雨夜の月
--糸引く雨と恋模様--

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(極夜の果てに。)
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松川一静
(一日だけの筈だった入院は、思いの外進行していた病状を踏まえもう数日必要であろうと五日間に延長された。とは言え、現在玉眼症に対して有効な薬がある訳でも無ければ手術により完治する物でもない。この入院期間は更に延びる可能性があるとも告げられては、絶望の色は深まる一方だった。了承を告げたはずの声は掠れ、医師に届いたかどうか自信が無い。見目の異様さが及ぼす影響を考慮してか、或いは覇気を失った青年を気遣ってか、6名が定員の大部屋から清潔感のある個室に移ることとなった。玉眼症と診断されてから、そして入院してから二日目のことだった。日に日に閉ざされる視界に比例するかのように瞳は透き通った鉱石の輝きを放ち、人間離れしていく。移動先の個室に設置された独立洗面台の鏡に顔を近づける。微かに煌めく色を見ては、何度か浮かんだ疑問について改めて考えてみた。燻んだ紫色を宿したあの医師は、一体いつ、決断に至ったのだろうかと。問うた所で答えが得られるとも、自身の決断の参考になるとも限らないからまだ口に出来た事はないのだけれど。光を受ける度、眼孔には細かな輝きが拡散する。その粒を辛うじて捉えることは出来ても、はっきり視認することは叶わない。視界には闇が広がるばかりで、じくじくと熱っぽく痛むのも相変わらず。最早目を開けていても閉じているのと変わらない。今が朝なのか、夜なのか、部屋の外から聞こえる騒めきを判断基準としてみても、時の流れは曖昧になりつつあった。看護師から診察だと声を掛けられて初めて「もうそんな時間か」と思うくらいだった。対面した医師は、これ以上悪くなることは無いと言う。けれど回復する事もない、とも。唯一判明しているのは“何”と決別するかだと、診察時に医師は再び言った。「君次第だよ」と。現在落ちるところまで落ちたが故、天秤の皿には其々同じだけの重量がかかり釣り合いが取れている状態らしい。要するに行き詰まり、先へ進むには天秤を傾ける必要がある。)…………。(診察室から病室へ戻り、ベッドに腰掛けて組んだ手をごつりと額に押し当てる。彼女か、バレーか。選べ、と言わんばかりに瞳の奥が一際強く痛んだ。まるで悩める青年へ向けられた悪魔の嘲笑のようだと思った。重たい呼気を吐き出せば、サイドテーブルの上を探るようにぱたぱたと叩く。最早机上に何があるのかすらしっかり把握も出来ない状態で、それでも補助器具を使えばまだ何とかなるといったところ。目当てであった端末を探し出し握り込めば、ギリギリまで目先に近付け想い人の名を呼び出した。「じかんできたら、病院来て欲しい」端的な一文ですら、綴終えるのに酷く時間が掛かる。もどかしさに奥歯を噛みつつ、何とか送信まで終えたなら後はただ、彼女を待つばかり。淡緑の目が窓の向こうへ向けられる。そこに広がるのがどんな景色か見ることは叶わないけれど、せめて彼女の足元が濡れないことを祈った。)…………呼び出してごめん、来てくれてありがと。(どのくらい時間が経ったろう。彼女の到着を察知すれば腰をあげるもののドアに背を向けたまま、そう声を掛けよう。「今日は、高梨に伝えたいことがあって。」と続ければゆっくり振り返る。薄硝子に遮られることのない素顔を――彼女への想いに染まった瞳を晒すべく。それから、胸の内を焦がす恋情を差し出すために。)……俺の気持ち。聞いてくれる?
