ブーゲンビリアをあなたに

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弐.春はディミヌエンドに
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四賀龍子
(まことしやかに囁かれる噂話の根源。件の写真館へ赴く約束を交わしたのは、数日前のことだった。ささやかな小川のせせらぎが冷たく耳朶を打ち、頬を撫でる風は雪の女神の指先に等しい。しかし半纏を羽織るには未だ早い時分だ。──麗の陽光の射し込む、煉瓦の畳の上を軽やかに蹴って歩く。その足音は淑やかに、さりとて溌剌と音色を響かせた。黒い編み上げのブーツに、普段よりも少しばかり洒落っ気を持たせるように飾られた、頭の上の花飾り。紅を引き、袴姿こそ今日日まで変わらぬけれど、その頬は僅かながら紅潮しているようにさえ思われた。血色の良さをありありとし、陽光の元に晒す乙女の肉体は穢れも知らない。数多の神々の前に出て猶、恥ずかしくもない清らかな娘の身。その指先には、と或る少女の指先が絡められていることだろう。その、と或る少女こそが、此度の出掛けの約束を結び付けてくれた当人であり、娘が妹と呼んで可愛がる人物だった。──噂ばかりが立ち込める乙女の花園に於いて、その環境下にながく身を置くと、耳には蛸ができるほどに同じ噂話を齧ることがある。それがこの写真館も例外でなければ、娘は噂の中にその在り所を知っていた。故に少女の手を導くように引いて、その道を歩まんとするだろう。──散歩日和のよき日にて、少女と歩むこのささやかなひと時さえも、娘にとっては思い出と成り得る輝かしいものであった。)もう少しよ、千代。疲れていない?大丈夫?(年下の少女を気遣う様は、正しく傍目には姉のように映ったかもしれない。正しき血の通いはなくとも、共に同じ血を有せずとも、娘と少女は確かに姉妹であり、時にはそれ以上であった。年下の少女は愛らしい妹。そうして、良き友。──はたして。繋いだ指先から伝わる血潮に、感じる想いはそればかりだろうか。その答は、自ずと写真館を訪れ、写真を撮る誘いに乗った頃より、今日に至るまで。きっとその姿を陰に潜め、自身の出る幕を今か、今かと。待ち構えていたに違いなかった。そうでなければ、或いは。)
Published:2018/11/24 (Sat) 20:01 [ 12 ]
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山縣八千代
(麗らかなる柔らかな陽光が窓辺より差し込む様すら格別──清澄なる空気を思い切り吸い込んでは、天を覆う穏やかな蒼に娘は眦を緩めた。早起きは苦手故に、平素はシーツの波に身体を預けてばかりいるくせ、彼の乙女との契りがあるとなれば途端、平素愚図ってばかりの体躯も軽やかに寝台よりつま先を冷たい床へと落とすことを厭わぬのだから恋情とはまこと魔法の如く。長い黒檀の髪を椿櫛にて丁寧に梳く。艶が出たところで、緩く波立たせたならば手馴れた様子にて最近特に気に入っている所謂耳隠しの髪型へと。上瞼に散りばめるは薄桜の粉。唇には、過日、姉と慕う少女との縁を齎す切欠となった紅をちょこんと乗せて、仕上げとばかりに天の蒼にて染めたようなベレー帽を被る。色鮮やかな着物に、深紅の袴を合わせ、足元には網上靴を──モダンガアルの井出達は、母に憧れて始めたもの。仕上がりに相好崩し、笑みを置き土産として娘は、唇より、靴より楽しげな音を奏でひとりの少女の元へと駆け出した。そうして、合流が叶った暁には、美しく彩られた少女の姿へとありったけの賛辞を紡ぎ、その傍らにて自らをも褒めて欲しいと強請るような視線を向けたことだろう。