ブーゲンビリアをあなたに

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参.ペイル・ムーン・シャドウ
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山縣八千代
(娘の虹彩へと宝石の如き美しさを与えたのと引き換えに、神は娘の世界を一変させた。甘いクリィムソォダのような喜悦に満ちた少女との逢引の日より数日──同室の少女へと朝の挨拶を紡ごうとした折、眼前の少女の相貌に畏怖が滲んだ。普段であれば視線を交錯させ、笑みを湛えてくれる同級の好があからさまに娘を忌避し出したのは、直ぐのこと。お小言を紡ぎながらも、最後には「仕方ないわね。」と柔い声音を紡いでくれる教員ですら、隠しきれぬ狼狽を顔貌に乗せて。気付けば傍らには誰の体温を感ずることもなくなっていた。此れまで、甘く優しく穏やかな世界ばかりを与えられていた娘にとって、それは正しく煉獄の如く。娘の身を焼き尽くさんとする業火は無くとも、方々より注がれる奇異なる者を視る多くの視線が、敢えて其の耳朶へと触れるように囁かれる冷罵の言の葉が、娘が何を紡いでも広がる静寂が娘の心を殺いでいった。当初は、無垢なる心のまま、自らの瞳に宿った輝きを好奇心溢れた眼差しで姿見越しに見ていたものだが、数日も経てば斯様な挙動も見る影無く。甘やかな蜜の海にて純粋に育まれた娘の心に耐性など望むべくもないとなれば、遂には癇癪玉を爆発させて壁に掛かる姿見を衝動的に割り──、そうしてまた謗りの種を蒔いていく。削いでも殺いでも一向に表出せぬ人よりの優しさ。娘を包む陰鬱な空気は、次第に娘の内部をも侵食し、最上階の一室への隔離──半ば、幽閉とでもいおうか──が決まった折には、「どうして、千代がそんなこと……」とか細く紡ぎながらも、牢へと続く階段を粛々と登る姿が見て取れたとか。そうして、連れられた一室においては決して自らの姿を瞳に映すことがないように分厚いカーテンを締め切りにし、静かに過ごすこととなる。美しい物語が描かれた書物も、随分と読み難くなった。何もかもが娘の心へと刃を剥く世界──窓辺、カーテンの合間より注ぐ月影の強さに、今宵は満月かしら、と思索廻らせようと、夢想に耽ることもなく。一人の夜は、静かにその闇を深めてゆく。)
Published:2018/12/05 (Wed) 14:49 [ 18 ]
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四賀龍子
(日々は忙しなく過ぎ去ってゆく。紅葉の紅や黄を眺めた折があるかと思うと、指先の悴む冬はすぐそこまで迫っているようだった。すべてを堪能した秋が去る頃に、冬はいずれ生まれ落ちるだろうと思われた。粉雪に牡丹雪、様々な真白を散らしてやまない季節。凍てつくような寒さとその白銀の世界とが、妙な具合に入り交じり、幻想的な景色を人々の前へつくりだすことも困難ではなかった。偶然の賜物とは斯くして、或いは必然の細糸に依って集められ、蝶々結びにされたものであるなら、此度。少女へ降り掛かった理不尽も、きっとそうであるに違いないと、気高き龍の名を持つ娘はひとり、想いを胸に留めていた。──「そんな莫迦な話があるものですか。もう一度言って御覧なさいよ、そうしたらあたくし、あなたの頬をぶって目を覚まさして差し上げるから」啖呵を切るような勢いで、凛と背筋の伸びた声音に乗せた言の葉は、自信に満ち満ちたるものであった。最近、一部の生徒が他の生徒達から卑視線を浴びている。それは人々が異端者を見詰める折に綯交ぜとする、軽蔑と嫌悪の色がありありとして表現されていた。──右に倣えと言われれば、右に倣うのが正しき者。そう教えられ続けた日本国民は、この時代には個性というものに関して無頓着を通り越し、何故か軽蔑を向けたがるきらいがあった。眸の色が黒色や茶色ではなくてなんだというの。