Published:2019/07/07 (Sun) 23:19 [ 5 ]
まっつんは、嫌なことあると顔に出る?それか行動とか。
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高梨藍
(昔から、心が動いたときこそ鍵盤に触ってきた。悲しいとき。悔しいとき。嬉しいとき。そして、悩んでいるとき。彼を苛む病の正体を知った日、帰宅した少女は取り憑かれたようにピアノを奏で続けた。一瞬でも指を止めれば心がぽっきり折れてしまうかもしれない、そんな得体の知れない恐怖が振り払えなくて。ベートーヴェンのピアノソナタ第26番、告別。少女の明るい気質からすれば苦手分野にあるこの曲を、敢えてメインに持ってきた戦略が怖いくらいにはまったのは良い。けれど――それはあまりにも、かなしい音だった。感情が音に載るのが彼女のピアノ。深い悲しみとやり場のない憤りの最中にいることは、容易く想像出来るのだった。2019年、全日本ピアノコンペティション。実力から言えば突破は難しいとされていた次の舞台への扉を、選曲の妙と鬼気迫る演奏で以て少女は無理矢理こじ開けた。それが、セミファイナル。)

(――もっとも結果が発表されたとき、彼女は既に電車の中だったわけだけれど。演奏を終えた控え室で青年からの連絡に気付いた。じかんできたら、病院、来て欲しい。短い一文。彼から求めてくれたこと、よく見えない瞳でこれを打つのにどれほど苦心したかを想像すればいてもたってもいられず、ドレスを脱ぎ捨て会場を飛び出したのだ。演奏中以外は抜け殻のようだったその瞳にこころが戻ったのを見た師も、ここはいいから行きなさいと背中を押してくれた。改札を抜け、病院までの道を走る。降り始めた雨はさらさらと軽い質感で、アスファルトを濡らすには至らない。銀糸にも似たそれが暮れゆく太陽の光を受けてきらきらと輝く。美しい夕映えだった。)………まっつん……?わたし、高梨。……来たよ。(病室の前で息を整えたなら、こつんこつん、とちいさく扉を叩く。そっと踏み入れた個室の中、窓際に佇む背中を見れば、それだけで胸が裂かれるようにきしんだ。呼び出しを謝る声には「ううん、」とやわらかな声でいらえを返す。そうしてついに、)―――……、(彼を蝕む病魔。その宝石の、色を知った。ひさしぶりに見る、愛しい人の素顔。あるはずのない場所に嵌まった葡萄色の石。現実離れした見目だけれど、恐怖はなかった。だって、彼だから。わたしの、世界でいちばん好きな人だから。)………、うん。(聞いてくれる?問いかけに頷く声は、少しだけふるえていた。その唇から紡がれる言葉を、聞くのが怖くないと言えば嘘になる。けれど彼のために出来ることなら、なんだってしてあげたいと願う心も本当だから。ゆっくりとした足取りで室内を進み、青年の正面に立つ。まっすぐな瞳で彼を見上げた少女は、ひどく穏やかな微笑みを浮かべていた。)………聞くよ。聞かせて。……まっつん。(名前を呼んだ。ありったけの想いを、こめて。)
Published:2019/07/08 (Mon) 12:18 [ 9 ]
後者かな、一人になれるところに逃げちゃう。高梨はどっち?
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松川一静
(本当なら、このタイミングで告げるべきでは無いのかもしれない。今この瞬間も彼女は、彼女の頂を目掛け走り続けているのだから、せめてその行く末を見守ってからの方が良いのではないかと端末を握り締めた手に力が籠る。けれど、メッセージを取り消す事は無かった。それは唯、彼女に逢いたいと言う男の我儘。テーブル、棚、壁と伸ばした手に触れるものを伝い窓際に立てば、ほんの少しだけ窓を開ける。隙間から吹き込んだ風はひやりと冷たく、濡れていた。湿った空気を肺一杯に吸い込んで、吐き出す。この程度なら彼女の足を止めるには至らないだろうと安堵する反面、いっそバケツでもひっくり返すくらいの土砂降りで足止めしてくれたらよかったのにとも思うのだった。