:59 [ 6 ] |
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