何色をしていようとも、それが宝石のように輝きを纏っていようとも、その持ち主の心持ちは決して移り変わることなどないのだと、如何して時間を共有した周囲が理解できぬか。──異端者であるが故。答えはその一句に尽きた。皆と同じではない少女は、軈て哀れにも幽閉されることとなる。小耳に挟んだ話によると、それは寮の最上階であるらしかった。逃げ出そうにも、逃げ出せぬ場所を与えてやること。容易に少女に近づく者のないように計らうこと。二つの便を叶えた最上階に、さりとてこの娘が挑まぬほどの気弱娘でないことは、きっと誰もが承知していた筈だった。────月夜の晩。真ん丸の形を模したる月が、漆喰の如き宵闇を照らしていた。星明りも疎らとなれば、足元を視認する為の橙灯も不要と見做し、娘は夜の朧に染まる明かりばかりを頼りに、その一室の扉の前まで足を運んだ。忍んだ足音は、誰かの夢を現に引き戻すこともない。そうして、)千代。八千代、起きている?あたくし、龍子よ。(二人を隔てる薄い扉を、左の手の甲で軽く二度、三度ほど叩いてみせた。響く軽やかな音は、静寂の夜の底を這いずるというよりも、静寂の夜の空気に乗せられて、ひっそりと宵闇の内に消えゆくように感じられた。)
Published:2018/12/06 (Thu) 01:09 [ 19 ]
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山縣八千代
(この数日、娘が特定の誰かへと想いを馳せたとすれば、其れは家族でも級友でもなく、過日寫眞館への道を共にした少女のみであった。巡らす思索は時を経るごとに変容し、──当初は、少女と会いたいという希求が色濃く、次いで、自らの双眸と同じような事象が彼女を襲っていたらという憂慮が加わり──今となれば、恐怖が強く娘の心を支配している。箱庭の姫であったことを差し引いたとて、蜜園にて育まれた娘は、これまで他者よりの棘を感じたことは無く、故にこそ自らを襲う刃への対抗手段など何も知らない。自らを襲った変容を切欠に様変わりした世界にて、彼女だけは屹度と縋る心地と、もしも彼女にまで記憶に刻みつけられた痛み伴う視線を投げられて仕舞ったら、と。逢えぬ寂しさに募るは泣きたくなる心地、けれど、真実と向き合わぬうちは自分善がりの寄る辺ともできる故にどこか安堵にも似た心地もあった。夢路につく折には、いつだってまなうらに少女の姿を浮かべていた。まなうらに描かれる幻影は、過日と変わらぬ明瞭なる影形を伴って、体のうちに少女が娘を呼ぶ響きが反響する。寝台の上、膝抱え、今宵も優しき幻想に身を委ねようとした刹那、柔い音が耳朶に触れる。裡からではなく、鼓膜を外より叩く穏やかなる声音。聞き間違うはずも無い姉と慕う少女のもの──)おねえ、っ……(思索より先に言葉がまろび出るも、全てを紡ぐより先、さきの恐怖心が心を冒した。もう随分と姿見を見ていない。己が認識よりもずっと色が変容を遂げていたならば。どくん、どくんと脈打つ鼓動は過緊張を強いられて、寝台より降り、扉へと向かう足取りをより一層覚束無いものとする。少女が触れたであろう対面へと指先を這わせて、すぐに離しては躊躇うように柔く握った。)どうなさったの、お姉様。……怖い夢でも、見られたのかしら?(碌に笑みすら湛えられぬくせして、声音ばかりは彼女の記憶に刻まれているだろう明朗なものを努めて紡ぐ。)千代ね、いま、髪も梳かせていなくって、着物もとても質素なものなの……全然、可愛くないの。(紡ぐ言葉に虚偽は無かった。徐々に落ちゆく視力、助力求める影も居なくば、娘が好む手のかかる装いは到底出来まい。「とてもお姉様にお見せできる姿ではないのよ。」付言する声音は、少しだけ震えてしまったけれど、相貌を見られなければ笑声混じりの響きにも取られるだろうか。扉を開ける、否、少女へと瞳を晒す勇気を持てぬ娘は、こんなときばかり気丈に振る舞って、言葉の終わり瞼をとざせば、心の内にて謝罪を紡ぐ。)
