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續.渺茫なる春嵐の向こうに |
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![]() 東雲華映 |
(まるで作られたもののように、可憐さだけを纏って微笑み合う乙女の肖像。たった一枚きりの写真を、後生大事に、肌身離さず持ち歩いた。彼女から光を奪ったあの日から、少女の心は少女のままだった。一緒に生きたいと願って、彼女となら何処にでも行けると信じていた。けれど遠い冬の日、逃避行の真似事をなぞらえてみたところで幼い同士の二人では結局大人に見付かってしまって、駆け落ち遂げることも叶わずに周囲の憤慨を一身に受け止め、此度幽閉の目に遭ったのは、浅ましく虹彩に光を湛えたままの少女の方だ。両親に何と咎められても頑固な唇を開くこと無く、終ぞ戻された学び舎は日常に程遠い。彼女の居ない学院内は正しく檻の様相で、一層厳しくなる監視の目に、然し抗う気概をも取り落とした女は身を以て生き地獄の意味を知る。たったひとつの色彩を欠いて巡る世界は途端溢れていた鮮烈を失い、ただただ無気力に、無機質に、"本当"の一切に鍵を掛け人形のように過ごしていたら、卒業する頃には優等生と呼ばれていた。それは図らずも、両親の望んでいた姿に違いなかった。前より嘘が上手になった。作り笑いを、作り笑いだと見抜ける者も居なくなった。胸の底に据える想いは決して朽ちる事はなく、命さえ惜しくなかった危うい価値観が辛うじて生を繋いだのは、生きて、って言ってくれるひとがいたから。追想は鮮やかに、思い出だけが色を持つ。彼女と過ごしたたったの数年。数ヶ月。数週間。黒々とした双眸が、いつ何時だって冴え冴えと脳裡に蘇る。写真に触れて、彼女のことを思い出す砌だけ、息をしていた。) (東路家への贈り物。正しくは、その家の娘への届け物が年に4回、彼女が学院から姿を消してから一度も途切れる事は無かった。彼女の手に渡ったかは知れずとも、春夏秋冬が立される日に、或いは彼女の生まれた日に。数々のブーケを必ず贈った。桜や梅に菖蒲や鈴蘭。蓮華に百合に、霞草。彼女を想えば沢山を詰め込んで贈りたくなるけれど、視力以外の感性で認識できるようなるべくシンプルに。統一性の無さこそが無記名の送り主を詳らかにしていて、だってどんな花を目にしたって思い浮かぶ姿はたった一人だけに違いないのだ。いつだって絶えることのない恋の息吹を、花々に託して。一方的でも傲慢な所業を、許してくれると知っていたから。──東雲流の跡継ぎは長女に。次女は良家の許嫁の元へ、定められた通り嫁いで行った。ある時から熱心に華へ触れるようになった三女と云えば、まだもう少しお華の勉強がしたいわとしおらしく強かなわがままのもと、卒業と共に嫁ぐ筈だった縁を引き伸ばしては展覧会に足を運んでいた。学生時代からぴたりと鳴りをひそめた傍若無人は眸の奥に閉じ込めて、いやだのきらいだのと厭い続けた幼馴染との逢瀬にも抵抗しなくなって久しい。だからそんな娘のささやかな強情に、周囲の大人たちは困ってくれていたのだろう。勉強と称して商いの場にも赴いた。常に身近にあった花々の生き様を初めて知った。女は家庭に収まる腕だけ磨いていればいいと、相手方の両親は良い顔をしなかったけれど、己を嫁に迎えると信じて疑いもしなかった婚約者は穏やかに見守ってくれていた。ああ、なんて馬鹿なひと。彼に手向ける笑顔ばっかりは、すこし歪んでしまっていたのやも。そんな綻びさえ、心に棲み着くよすがをおもえば、無かったことにしてしまえる。彼女のためならなんでも出来る。地の狡猾はそう簡単に覆る筈も無く、幼き時分から苦手と類した優等生然とした立ち振る舞いは、周囲を欺く為だけにと思うなら存外簡単に身に付いてしまうのだから人の欲とは底知れないものである。巡るひととせ。過ぎ行く日々。彼女の家へ届く華が、もう何巡した折だろう。髪も背も伸びて、すっかり大人になってしまった。恋ばかりを歌って自由な日々を駆け抜ける少女はもう何処にも居ない。会いに行きたい衝動を何度も越えた。一人の夜には慣れなかった。彼女は自分のことがもうわからないかも知れないけれど、それでもこの手を取ってくれる自信があった。とある冬の日、彼女の手元に届くのはたった一本の、愛を唄う薔薇。) (真夜中の窓辺を叩く。いつかの遠い日、誰も居ない廊下でその戸を叩いたのとおんなじやさしさで。恐れも不安も無い、ただ穏やかな胸裡を持して、他人の家に忍び込む袴姿は見る目が見れば即お縄の危うさだ。けれどまるで悪戯っ子の心持ちでくすぐったく騒ぐばかりの心臓をあそばせたまま、薄硝子が開け放たれるのを待った。──そうしてきっと、世界は再び動き出す。久方振りに映じる彼女の双眸、頬、黒髪、指先。そのすべてが真っ暗な世界に色を灯して、呼吸を教えてくれる。奪った光を与えるように、恭しく、その手を取った。)茉。わたし、あなたを攫いに来たのよ。(とっておきの愛の言葉をささやくように音に乗せる。軽やかな足取りで、踊るように、この手を繋いでお散歩に行きましょう。少し遠いかも知れないけれど、今度は絶対に離したりしないわ。誰もふたりのことを知らない場所で、共に生きたい。街角の小さな家に花屋を開いて、彼女の手を助けながらお菓子を作って。そんな幸福の総てを掻き集めたような毎日を、あなたの隣で、世界の隅っこで。)……ねえ、わたしと生きて。(今度こそ、永遠に。) |
Published:2018/12/31 (Mon) 20:20 [ 32 ] |
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