乙女の姿を瞳に映した刹那、瞳の奥にじわりと熱が帯び、その輪郭が歪んだように感じられたも、ここ数日で幾度も経験した事象となれば娘の笑みを影らせるには至らず。絡め取られた指先を認識すれば、喜悦ばかりが意識を奪った。)ええ。お姉様と手を繋いでいるからかしら。今日の千代は、何処までも行けてしまえそうだわ!ふふっ。お写真を撮り終えた後のクリィムソオダもとても楽しみ。(気遣わしげな言の葉に返す旋律は明朗に。きゅ、と指先に力を込めることもおまけとして。そうして、幾許か少女の導きに従い、歩みを進めたならばふたりの前に九重葛の館が現れる。絵画に描かれし洋館を彷彿とさせる佇まいは、どこか浮世離れした雰囲気を纏って。より一層の期待感を娘に抱かせた。)九重葛の扉飾り──お姉様、此方が噂の?(確認のため娘は少女へと再び視線を向ける。美しい横顔を映じて、また、ちくりと痛みが走った。)
Published:2018/11/25 (Sun) 16:38 [ 13 ]
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四賀龍子
(天候相成り、来れ幸い。常日頃の行いがよろしいかと問われると、如何せん口吻は噤まれる記憶もあろうことだが、良い子のように愛らしさを振り撒いては周囲に好かれる少女のことを想うと、今日日の散歩日和は少女の齎した賜物であろうかと。神にも好かれる少女なればこそ、今日日の天候さえも幸いの色彩の内側に閉じ込めて操れるものだとは、娘ばかりが勝手に脳内にて巡らせる考えに過ぎない。些か、否。大概にして。少女には甘いところの多い娘であるから、何の幸いにしても少女が傍らで笑みを咲かせる時には、きっと此度の幸いは少女の呼びつけたものであるに違いないと。そう確信して疑わぬほどに、娘は少女のことを好いていた。これを恋情と呼ぶのか友情と呼ぶのか、将又家族に対する情と呼ぶのかを噛み分けられるほど、娘は人の世に出たこともない。世間知らずの高枕よろしく、檻の中で見詰める世界だけを全てと思い、生きるより他に路はない。一人娘ということもあれば、妹のできた感覚も正確には知らぬから、こんな具合なのかしらん──とは、やはり胸中に想い留めるばかりの感想であった。──斯くして顔を合わせるなり、少女に賛辞を受け賜わると、娘も同じだけの大袈裟なまでの賛辞を返した。そこに世辞も偽りもなければ、純真なる想いからくる音色だと、少女の理解も得られるだろうか。常々として凛としたるこの娘は、如何にもきゃっきゃの黄色い声音が似合わぬ風貌であるからして。)まあまあ、そんなにはしゃいでは淑女の名に埃がつきますよ──なんて。あたくしも千代にお小言を紡げる立場ではないのだけれど。はしゃぐ気持ちは重々わかりますけれど、あんまりはしゃぎすぎてクリィムソオダの前に力尽きてしまわないように、注意して頂戴ね。(ささやかにして込められた指先の力は、小鳥を指先に乗せた折に感じた力強さより、一等の儚さと頼りなさを感じさせるばかりであった。庇護欲を掻き立ててやまぬ少女は、それも持ち前の才であろうか。──軈て辿り着いた写真館。洋館は茂る緑に包まれ、そこだけが空間を分けられたように感じられた。)ええ、そうでしょうね。ここの他には似たような場所もないようだし……、違っていたら御免あそばせとでも言っておきましょう。(洋館を眺める娘は、少女の痛みなど露程にも知る筈がなかった。──繋いだ指先もそのままに、扉を開くと金具の軋む音が響く。「御免くださいまし、」娘のよく通る声音は、写真館の主人の鼓膜を揺らすまでに至るか。)
Published:2018/11/26 (Mon) 21:38 [ 14 ]
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山縣八千代