Published:2018/12/06 (Thu) 13:53 [ 20 ]
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四賀龍子
(信憑性の欠片も生まないような御伽噺にも似た噂は、しかし人々の口吻を一度でも彩ると最期、形にならない筈のそれが、どんな鋭利な刃物よりも殺傷力を持つことさえ在り得る話だ。他愛もない言葉の欠片たちが凝り固まり、集合体へと姿を変える時、その他愛もない言葉の欠片たちは、何よりも大きな力を得る。──たとえば少女の心というものが、どんなものよりもやわらかく、傷つきやすく、故に今日日までは周囲から隔離され、温室の中で育て上げられ続けていたものであったとしよう。少女にとって世界は夢色だったかもしれない。だが、ささやかな噂の濁流に呑まれ、夢色の世界は途端にして現実味を帯びた、寒色の世界へと彩を変えてしまったとしたら。夢の中に眠るようにして生きてきた少女の心に、どれだけの傷を負わせることが叶うだろう。────不穏は娘の胸中を過る。元より愛されることに対し、当然の権利を得ているようにして振舞っていた少女の脆さを、誰よりも近くで知ればこそ。娘は久方ぶりに、不安という名の感情を抱く。それは姿形を明らかとせず、そのくせに執拗なまでに、娘の胸中に巣食ってやまなくなっていく。──扉が開かれたなら、どれだけ娘の不安は拭われたか知れない。けれども扉は開かれなかった。返ってきたのは、一枚の薄い木板の向こう側から響く声音ばかりだった。その声が震えているようで、或いは明るく振舞っているようで、如何にも確かな少女の感情を見抜くには、些か曖昧のすぎる声音に、娘の不安は拭われることもなく、積もっていくばかりであった。)──ええ、知っているわ。けれど、千代。あたくしの可愛い八千代。あなたはどんなに着飾らなくとも、髪を梳かさなくとも、この世の誰よりも可愛らしい娘であることを、あたくしは重々理解していてよ。(娘は扉の向こう側に声を投げ掛ける。その声音は凛として芯の通った、美しくも確かなる意志と負けん気の強さを覗かせるものだった。そうして声を投げ掛けながら、娘は扉へ左手を添えた。)どんな姿のあなたであろうとも、あたくしはあなたを嫌ったりしません。──ねえ、千代。扉を開けて頂戴。お願いよ。(あなたが心配なのよ──その一句は、添えようとしたところで止めにした。それを添えてしまうと、閉ざされた扉の錠は更に重みを増すような未来が、ふとして娘の脳裏を過ぎ去った為だった。)
Published:2018/12/08 (Sat) 22:26 [ 21 ]
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山縣八千代
(分かりやすい例を挙げるならば、日本刀が相応しかろう。玉鋼は幾度も高温に晒され、選別され、数え切れぬ鍛錬を経て、あの美しく強靭な刀身を手に入れる。人も刀も同じこと──成長を遂げる為には、辛酸を知らねばならず、また試練を前にして乗り越えるだけの気概を少しずつ身に付けていかねばならぬ。舗装された途は歩きやすく、芳しき花は心を豊かにしようが、感受性は別として人間としての心を鍛えるには決して至らない。娘の世界は、この数日でがらりと変わった。花弁の美しさばかりに気を取られ、すっかりその棘の存在を忘れていた娘に、茨の蔦は容赦なく襲い掛かる。級友たちは過日と代わらぬ金糸雀の如きソプラノで蜜ではなく毒を紡ぎ、黒真珠や黒曜石を髣髴とさせる瞳には拒絶の色彩がまざまざと滲んでいた。信・不信の在り方を考えたことすらない無垢な娘が世界の変わり様を見詰め、人間不信に陥ってしまうのも無理からぬこと。人の視線に恐怖を覚え、耳朶に触れる言葉の全てが自らへと投げられる刃のようにも感じられた。そのなかでも唯一寄る辺としてまなうらに映し続けた人物こそ、姉と慕う少女のもの。