ブーゲンビリアをあなたに

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参.ペイル・ムーン・シャドウ
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東路茉
(ここははてしない夜の海。紫紺のあわい漣が寄せて返すしじまに、ざぶんとゆられてよろめいても攫われゆく砂の足元が沈んでいくだけだった。甘い逢瀬は同じだけの安らぎを得ていたこと。思い知らされるのは手を離れてから、なんて後悔は先に立たずと同義の戒めはひとりの部屋ではひときわ心を締め上げる。東路の視力の低下の自覚は早かった。手元が覚束無い症状を告げてから何度目かの診察にて漸く、目の色が人のものでは無いことが知ら締められ、穴ぼこにおっことされたみたいに周囲の環境は急降下した。眼窩に嵌められた黒い宝石は瞳の虹彩に似て非なるもの。焦点の定まらぬひかりは殊更不気味に思えたか、投げかけられる噂ごとは綺麗な宝石が嵌っているなんて生優しくもなく、「瞳が異型にすげ替えられてしまったみたいよ」って。とどのつまりは化け物呼ばわりだったのだ。呑気に笑えていたのも過日に葬られ、隔離の処置がくだされる頃には朗らかな顔も陰りが差す。憂いを帯びて歩行も儘ならぬ足取りが、ゆっくりと階段を登る様はまさしく病人、忌み者の待遇に違いなかった。)……………、……。(夜の帳が落ちて恐らく寝静まった頃合の晩に東路は静かに目を閉じておのれの行く末を思っていた。不安が先んじるものの、視界を奪われる恐怖には既に慣れてしまって、盲が治る兆しよりも何よりも閉じ込められるこの場から逃げ出してしまいたかった。夜は目を開けていてもいなくても変わらないから安心する。夜明けはまだ来ない。)
Published:2018/12/06 (Thu) 09:17 [ 15 ]
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東雲華映
どうしてそんな命令をされなくてはいけないの?!自分で関わりたいひとぐらい自分で決めるわ!!(異人だの呪いだの。耳朶を掠めてゆく話題に辟易し切った頃合い、呼び止めた教師の手を振り払ってはそう吠えた。気に入らないものの方が多く目に止まる世の中で、自ら乞うて焦がれたひとの、悪辣な風説は逐一癇癪玉の過敏な神経を逆撫でして止まず、それが結果として同級生や友人をも遠ざける振る舞いだったとしても関係のないことだ。眉間をきつく咎めてはおよそ目上に向けるには程遠い睥睨。人から人に伝染る?)なら証拠を出してごらんなさいよ。現に彼女と一緒に写真に写ったわたしはなんともないわ?……あら、ご存知なかった?もしわたしにも罹患しているのなら近寄らないほうがよいかもしれないわね、せーんせ。(くす、と歪んだ微笑を捨て置いて、反抗的な踵を返す。騒めきのさなか、好奇の視線に苛立った眼光を差し向けつつ、騒ぎが広がり自身までも彼女と同じ境遇となれば儲け物とすら思っていたものだけれど。存外日々は日常通りに過ぎ行くし、噂話の火種は少女たちの興味関心という養分を吸って燃え上がるばかりだった。終ぞ隔離されたとの流言はある日の廊下の端、「それって茉姉様のお話?」なんてずけずけ踏み入っては、気まずげな同級生を気に掛けもせずに。最早名さえ口にされぬ忌み子の処遇に、哀しげに頷いては謝辞すら口にした。──門限を疾うに過ぎた寮の一室を抜け出す胸裏に躊躇なんて微塵も無い。悪い子慣れした足取りが、月明かりだけを頼りに進むのは、未だ一度も踏んだことのない閑散とした最上階。足音も呼吸も、ノックの音さえも、ひそやかに。)おねえさま、わたしです。(呟くように辿る声が静謐を揺らす。いつかと同じ形のくせ、似ても似つかぬ哀切を湛えた声だった。誰かしら、ってまた惑わせてしまってはいけないから、)華映です、……ねえ、お顔が見たいわ…。(隔てる扉いちまい。その先を希っては触れる。)
Published:2018/12/07 (Fri) 11:40 [ 16 ]
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東路茉