からからと音を立てて窓を閉めたなら、俯きがちに溜息を吐いた。)………。(顔を上げたなら、夕陽に照らされた瞳がきらりと硬質な光を浮かべる。けれどその眩さに反し、男の世界にはほんの僅かに光が差したくらいで暗闇の中にいるのと殆ど変わらない。一人でいると、本当に独りぼっちにでもなったような心地だった。けれど、そんな重苦しい沈黙をノックの音が破る。入室を促すように「どうぞ」と返した声音こそ平淡であったろうけれど、待ち望んだ声が耳朶を打った瞬間、胸中は歓喜に染まっていた。あいたかった。声が聞きたかった。どうしようもなく込み上げる恋情を何とか心の奥底に押し込んだものの、柔く蕩ける眦ばかりは無意識のこと。微かに震えた声と小さな足音から、今彼女が目の前にいることを察する。)……高梨。俺、高梨の事が好きだよ。ずっと前から、好きだった。(丁寧に、彼女がそうしてくれたように。名を呼んで、胸を焦がすその感情を紡いでいく。好きだ。世界で一番、何もかもが見えなくなるくらいに。彼女がいるであろう方向へ手を伸ばすけれど、最早思った通りに触れることも叶いやしない。それでも、彼女の存在を感じたかった。腕か、肩か。もしも指先が熱を掠めたならば、縋るようにそっと掴み、力を籠めるだろう。)何が正しいのか、どうするべきなのか、そういうの……色々考えたんだけどさ。………考えた上で、俺は、高梨と一緒にいたいって思ったんだ。(――此処まで駆け抜けてきた仲間とその先の舞台へ上がる事は叶わない。重荷を背負わせることになるかもしれない。それでも彼女と共に歩みたい。いつだって冷静で広い視野を持っていた筈の男は、模範解答では無くその瞳を染めた慕情を幸福とし、選び取った。)
Published:2019/07/10 (Wed) 20:42 [ 16 ]
そっとしといてほしい派?高梨は顔に出るし、甘いの食べマス笑
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高梨藍
(自身の声に反応してふわりと柔く細められた双眸に、この期に及んで鼓動が跳ねる。揺れている。まだ。やっぱり、でも、を行き来している。心が凪いだ一瞬があっても、海辺の砂文字のように、次の瞬間には新しく打ち寄せるさみしさにかき消されてしまう。きっと一生かかっても、この胸を刺す鈍い痛みは消えることはないだろう。それでも真実を知ったあの瞬間から、何度も何度も考えて、覚悟してきたつもりだった。次にふたりで話すとき、きっとわたしの恋は終焉を迎える。それでいい。最後まで笑っていよう。やさしいあの人が苦しまないように。背中をきちんと、押せるように。少女が選んだこたえ。それは彼の決断を、笑顔で受け入れることだった。けれど、)―――……まっ つ ん、(高梨のことが、好きだよ。 耳朶に触れた彼の声音は、とびきり甘く、やわらかくて。驚愕に瞳をおおきく見開き、眼前の青年を見つめる。選ぶのは、仲間と歩む未来だと思っていた。こころが千切れそうだけれど、それでも受け止めようと思って、ここへ来たのに。「な、……ん で、」動揺で後退りしかけた少女を、青年の長い指が繋ぎ止める。肩に、そして鎖骨に触れたそのぬくもりを感じれば、分かってしまった。高梨と、一緒にいたい。 その言葉が、うそなんかじゃないってこと。ぶわ、と彼の姿が滲んで揺れる。あまたの花が次々ほころぶように、愛されるよろこびがからだを満たしてゆく。)―――………わ、(わたしも好き。思わず開きそうになった唇を、けれど必死に引き結んだ。伝えれば、この恋を叶えれば、彼の世界は永遠に闇に閉ざされる。いいのか。本当に。巣から落ちた雛鳥を慈しむようにそっと、自身に触れる彼の手に自らの両手を重ねる。「まっつん、」ぽつりと声が落ちる。)……わたし、聞いちゃったんだ。まっつんの病気のこと。だから、……(だから、そう、知っている。自分のこのあとの返答如何で、彼の運命が決まることを。玉眼症。瞳と心とを天秤にかける非情な病。