──娘は、薄い木板越しに奏でられる旋律を、瞼を閉ざしながら、静かに受け止める。)ほん、とう? (是まで少女に対し幾度も疑問符を投げかけたことはあったけれど、今ほどか細く震え、そして、希うような響きを孕むことはなかったろう。そうして、続けられる「どんな姿でも、」という旋律が心へと染み渡っていく。凛然と響く少女の声音はいつだって真っ直ぐに娘へと届いていたものだけれど、これまではその他大勢と同様に当たり前のように受容して、他者によって齎される響きとの差異を掬うことはしていなかった。孤独を知り、不信を知り、恐怖を知り、今ひとたび、耳朶に触れる優しく、真っ直ぐな響きが閉ざされつつあった娘の心を解いていく。瞳の奥が、じんわりと熱を帯びて、再び瞼を持ち上げれば自らの掌の輪郭すら朧となっていた。けれど、それは呪いによるものではなくて、願いによるものだ。桃色は涙海に沈む。瞬きを一度為せば、睫毛の先から雫がひとつ零れ、頬を伝った。指先は震えながらも確かに取っ手へと向かい、小さな音を立てて扉が開かれる。)おね、…っさま…───千代、……こわいの。 みん……っ、な…──千代を、……千代に、(はらはらと唇より零れ落ちるは、誰にも受け止めて貰えなかった娘の恐怖心。向けられた蔑視線、囁かれた言の葉、全部を思い出して、優しい姉の姿を見て感情の堰が外れたかのように言葉未満の音が奏でられる。)ごめんなさ……──千代、こわくて……龍子おね、さまのこと……疑って、しまったわ。お姉さまが優しい御方だって……知っていたのに。(続くは謝意を示す言葉。涙の雨はもう暫く、続きそうだった。)
Published:2018/12/10 (Mon) 15:36 [ 22 ]
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四賀龍子
(甘い蜜を啜る蝶のような艶やかさは消え失せ、温室に咲く愛された薔薇の葉先は朽ち色に染まりつつあるようにさえ思われるほどの、か細く頼りない、普段よりも一層の幼さを宿した声音が娘の耳朶を揺らした。薄い木板一枚越しだというのに、その声音は足元から浸食を進める夜の漆黒に呑まれ、そのまま消え去ろうとも何ら不可思議なことではないように思われた。元より溌剌として明るい陽光のような──とまではいかぬ少女であったけれど、か弱い部分をこうも大きく声音に滲ませるのは、娘の記憶している思い出の限りでは、今日以外に他にはない。)ええ、嘘など吐く筈がないでしょう。こうはしていてもあたくし、御武家の血筋なのよ。昨今の殿方より、余程武士道には厳しく在りますとも。(背伸びをすることもなく、只管に等身大を貫きながら、さりとて背を曲げることは知らぬ真っ直ぐの音色が、娘の口吻より紡がれる。慎ましやかな娘ではなく、気の強さばかりが、これで男子であればと何度望まれたことか。一度口にした言の葉は決して違わぬ、故に。──開かれた扉の先、この世にも珍妙な色彩を持つ少女の眸と出逢おうとも、娘はそれを嫌悪する様子などにべにも見せなかった。涙の雨に濡れた、少女の頬と揃いの桃色。淡く咲く花の如き幼さと、輝かんばかりの宝石めいた色合いは、如何して嫌悪の眼差しを向けるに至るだろう。寧ろ、よくよく少女に似合っていると──娘には、そう感じられてならなかった。)──大丈夫よ、千代。あなたはちっとも、悪くなどないわ。それにその眸、とても千代に似合いのお色じゃないの。どうして皆、こんなに愛らしい眸を愛してやれないのかしら。(涙の雨に濡れ、その海の中に沈まんとする桃色は、海底深くに根を張る珊瑚のようだった。少女の頬をしとどに濡らす涙の雨が、暫し止みそうにはないことを悟れば、娘はそうっと少女の肩を抱いて、共に室内へと足を踏み込んだ。後ろ手に扉を閉め、念の為にと錠を下ろし、少女の涙に濡れた頬に、娘は自らの右手を触れさせた。慰みを捧ぐように、そのまろやかな輪郭に添って手のひらを滑らせ、親指の先で少女の涙の雫をひと粒、拾い上げる。)