(ゆめうつつ。起きているのか眠っているのかも分からない闇の中に揺蕩う中でひときわ悲しかった瞬間を思い起こしていた。包丁が握れなくなった或る日のこと。目の色が変わっていることには気づかなくとも、出来ないことが増えていくさみしさの方が余程強烈に胸裏をつんざく悲鳴に近しい。刃物は真っ先に取り上げられた。やがて鍋をかき回すことも許されなくなって、既に形作られた団子に餡をくるませて作ったおはぎが最後の料理。それから、もう、長らく、何も作っていない。)………ぁ、……んん、華映ちゃん?(落ち込んだ気持ちに比例して黙することばかりの東路は、久しぶりに震わせようとした喉の掠れに咳払い。聞こえた声は違えない自信があるものの、この状況下にて聞こえるはずもないと思う疑念で少しこわばる。けれど、懇切丁寧に名乗りを挙げた過日の戯れをなぞる行為に不思議と容易く心持は上向きになる。)あら、今はもう朝なの?(彼女の来訪が何を知らせるのかは分からなくて、出歩く時間の想像を立てては緊張感のない台詞を吐いた。そこまで見えなくなってはいないけれど、)ま、華映ちゃんたら。感染してしまうかもしれないから、私はここにいるのよ。扉は開けちゃだめなの。(優しくたしなめるような響きにて努めて嘗ての己と変わりない態度を示したい。それは彼女に心配をかけたくない今更の悪足掻きでもあって、“おねえさま”の矜持でもある。焦がれる心に嘘はつけないから、ふたりを別つ扉には縋る風情で指先を向けた。形をなぞるようにゆっくりと、淵をたどって取っ手に辿り着けば爪の先がかしりとひっかく。少ししょんぼりした声音が心配になって、「お変わりない?」とかける言葉に切実な開けたい気持ちは誤魔化しようもない。それでも、見えないから逃げられないこともあって内鍵は掛けていないことは言えなかった。きっとまた、悪いことをしてここにいるのだろうけれど、やっぱり声が聞けてうれしいから、扉以外は止められないずぶずぶの甘やかしこそ健在のまま。)
Published:2018/12/08 (Sat) 12:28 [ 18 ]
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東雲華映
(怪談だとか七不思議だとか、乙女たちを震撼させる物語を彷彿とさせるような夜闇の揺蕩う情景よりも、自ら慕い生きるよすがとさえ据える彼女の甘味と、その傍らに咲うやわらかな笑みに触れられない日々の方が余程晦くてこわかった。鉄格子に等しい意味合いの扉越し、久方振りのその声にノイズが混じれば、さっと血の気の引く顔貌。)おねえさま、体調がよろしくないの?(冷え冷えとした声色が揺らぐ。不安げな指先が白んだとて暗闇のもとでは色など解るまい。とぼけたような応答は拍子抜けするぐらい聞き慣れたそれで、陶然と問うた意にひととき目を瞠った瞬間の喫驚は音にはならずに、ひとみが悲痛を湛えたら、思慕の重みに耐えかねて視線が足元へと落ちた。朝も夜も曖昧になってしまうほどの悠久を、この薄い扉の内側で過ごしていたと言うのなら。ぎゅ、と握り締めた掌に、中途半端に伸びた爪が食い込む。)そんなの、何も知らない臆病者たちが勝手に言っているだけだわ。でたらめよ。わたし、……わたしだって おねえさまといっしょなのに……。(頼りなげな情けない音が静かに外気を震わす。我儘な口吻は今に及んだって平素に変わらぬ頑是無さ。ぎしり、扉の向こうで床の軋む音がする。嫋やかな声は未だ春の訪れを思わせる鮮やかさで胸裡を染め上げるのに、いつもどおり、が却ってもどかしく得も言われぬ焦燥感を駆り立てる。)お変わり、あるわ。……おねえさまがいないの……。(どうしようもない反抗に泣き喚く幼子と似たような原理で、今に於いて尚自分勝手な言葉ばかりが音になってゆく。自分にいっとう甘い彼女のことをよくよく知って、紡ぎ上げる言い分は遠慮を知らぬ狡猾さを把持するまま。)今は夜なの。……夜の廊下は、とっても寒いわ。(縋るように、堪え性のない指先が取っ手へと伸び、ギ、と回されたら。「……あっ?」、慣性のまま回転してゆく禁忌の扉を前に、思わず落ちた素っ頓狂。)このまま開けたら、……わたしのこと、嫌いになってしまう?(あとは開け放つだけ、の防衛線に果たして意味はあったか。ノブを握ったまま、乞うように落とすは殊勝めいた声。根拠のない風説も原因不明の病も全部捨て置いて、わたしは今すぐあなたに触れたい。)
Published:2018/12/11 (Tue) 23:49 [ 19 ]
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東路茉
