あなた。恋を喪うと何が残ると思います?わたしはくすんだ瞳と、癒えない傷と、臆病なこころが残りました。
この目が潰れてしまったとしても、わたしは恋を叶えたかったのです。なので、あなたは必ず幸せになって下さいませね。
……あら、ふふ。もしかして近くに想い人がいらっしゃる?だってあなたの瞳、先程よりも一層うつくしく輝いていますもの。
ねえ、誰に恋をしているのです?きっと内緒にしますので、わたしだけに教えて下さいませ。

Character

世界は幸せばかりでできていた。インターネット関連製品を扱う多国籍企業の女社長の母は厳しく家を空けることも多いけれど、その分愛情をたくさん与えてくれて、画家の父は気が弱いけれどうんと娘を甘やかしてくれている。たったひとりの兄は生真面目に、けれども不器用に妹を気に掛けてくれていて――裕福な家に生まれ落ちた娘は穏やかに、優しく育っていった。人に手を差し伸べることを良しとするのに、くちびるから零れる言葉には甘えるような響きが伴うのは「誰かに優しくするぶん、誰かに優しくされるのは当然のこと」なのだと思っているから。娘はこの世界にまるで辛いことなんて一つもないと心の底から信じていた。他人から見て「辛いこと」にカテゴライズされるだろう出来事が全く無いわけでは無かったけれど、それは娘にとっては些細な出来事で、辛いだなんて感じるものではなかったというのが本当のこと――なので、たったひとつ、一度きりの恋を喪ってしまうまでは、娘は世界に優しくて世界は娘にとても優しかったのだ。かくして、はじめての痛みを知った娘の心はあんまりに脆くひび割れ崩れることに。失恋から幾つかの月日が流れても今まだひとりきりの時間には涙を落とす始末。それでも、学友や家族の前では以前と変わらない霞ヶ原あめ乃の姿を見せるのは――根っから「そういう風」にできているから。たおやかに、誰かに手をさしのべられる「正しい」わたしで居たいから。

First Love

その人はわたしの髪に触れてくれたのです。そうして、綺麗だねと言ってくれました。たったそれだけ、もう、それだけでわたしの胸はあつくとろけ落ちてしまいそうになって……。ふたりで一緒に美術館へ行きました、劇場へも、遊園地にも。ええ、わたしの家で一緒に夕飯を食べることもあったのですよ。その人もわたしの家族が大好きだと言って、何度も遊びに来てくれたのです。そうしたのなら……わたしが女学院に上がるころに、わたしの兄と婚約しました。大好きなひとは兄に想いを寄せて、兄もその人を愛しているのですもの。「あなたがお姉さまになるなんて、夢みたい」くすんだ瞳で、この言葉を伝えました。恋のおわりに、できるだけ、やさしい声で。