ねえ、先輩。あなたはまるで夜みたいな人よ。優しくて美しくて、儚い。沈みそうになるの。
なのに。あなたの傍に居るとどうしてこんなに苦しくて、痛いのかしら。知らないの。知らなかったの。
"好き"や"幸せ"がどうしてこんなに苦しいの? 壊れてしまう前にどうか……あたしに答えを下さい。

Character

沈む。夕陽はやがてその夜の果てへと。二度と同じ夜が来ることはない。「縁。あなたはね、夕方の夜空がとても美しい日に産まれたのよ。」──母は語り掛けるように何度も言った。「だからね、あなたの名前は"ヨル"って言うの。」──夜の空を仰ぐ度に思い出す。「そのままじゃあつまらないから、たくさんの人と"エン"を結ぶことが出来ますようにって祈りを籠めたのよ。」──まるで母親は大切な物語を紡ぐようにやわらかな口調でうたうものだから。──凛と佇む誰そ彼時の空の如く名に恥じぬ人間で在ろうと背を伸ばし始めたのは幾つの頃であっただろう。夕向縁の家庭は一般家庭。構成するのは一般家庭で生まれ育った穏やかな父親と、貿易会社社長の令嬢であった過去を捨てた母親と、その子供である縁と一人の弟。名の知れた家に嫌気が差し、我慢を重ねてきたものの遂には恋をした相手と引き裂かれそうになり、付き合いのある会社の令息との結婚を強いられた事がきっかけで家を出る。所謂"駆け落ち"で家を出て、幸せな家庭を築いた夫婦の間に産まれた娘だ。娘の縁はそんな両親に恥じぬように、強く、真面目に、冷静に育ち、普通だからこそ知る優しさに包まれて成長した。そして、自分の家庭を誇りに思った。帰宅すれば母親と夕食を作ったり、夜には家族揃ってテレビを観たり、休みの日には父親とデートしたり。常に心に有るのは"親孝行"の想い。控えめではあれど伝えるべき事はきちんと言葉にして伝え、勉学も怠る事無く励み、喜怒哀楽と感情も静かながら豊かに存在する。少女はいつかは母のようになる事を夢見て成長した。歳ならではの壁も存在したがその度に俯瞰して突破口を探る。良い子として育ち、その心に一点の曇りも無く。──勉強に励んでいた理由は母親の母校である私立花洛学園に入学したいと思ったから。いつかは母のようになり、父のような人と結婚したい。母に、捨てた過去を思わせるような事をしてしまったが説得も叶い、必死に勉強を重ね特待生枠を勝ち取り入学に至る。好きなことは家族とテレビを観ること、料理をすること、夜空を見上げること。夕方から夜に掛けての橙から紺青への移り変わりは己の名の由来である事から特に好いており、教室の窓からでも見上げてぼんやりとしている事が多い。憧れた学園への入学と言えども家族との暫しの別れは淋しい。然れどもう一つの名の由来である"縁"を多く結ぶ為にも前へ進んでゆく。夜は優しいものだ。悩みや苦しみを包み隠す夜。この世界に耀う光は目映いけれど、だからこそ優しく目を閉じる夜も必要だ。沈み込んでも猶、朝は必ずやってくるものだと信じているけれど──まだ知らぬものも、この世界には多い。それを、少女は"いいもの"ばかりだと確信している。たとえばそう、いつか来たる初恋のことさえも。

First Love

初恋……お父さんかしら。なんて。ううん、まだあたしは知らないの。"初恋"って、とても素敵なものなのでしょう。それは知っているわ。だってあたしのお母さんは初恋を叶えたの。初めて恋に落ちた人とずっと幸せな人生を歩めるってとても素敵なことでしょう、ってお母さんから何度も聞いたの。あとはいつか"お母さん"になる為には必要なステップ、かしら。──恋は時に切なくて、淋しくて、けれど温かくて幸せに満ちる──"ヨル"みたいだと思わない? ああ、あたしのことじゃないわ。"夜"。だから初恋はもっと特別だと思うの。生まれて初めて見た空みたいに、夕空の中の一番星みたいに、春一番に咲く桜みたいに。──とても、楽しみなの。