涼やかなまなざしが好きだった。スパイクを阻む頼もしい両手が好きだった。仲間に向けた無邪気な笑顔が好きだった。バレーを愛する、きみが好きだった。奪いたくない。捨ててほしくない。でも――。こころが、鳴く音がする。失う覚悟はしてきた。でも、わたしからは出来ない。出来るはずがない。この恋を、火に焚べることなんて。)……まっつん、……ごめんね………わたし……っ…(きゅ、と両手に力がこもる。繋がったそこへ、大粒の雫が落ちる。断る勇気がなくてごめん。手を離してあげられなくてごめん。どうか赦して。きみから彩を奪うと知って、それでも尋ねるずるいわたしを。)………ひとりじめしても、っいいの、かなあ………?(きみの未来を。きみのこころを。残酷なことをしていると知っている。それでも少女のからだの内側では、あの夕暮れと同じひかりの粒が次々生まれて止まらないのだ。好きだと言ってもらえるその日を、ずっとずっと、夢見ていた。うれしくて、うれしくて、うれしくて、苦しかった。)
Published:2019/07/11 (Thu) 09:09 [ 18 ]
まぁね~。高梨らしい(笑)んじゃ、甘いチョコでも用意しとこ~
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松川一静
(沢山考えた。何方か一つ、選んだとして。その先に待ち受ける未来がどのように広がるものかと。けれど思い描いた未来はどれも正しく、同時に不正解に思えて仕方なかった。二人が歩むであろう様々な結末を選び取っては、迷い、手放してを繰り返す。納得いかないのも当然だろう。選びたかったのは、掴みたかったのは、彼女と共に夢を追いかけ続ける未来だったのだから。驚愕に染まった声から彼女が今どんな顔をしているか、想像してみる。きっと、あの大きな瞳を更に見開き驚愕をありありと浮かべているに違いない。彼女は自分よりもずっと感情を表出すことが上手だから。)……なんでだろうね。気付いたら、ずっと高梨のこと考えてるんだよ。(指先の感覚から、伸ばしたそれが肩に落ち着いた事を知る。華奢なつくりに驚きながらも、確り掴んで引き寄せるように半歩踏み出した。二人の距離を埋めるように。一体いつから特別だったかなんて分からない。ただ気が付けば心の中にいて、男の世界を明るく照らしてくれていた。他の誰にも譲りたくないと思ってしまったのだ。ふ、と睫毛を伏せたなら、肩を掴んだ力を抜き代わりに重ねられた手を握り締める。ぽつぽつと告げられたその言葉には思わず口の端が苦く歪んだ。)……言わない心算だったんだけどな、……なんて言ったら怒る?(口ぶりこそ軽やかであったものの、小首を傾げ瞳を細める様は彼女の様子を慎重に伺うようでもあったろう。病について知れば、聡い彼女はきっと身を引くことを選ぶ。そう思ったからこそ、玉眼症の本質については明かさぬ心算であった。視力を失うとは言っても、それに至る鍵がよもや彼女へ抱いた恋心であるとは誰も想像しないだろうから、生涯抱えておくつもりだったのに。一言、彼女の口から互いの想いが同じであることを聞けたなら、それでいいとすら思っていたのに。)そんな風に謝らないで。……謝るのは、俺の方。ごめんね、(震えた声に。掌に落ちた雫に。胸が締め付けられる。ころころと移り変わる表情が好きだった。感情に沿って弾む声が好きだった。鍵盤の上で踊る為の指先が、目標を見据えた真っ直ぐな眼差しが、好きだった。暖かな手を振り解き、腕と肩を伝ってその頬まで指先を伸ばしたなら溢れる涙を拭う。思い出にない為だろうか、彼女の泣き顔を思い描こうとしてもどうにも上手く描けない。だから代わりに、もう何度も見つめて来た柔らかく笑む彼女を思い描き、その涙が止まるのを祈って頷いた。)――いいよ。俺も、高梨のこと、ひとりじめしちゃうけど。……赦してくれる?(視界が閉ざされた身は、彼女の枷にしかならぬであろう。彼女の望むことを全て叶える事も出来ないだろう。排球を諦めた事に幻滅されるかもしれない。それでも、)……好きだよ。(愛しい少女の隣に在りたいと、願うことを諦めきれなかった。くしゃりと、泣きそうに笑ってみせたなら細めた瞳の奥できらりとその恋情が光る。漸く言えた、と唯々幸福を滲ませて。)