(天の蒼は夏の頃と比すれば随分と柔らかく、頬撫でる風は冷涼──さりとて、花唇より落つる呼気は未だ空気を白に染め上げることはない。繋いだ指先より伝わる温もり。学園より此の方絡められ続けたからか、いつしか互いと互いの体温が混ざりゆき境目が無くなったかのような錯覚に苛まれる。他方で、少女の指先は其の出自柄か、甘さや柔らかさばかりを与えられ育まれた娘の指先とは異なる質感を持し、二人の輪郭を明瞭に保ち続けていた。誰よりも近しく在るというのに、否、だからこそ、決してまじらうことは出来ぬ存在だと本能が察すれば、無意識の内に娘の指先は此度は甘えるように、戯れるように握ったままの少女の手の甲を、さわり、と撫でる。二人分の靴音が楽しげに晩秋の風に乗って耳朶掠め、次いで、少女の慈愛抱く声音が鼓膜を揺らす。)千代は、お姉さまの前では淑女ではなくて、ただの千代ですもの。お姉さまもどうぞ千代の前では、ありのままを見せてちょうだいな。 ふふっ。 はぁい、お姉さま。(蜜を孕んだ様な甘い声音、ゆるゆると緩められた眦、対して、口角は常に上を向いて。幸福を形にしたが如き相好にて娘は少女の傍らを歩み続けた。して、娘の問いかけへと少女より諾が紡がれる。その後、凛と響く少女の声が邸のなかへとまっすぐに吸い込まれる様を期待に輝く栗色にて追いかけた。九重葛が花飾り美しい扉を開いたのは、さて、娘だったか、少女だったか、それとも邸の主だったろうか。何れにせよ、建築されし薫り高い洋館に入室して幾許も無い内に先刻の少女の声音を辿ったのであろう女性と相対すれば、その眼窩にて煌く虹を擁く蒼へと無遠慮に視線を向けながらも「お写真を、撮っていただきたいの。」と訪問の目的を静かに告げた。繋がれたままの二人の指先へと視線を遣った女性より、「仲が宜しいのね。」「素敵な写真になりそうね。」と柔い言葉を賜れば幽かに胸に湧出していた緊張もするりと解け、賛辞へと謝辞を紡ぐこともあったろう。そうして、通されたは静謐なる撮影室。準備があるから、と邸の主人が退室をした後に娘は、ほう、と息を吐いた。)異人さんなのかしら。とっても素敵な、宝石のような瞳の方ね、お姉様。ふふっ。あの方に撮っていただけるなら、千代たちも宝石みたいに輝いてしまうのかしら。(よもや彼の瞳が後天的な所以によるものとは想像も出来ず。無邪気に語る娘の姿が結ばれる。)
Published:2018/11/27 (Tue) 18:18 [ 15 ]
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四賀龍子
(古き良きを重んじ、あくまでも時代の流行にのることを恥とし、道徳とは何たるか。それを説かれ育った幼少期。握らされた竹刀のお陰で、娘の手は随分と娘らしさを失いつつある骨張った手だ。握りを強める折に力の入る部分には硬い胼胝も出来ていただろう。それに比べ、なんと少女のやわらかな指先。何の苦労も知らずに今日日までを生きてきた少女の、正しくその人生を現しているようであった。甘い曲線は何処までも少女らしさと女性らしさの最中で揺れ、綻ぶ前の花蕾を彷彿とさせる。軽快且つ快活に響く二つの靴の音色が混ざり合い、軈ては幸福の音色を響かす存在の出来上がりと相成るか。して、娘のお小言は実に姉ぶったそれであったが、如何にもその小言に対する反論は、ならば致し方なし──の一句の内に治められてしまいそうなほどの、蜜に似た甘さと濃厚さを帯び、娘の耳朶を揺らした。)あたくしはいつだって、千代の前ではありのままよ。まあ、多少姉様ぶるところはありますけれどもね。──はい、良いお返事。(口許に孤を描き、勝気なきらいの漂う笑みをみせる娘は、確かなる少女の応答に満足げであった。