謝らないで頂戴な。こんな扱いを受ければ、誰だって心は脆く傷つきやすくなるものよ。けれど、ねえ、────八千代。よおく、頑張りましたわね。もう大丈夫よ、姉様がついているから。きっとあなたのその呪いを、あたくしが解いてみせますから。(世界に愛されるべき少女を、再び正しき場所へ。──思うはただひとつ。少女の脆く傷つきやすい心が、安堵して呼吸を繰り返すことの叶う日々が、再び訪れますよう。朧の月ばかりが照らす明かりの下で、娘は少女に約束の糸を差し出す。少女がその糸の先を掬いあげてくれるなら、のちは約束が蝶々結びに至るまで。そうでなくとも、或いは。勝手に。娘はその気高き心に誓うだろう──この愛おしい妹を、少女を、涙の海へ沈めはしないと。)
Published:2018/12/11 (Tue) 08:04 [ 23 ]
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山縣八千代
(少女の花唇より落つる武士道の在り方を娘は知らぬ。されど、少女が語る通り、市井に溢るる男達より余程、少女の方が美しく有り続ける刀身が似合うように思われた。耳朶に触れる少女の言の葉を、心にて受け止め、得心を抱けば、ようやくにして娘の相好に緩みが生じよう。扉を開く勇気を得られたのも、その真っ直ぐな声色のおかげであった。さりとて、全ての恐怖が拭えた訳では無い。少女への信を寄る辺にほのかに生じた気の緩みと拭い切れぬ恐怖とが綯い交ぜとなり、娘の涙腺が堰を切る。単語を紡ぐことすら儘ならぬ、散り散りの言の葉未満の音たち──震える睫毛の隙間より、しどとその頬を濡らす涙雨が降り続き、止む気配のない其れに娘は白い指先を何度も瞼へ、頬へ、眦へと触れさせた。躊躇いのみならず、嗚咽が混じらう音は静謐なる夜の空気に存外大きく響いたことだろう。だからこそ、少女の促しは選択として相応しかった。理性どころか思索すらが鈍麻した娘は、その手の温もりにまた安堵して雨足を激しくさせたものの、素直に歩を紛うことなき牢へと進める。錠が落ちる音に肩を竦めてしまったのは無意識のうちに。それでも、少女の声音が耳朶に触れたならば心が救われていく心地を懐く。)──千代、……千代、こんなに皆が変わってしまうなんて、思わなくって……千代のひとみ、そんなに……おそろしいものなのかしらって──おも……龍子ねえさま……おねえさま、千代には、もう、お姉様だけ…。(稚さと無垢は、決して美しいだけの尊ぶべきものではない。愚かなまでの依存心が今宵、月影のした顕となった。左手は涙をすくい上げる少女の手の甲へと添えられ、右手は縋るように少女が纏う着物の裾へと伸ばされよう。涙海に沈むロードクロサイトの虹彩がまっすぐに少女のひとみへと視線を差し向ける。仄暗い夜に光る桃色の双眸は、盲信を抱くと共に、「わたくしだけ」を求めていた。何より愚かだったのは、その妄執を娘の心は知らぬままであったことだ。甘く優しい言の葉が、心に募る。桜の花弁のように、或いは、雪の華のように。音もなく、ゆるりと、美しく。)はい……姉様、千代の、……千代だけの龍子お姉様。八千代は、わたくしは、お姉様を信じます。お姉様だけを。(彼女に呪いが降り掛かってしまう懸念も、彼女が爪弾きに遭う危険性も、理性があれば思い至る何もかもが娘には欠けていた。娘が持するは、盲目に、誰かに──否、ただひとりに愛されたいという希求のみ。それをなによりも思わせる少女の言の葉に恍惚に笑み、少女の手首を、裾を握っていた両の掌をふたつとも涙拭う少女のものへと重ねれば、懐くような、慈しむかのような所作にて頬と掌にてその温もりを堪能する。瞼を閉ざして、持ち上げて──薔薇色に染まる瞳は、少女のみに向けられて。そして、音無く伝えるのだ。わたくしの薔薇は、あなただけ≠ニ。静寂の夜に。)
Published:2018/12/12 (Wed) 21:57 [ 24 ]