(視力が衰えた頃にはめっきり減った疼痛はこの期に及んでぴしりと歪んで蘇る。堪えるようにこめかみを抑えるのに痛みの根源は瞳の奥だということもわかっているから気休めで、強まる理由は己の目で見たいものがすぐ側に待っているからだと思い至る。それが正しくも正しくなくとも、今だけは鮮やかに眼裏にて思い出すだけではない彼女の存在を感じたかった。いいえ、といらえる声は直ぐに戻った。元より病は瞳以外に罹っていない。)いいえ。元気よ、華映ちゃんも元気かな?(鈍らな身体は閉じ込められてから益々愚鈍を極めてゆくけれど、気力を振り絞れば存外反応は戻るものだ。幾ら内心の反抗があったとて己の無力は身に染みて、為す術もない現実に歯向かうだけの余地もなく自覚のないまま疲弊していたことを知る。強がりではなく安堵を齎す彼女の来訪は、聞こえる強気の言葉に苦笑混じりながら東路の心を確かに温める。)ええ、華映ちゃんも私と一緒に行ったわ。ちゃんと覚えてる。とても、素敵なお散歩だったの。──…私の眼はきっと別のことよ。(噂の一端にある写真を撮った事実と、流行病の可能性に照らし合わせていの一番に確認したのは彼女の状況だった。問題ない、同じ症状は見られない。すんなりと報告してくれたのは独り囚われる故の温情やもしれなかったけれど、東路はそれだけを慰めに隔離されることを耐えてきたのだ。──吐息の震える音さえも聞こえてしまいそうな静寂の中で語られる声音は一層切なげに響いて、遮る扉の向こうで強請る彼女のお願い事は何でも叶えてあげたい心が喚き出す。窮屈な肋骨の奥で感情の奔流は戸惑いに変わっていた。もしも本当に感染してしまうなら開けるべきではない。されど、)……わたしは、扉を開けても華映ちゃんを嫌いになったりしないわ。(開けない。開けちゃいけない。会いたい。矛盾する欲を抜きにして、答えるべき本当はどうしたって嫌いになれっこないってことだけ。「こっちも暖かくはないのよ」簡素な牢獄じみた部屋は言うてそれでも階段よりは暖かろう。開いてしまった扉に抵抗せずして出迎えるなら、困ったように笑う瞳に嵌る黒が彼女にも認められるか。光芒は薄く輪郭を茶色に滲ませつつも、きらめく宝石らしさはない。黒くくすんだ感情の虚ろな瞳に似た、されども何も映さぬ石。心眼を研ぎ澄ませ本質を見据えられるらしいかの石の嵌った眼窩は、ただし外界を望むことは出来ないのに、只管ひとつの想いを鮮明にさせた。──好きって気持ちは素敵なことなの。わたしは、あなたが大好き。好き。)あのね、……会いに来てくれて嬉しいの。華映ちゃん。(初めに言い忘れたってふうに微笑んだ。最後に姿が見られて良かったなあって思った。衰えていくぼやけた視界にせめて彼女を見つめられる残り時間の僅かな隙に。笑いながら、一筋だけ。月明かりにまたたく雫が、ほのかなさみしさの証としてこぼれ落ちた。)
Published:2018/12/12 (Wed) 23:13 [ 20 ]
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東雲華映
(冷えた夜も月光も、今までに何度だって踏み越えた風景。けれどいつか春の日、彼女の温もりを知ってしまったから、まるで一人きりで生きていた時分の歩き方なんてちっとも思い出せないで、今だって甘えたな指先は斯様な状況に至ってまで“おねえさま”離れ出来ずにいる。降り積もる声だけを聴きながら、悲痛とも喜々ともつかない胸裏が落ち着かない心地で、けれどこの期に及んで、このこころを揺らすのは彼女の声だけだと思い知らされるようだった。)……なら、どうしておねえさまが閉じ込められなくちゃならないの…。(おねえさまだけが。いっそ全部一緒だったらよかった。或いは彼女じゃなくて自分だったら。下唇を噛むのも、無機質な足元の木目を睨め付けるのだって、自身の無力さが情けないからなのに。ひとつだけ零した自己嫌悪の欠片が意図せず責め立てるような音になってしまえば、また後悔が小さな胸を締め上げて苦しい。扉へ掛ける指先が冷ややかなのは、物理的に寒いからでも、況してや紙一重の感染に恐怖するからでもない。常として手向けるばかりのわがままが、今以て彼女に拒絶されることが怖かった。扉のむこうの当惑も葛藤も知りもしないで、己を絆して憚らないその声を、きっと、最初から知っていたのだ。望んでいたのだ。最後の砦みたいなやさしさだけで形作られた、困ったような附言なんて聞こえない訳ないのに聞かなかったふり。ガチャリ。牢獄の戸は殊の外かんたんに開いてしまった。踏み込む一歩で彼女に届けば、反射のように、引力のように、伸ばした両腕に彼女を抱き留めた。)