Published:2019/07/12 (Fri) 22:10 [ 22 ]
わぁ♡ まっつんもね、抱え込まないでね。そばにいるからね。
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高梨藍
まっつん…… (力強い指先から青年の熱を感じれば、少女の方からも僅かにからだを寄せる。気付いたらずっと、考えてる。わたしだって同じだ。彼と話が出来た日のピアノはびっくりするほど音色が柔らかくて、世界はきらきら美しくて。いつだって飄々としている彼の双眸、その奥に時折見える恋情の色に、単なるクラスメイトよりもこころに近い場所にいるという自惚れも抱いていた。けれど、天秤のもう片方が視力なら、その重みは載せてみなくたって分かる。分かっていたはず、だったのに。――バレーはいいの。直接的な言葉で問えなかったのは彼女の臆病だ。聞くまでもない。いいわけない。自分の発言で彼の顔に寂寥が浮かぶのを見るのが恐ろしくて、口にすることができなかった。攻守がするりと反転し、今度は少女の手が青年のそれに包みこまれる。尋ねる声には努めて明るい声音をつくって応えよう。) 怒らないよ。わたしのこと、心配してくれたんでしょう?………でも、よかった。知ってて。(はんぶんこ、できるもんね。 ひそやかに言い添えた言葉は幼子をあやすような―いつか彼がしてくれたような―響き。トリガーが少女への恋心だと、伝えない。それが彼の優しさであると、少女を当事者にしないための行動であると、痛いほど分かるから怒りなんて抱かない。あの日ナースステーションで聞いた時には知りたくなかったと嘆いた真実を、けれどきちんと知った上で彼と対峙できて本当によかった。この運命は、重すぎる。こんな時までこちらを案じる、どこまでも優しいこの人に、ひとりきりで背負わせるなんて絶対にできない。) ――ちが、 の、っ……まっつんが、謝ることなんか、(懸命にかぶりを振るけれど、止まらない。ぼろぼろとこぼれ落ちる大きな雫は、頬に触れたその指を濡らすだろう。どうして。なんで。ただ恋をした、だけだったのに。理不尽な病に奪われた日常。身を裂く痛みが癒える日は、一生かかっても来ないかもしれないけれど、それでも。――赦してくれる? そう言って少女を赦した彼の声に。ふたたび紡がれた愛の言葉に。恋を知ったよろこびに満ちた笑みに。みずみずしい果実のような儚いひかりを宿す瞳に。ついに少女の心は決まった。もう迷わない。振り向かない。彼のために。自分のために。そして、ふたりの未来のために。) ………まっつん。わたし、子どもだし、勉強もそんなに得意なほうじゃないし、料理も練習中だし、アイロンかけるの信じられないくらい下手だけど、……まっつんのためにできること、なんでもしたいって思ってる。(頬を包む大きな手に、そっとてのひらを重ねる。言い訳がましく紡ぐのは情けない、ありのまま飾らない自分の姿だ。すぅと小さく息を吸って、目の前で微笑む彼を見上げる。そして告げよう。ふたりの前に並ぶいくつもの扉、その鍵のひとつを、選び取るための誓いのことばを。) だから、……ひとりじめ、して。頼りないと思うけど、まっつんのこと、ぜったい守るよ。ずっとずっとたいせつにするから、――……世界でいちばん綺麗なこの宝石、わたしにちょうだい。(そのかんばせを満たしたのは、あかるい色だけを使った水彩画のような微笑み。涙に滲み境界線の曖昧な、憂いと幸福の表情だった。神様。少女は祈る。もしもまだ、あとほんの一瞬だけでも、この瞳に映ることが叶うなら。どうか彼の記憶に残るわたしが、笑った顔でありますように。)
Published:2019/07/13 (Sat) 20:10 [ 25 ]
ありがと、…じゃあこれからは、一緒に甘い物でも食べてくれる?