──娘の呼びかけを切欠として開かれた扉の先、広がる洋風の繕いは如何にも馴染みの少ない空気で満ち満ちているようだった。和文化に重きを置く家に生まれれば、自然として和に親しむことの多い娘は、この洋風に暫し双眸を瞬かせる。その間に、少女の方から本日の目的を館主へと告げられると、二の句を紡がんとする娘の唇は、それ以上の動きをみせることもない。──摩訶不思議な色彩を宿す館主が姿を消すと、娘は小さく胸を撫で下ろす。同じ人間だとは知りつつも、多く目にしたことのない色彩を目にすると、多少なりとも緊張に似た感情を抱くのは、生物としての本能故か。して、掛けられた少女の声音に、)本当に美しい眸だったわね。──あら、千代は別段綺麗に写真に遺していただかずとも、今だって十分に綺麗よ。宝石のように輝いて見えるわ。この姉様の眸にはね。(この時には未だ、無邪気が生む罪を知らずにいた。無知は罪であるとはよくも説いたものであったが、この時ばかりはそんな言葉も浮かばぬほどに、娘とて浮き足立っていた。──この出会いが何かを変える切欠にまで至る確率など、計算する素振りもみせなかった。)
Published:2018/12/01 (Sat) 03:27 [ 16 ]
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山縣八千代
まぁ!何よりもうれしいお言葉だわ。 けれど、本当。お姉さまは千代の喜ばせ方をよぉくご存知よね。(愛情の与えられ方も、受け取り方も、乙女としての育まれ方も何もかもが対照的。正反対の二人の娘は、全ての乙女より個を奪わんとする鳥篭にて縁を結び、そうして、決して許されざる共通の想いを抱かんとしている。花開くことを赦されぬ恋のつぼみ。摘み取られるが定めの其れを娘自身は、けれど、現時点では其の存在すら気取れずにいた。心に抱く少女への想いはひどく単純で。いつだって、より一層を求める貪欲さを秘めている。指先は握るのみならず、絡め合わせて。賛辞の言葉は幾度耳朶を打とうと、其れが少女の声音で構成する限り飽くということも知らぬだろう。そうして、その貪欲さが顔を出すは、写真館の一室でのやり取り於いても散りばめられる。)千代のおうちに時折いらっしゃる仏蘭西の技師の方も海のような色の瞳をされていたけれど、先ほどの方は虹が架かった空のような──美しいものばかりに触れていらっしゃるからかしら。ふふっ。お姉様ったら。千代の瞳がお姉さまの言うとおりきれいに輝いているなら、それは千代がいつもお姉さまを見つめているからね。きっと。(口吻は当たり前に賛辞を受け取って。謝辞の代わりに、少女への思慕を旋律に滲ませる。そうして、写真館の主が準備を整え戻ってきた暁には、娘は少女へと椅子に座ってほしいと強請るだろう。身長差故に平素は幾分にも高い位置に存する少女の相貌。眼窩に嵌められし黒曜石が如き虹彩との距離を縮めるために。若しも、少女が娘の我侭に応えてくれたときには、その肩にそっと指先を乗せて。叶わずとも、いっとう近しい距離にて寄り添うように写真機の前に立つはず。娘は、幸に充ちた、けれど、何処か面映そうな相貌を写真館の主へと晒し、かくして、穏やかなる晩秋の一時、二人の娘が確かな個を抱いていた瞬間が世界より切り取られる。近時、時折苛まれた瞳の疼きすら忘れるほどに熱を孕んだ栗色は、疑うことすら無かっただろう。よもや此度撮影した写真を、否、いつだって追い求めていた少女の姿を映すことが出来ぬ日がくるなんて。)──さ、お姉様。クリィムソォダを頂きに参りましょう!(写真館を発ち、真っ先に湛えられた相貌は輝かしい未来ばかりを信じていた。)
Published:2018/12/03 (Mon) 13:27 [ 17 ]