〜〜〜っ……おねえさま、 茉ちゃん。  ………茉、(たったひとつ。唯一の幸い。禁忌を踏み荒らす慕情の吐露は誰の目にも止まらない世界の隅っこで、人知れず、希って愛しい名を象った。何度だって胸の内側で、くちびるの閉ざした舌先で、夢見た音色がまろび出る。わたしだって、)会いたかったの、ずっと。(たったの数日で、世界は終わったようだった。ぎゅぅと一度力を込めて身体を離すと、他人事の様相で降り注ぐひかりに淡く照らされる彼女の黒々としたひとみに魅入られる。ひととき、ぎくりと心臓が強張った。思わず伸ばされた掌が頬を包むように触れる事が叶えば、)………きれい…。(拭うようにして親指がすべらかな頬を撫ぜてから。愛しんでは惹き寄せられて、眸のふちにくちづけよう。潤んで落ちたしずくと共に、きらきらと光っている。脈動する心臓が唄うのは、畏怖にもよく似た、紛れもない恋心だった。上げた踵が地上へ戻れば、)泣かせたくなんてないのに、わたしの前で泣いてくださるのがうれしいの。へんなの。(困った風にくしゃりと笑う。逸らさぬ双眸の奥で、反射する自分の顔がよく見えた。ふたりぼっちの月夜が見せる幻とも惑うような、本当に不思議な心地。)わたし、あなたを誰にもやりたくない。……本当は、婚約者にだって、よ。(内緒話の声色でひそめた音は、甘言をうたうように紡がれる。何度も触れたい手を掬う。大好きをいくつだって作り上げてしまう、焦がれて止まない、魔法の指先。そうして此度頬を弛ませるのは、不敵さすら滲む笑み。)病気だと言うなら、……わたしが治すわ。あなたの不安なんて、わたしが全部残らず食べてさしあげる!(神も仏もくそくらえ。捧ぐ心は彼女にだけだ。ひひ、と朱唇に悪戯を刷いたなら、たったひと匙でもその胸裡を脅かす不穏を取り払えたらと、願ってしまう傲慢は思慕だった。無責任な大口を約束にする事が叶うなら。ふたりだけの温もりを、あてもない希望を、暗い夜闇に咲かせたい。)
Published:2018/12/14 (Fri) 18:54 [ 21 ]
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東路茉
(もしも、立場が逆だったら。もしも、ふたりとも見えなくなっていたら。取り留めもなくぼんやりと想像することはあったけれど、どうしたって思うのは私だけで良かったってこと。彼女の気持ちが己に少しでも似ていたなら、きっと私のことで頭が一杯になってしまうと思うから少しだけ嬉しい。これはとっても狡い考えだから一笑に付して隠してしまおう。一度は立てた彼女との隔たりも、矢張り我慢はできなくて辛抱堪らず崩壊させてしまう。瞳に映した彼女の姿は確かに変わらず、されど鮮やかな色を身につける彼女の色合いが視界の所為か、光の少ない部屋の所為かくすんで見える。)まあ、本当に冷えてしまっているわ。(すり、と猫が懐くみたいな仕草で寄り添って抱きしめ返す。ぬくもりは本来の温度以上に、心が嬉しがってあたたまる。あまり良い噂を聞かない己の瞳のことを肯定的な感想で示されるとは思わなくて、きょとんと間の抜けた表情に被さる柔らかな感触が触れる吐息と共に双眸に嵌まる黒い石のことを漸く察す。僅かに沈黙を挟みて、)……、黒砂糖なら良かったのに。(甘い黒蜜に琥珀糖、寒天の透明感に潤んだ蜜の涙が滲んでいれば、もしかしたらあなたがもらってくれたかもしれないのに。冗談混じりに微笑みながら、いっそすべて彼女に食べてもらえたらいいのにと途方もない想像が浮かぶ。今まで以上に焦がれて強く惹かれる引力みたいな強かさが、小さな唇から溢れ落ちる言葉に一層の熱を伴わせて東路の心を焼く。ひとつぶと決めた涙がぶりかえしそうなやさしさと、嬉しさが、小さく確かに心の内側をくすぐって、ふふふと笑った。)とっても情熱的な台詞。華映ちゃんは下手な殿方よりもずっと、素敵。(愛おしがる仕草は私だって。指先を絡めて見つめ合うだけのほんの少しでこんなにも欣喜が体中をめぐって生き返ったみたい。元からと言ったって間違いはないけれど、今夜は特に彼女の一挙一動がやけに可愛く見える魔法がかかっているみたいだから、その衝動には抗うこと無く「かわいい華映ちゃん、」と冗句の前置きを述べて、)悪いものは食べちゃだめだよ。口直しはちゃんと美味しいものを用意しようね。(嬉しげな声音が彼女の宣言を肯定しつつ、的の外れた念押しは、それでも彼女との明るい未来を望む我儘だった。)
Published:2018/12/15 (Sat) 23:58 [ 22 ]