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松川一静
(己が選択を後悔しないのか。そう問われた時、即座に頷ける自信は無い。これから始まるであろう不自由な生活への不安や恐怖はどうしたって付き纏う。肩を掴んだ指先に微かに力が籠るのもその所為だ。何かに思い悩み、行き詰まった時。そういう時こそ、指の先一つ動かせなくなるくらい練習に没頭したいのに、狭く閉ざされた視界ではサーブ一つ打てやしない。トスの一つも見極められない。ブロックに飛んだとして、それは味方の視界を遮る壁になりかねないだろう。――悔しい。悔しい。自分の身体なのに、操り切れない事が、悔しくて堪らない。満足に動けないようになって、男は初めて――本当の意味で、そのボールの重たさを知ったのだ。けれど同時に、掴んだ手の温もりだって。)………、……知らない方が良い事って多いからね、世の中。(はんぶんこ、しても良かったのだろうか。穏やかに紡がれる声音に合わせ、見つめ続けてきた飴色が遠くで優しく揺れた気がした。まるで暗がりを照らす蝋燭の火の様に。その強さに、温かさに、甘えているようで堪らず言葉に迷い、結果半分だけ言い返すのだ。男の人生を左右する、運命の分かれ道。それが今目の前にある。もしも彼女が知られぬままであれば、例え連れ添って歩み続けた先にまた分かれ道が現れたとしても、彼女の手を今度こそ離せると思っていたのだ。彼女の笑顔を曇らせたくなくて、重荷など感じさせたくなくて。なのに、分かち合えると言ってくれる少女に、また瞳の奥が痛んだ。けれどそこから広がる熱はきっと、病の所為だけでは無い。ありがとうと紡いだ声は小さく、彼女の耳を掠めたかどうかも定かではないけれど。)ううん、…………ううん。(途切れ途切れの言葉に此方も又首を振る。言葉少なに目を伏せたなら、感覚頼りにもう一度、涙を拭う様に頬を撫でた。謝らなくてはならないのだ。心を裂くよりも辛いかもしれない傷跡を残してしまうこと、それでも彼女を突き離せないこと。隣に立ち、その一生を貰い受けたいと願うこと。どうか、赦して欲しい。想いを込めて紡いだ言の葉は、彼女に届いただろうか。先程よりも確りとした響きで紡がれるそれらに思わず口元は弧を描いた。知らず笑うような息も零れたかもしれない。一つ一つに頷きながら、それでもいいんだと呟いた。)………これ以上ないってくらい、頼り甲斐のある言葉だよ。(見えない扉が開く音がする。あるいは、閉ざされる音かもしれない。この際、何方だって構わなかった。暗がりの向こう、小さな希望が一瞬その揺らぎを大きくする。まるで星がその生涯を終え、燃え尽きるかのように。ゆっくりと瞬く度、宝玉はその色を深めるだろう。頂戴と言われたなら、勿論だと頷いた。元よりこれは、彼女のものだ。)……退院したら、俺、高梨のピアノが聞きたいな。(目を凝らす。遠くなる光を追いかけて。彼女の笑顔が見えた気がして。捉えた気は、したけれど。世界は暗がりに落ちていく。選択と決断。天秤は確かに傾いた。腕を伸ばし、その小さな体躯を抱き寄せる。衝動のままに力を込めたものだから多少、息苦しさを与えてしまうかもしれないけれど、今は唯触れたくて仕方なかった。甘やかな葡萄色は美しくもただ無機質に少女の姿を映すのみと成ったけれども、構わない。ごめん、ありがとう、繰り返し呟いてはそれっきり、少女を掻き抱いて暫くは離せないだろう。)
Published:2019/07/15 (Mon) 22:07 [ 29 ]
うん。……これから末永く、よろしくおねがいします。…えへへ。
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高梨藍
そうだね。………トオル王子がまっつんに電話しようとして岩泉に怒られた回数とか?(知らない方が、いいこともある。こぼれ落ちた言葉に彼の迷いが透けて見える。自身の去った日常へ、少女を戻す最後の岐路。そんなの。わたしにだけ陽のあたる世界なんていらないんだよ、まっつん。諭したり拗ねたりする代わり、少女は明るくおどけてみせた。少女にとってこの病は、知らない方がいいことなんかじゃない。無理矢理ひったくってでも持たせてほしい、大切な人の大切な一部なんだと。耳朶に囁きが触れる。その手を握り返すように、指先に力を込める。)……ふふ。ふたりで謝ってる。なんにも悪いことしてないのに、……おかしいね。(止まらぬ涙に彼が心を痛めていると分かるから、せめてもとちいさく笑みを浮かべてみせる。懺悔する彼の気持ちはよく分かる。少女だって同じだからだ。それでも謝らないでほしかったし、引け目も感じないでほしかった。バレーに真摯な彼が好きだ。けれど、それがすべてではない。穏やかな声音や、大きくてあたたかい手。窮地においても他人を想える清廉な魂。下がりがちな眉毛や、特徴的な唇、松川一静という人間をかたちづくるすべてを、少女はとても愛していた。たとえ彼がユニフォームを脱ぎコートから離れても、おじさんになってもおじいちゃんになっても、この気持ちは変わらないと、信じてやまない。年端のゆかぬ少女だからこその潔癖性が、大袈裟な愛の口上となって彼のこころへ飛んでゆく。しあわせだった。くだらない欠点をひとつひとつ受け止めて笑ってくれるこの人と、ふたりで扉を開けられることが。スーパーノヴァのその先に、あたらしい星を育めることが。我儘を叶えてくれた愛しい人の、透きとおった葡萄色を見やる。世界中にたった一対しかない、わたしのためだけにつくられた宝石。)……うん。弾く。…弾くね。たくさん。(見えずとも正しく伝わるように、しっかりと頷く。弾くよ。きみを想って、劇場のフルコンサートピアノを。きみだけのために、小さな部屋のアップライトピアノを。これから、毎日、何度でも。暗闇なんて感じる隙もないほどに、たくさんの音色で青年の世界を彩りたいと少女は願う。――ああ、そっか。そして気付く。わたしきっと、そのためにピアノを弾いてきたんだ。これまで。)――……! っ、ま、………。(不意に抱きしめられて鼓動が跳ねる。けれどその腕の力強さと落ちてきた声に青年のこころを垣間見れば、不思議と気恥ずかしさは薄れてゆくのだった。代わりに生まれるのは、支えたい、守りたいという使命感、あるいは母性にも似た気持ち。あたたかな胸に顔を埋め、背中に両腕を回したなら、)――……わたしも、好きだよ。まっつんのことが、大好き。(ようやく明かすことを赦された恋情をこめて、少女は自分よりもずっと大きなからだを抱きしめた。背中を撫でる。大丈夫だからね。そばにいるからね。何度も柔く囁きながら、そっと。―――次に青年の顔を見上げるとき、少女は病がひかりを選び、喰い尽くしたことを知るだろう。深い悲しみが胸を襲い、けれど涙はこぼれないはずだ。この道をゆくと決めた。ボールを失い、"2番"を剥がれた、その背中を支えてゆくと決めた。たくさんのものを手放すけれど。いばらの道になるけれど、それでも。きみがこうふくと言ってくれるなら、わたしがきみの瞳になろう。どんな困難も笑い飛ばして、ふたりの世界を音楽で満たそう。愛を知った17歳の少女は今、幼さのヴェールを脱ぎ捨てる。消えない悲しみや綻びも、ありのまま愛して生きてゆくために。いとしいひとの閉じた瞼を、生涯あざやかに彩ってゆくために。はつ恋の叶いしましろい病室を、穏やかな夕暮れが染めてゆく。もうさみしいとは、思わなかった。)

――まっつん、あのね。(わたし、残ったよ。本選。誇らしげに伝え、応援に来てねと誘う声は甘い。目指した頂へ挑む最後の演奏。才能と努力の限界を越え、凡庸だった少女をここまで押し上げたのは、まぎれもなくこの恋だった。いちばん近くで聞いていてほしいと、ねだるあめ色は知っている。となりにきみがいてくれるなら、わたしのおんがくは、至上だ。)
Published:2019/07/17 (Wed) 08:40 [ 34 ]