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肆.スピカが流れた日 |
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![]() 四賀龍子 |
(宵の刻を迎えると、密会は淑やかに歩く淑女のようにして行われた。足音を忍ばせることにも巧みさを感じるようになった。それと比例するように、少女の視力は段々と低下しているように思われる。最早、娘の補助がなければ歩行も間々ならない。互いに見詰め合おうとする時、少女の視線が娘の眸とは違う処に向いていることもあったかもしれない。そうした少女の姿を見る度に、娘の胸は酷く締め付けられ、呼吸をすることを苦しくさせた。喉元に痞えた瘤がとれることはなく、それは飲み下すにあまりにも、大きさが過ぎていた。吐き出すには満たない。されども、飲み下すにも至らない。胃に留めることもできない。──その折に、度々として噂話が娘の耳朶を叩いて刺激した。周囲の考えは、少女を呪われた者であると声高らかに謳っているものばかりであった。それを感じる度に、娘の腸は煮えかえるような想いに至った。奥歯を噛み締め、級友たちの会話を、平然を取り繕って聞いていた。しかし周囲の言の葉が娘の耳朶を叩く度に、娘は思い悩む時を増やさずにはいられなかった。────最早、娘は万事休すであった。万策尽きたりして、候。否、万策さえ用意される間もなく、事態は悪化しつつあるのだろうと思われる。ただの娘の一人の抵抗が、周囲の大きな力に敵う筈はなかった。けれども、しかし。約束を違えることをしてはいけない。一度契ったのなら、それは叶えられなければいけない。何より、それを叶えることだけが、少女と娘との幸いを導く一筋の光路となる。それ以外にはなかった。故に、娘は不躾を承知のうえで、あの洋館を訪れたのだった。そうして聞かされた真相に、娘の表情は曇天にも等しいほど、影をさすばかりであったけれど。)──………大切なもの。(帰路を辿る道すがら、娘はぽつねんと呟いた。大切なもの。初恋────、いのちみぢかし、恋せよ乙女。そう唄ったものがあった。熱き血潮の冷えぬ間に、恋した乙女はさて、如何しただろうか。いざ手をとりて、彼の舟に乗り込み、交わされたひと時に幸福は満ちていたのだろうか。──ゴンドラのように、ゆうるりを決め込む花園の内側に囚われた乙女たち。恋も知らずに淑女として、清らかな身の侭に、御家の為。或いは別の目的の為。様々な理由を以て、嫁ぐに至る、女たち。乙女とは乙を女と認識した折に、ふとして消え去る称号なのかもしれなかった。)あの子を救ってやれるのは、きっとあたくしだけ。けれど、あの子を苦しめているのも、きっとあたくしだけ。(誰の返事も期待はしない。風に乗ると消えるように旅立った、娘の紡いだ言の葉たち。なんと身軽で、身勝手で、自由なものだろう。軽く飛び立つそれらは、口吻からまろび出た折を切欠として不自由を失い、自由と共に去っていく。誓いを立てた言の葉は、胸に刻まれ留まり続けるが、自分の言葉に責任を持つことの意味を、きっと娘は。未だ知らずにいたことだろう。──その困難さを知っていれば、或いは。呪いを解くと。叶わぬ泡沫の夢にさえ等しい一句を、罪深き甘美なる蜜の一滴を、自ら少女へ差し出すには、きっと至ってさえいなかった筈なのだから。) |
Published:2018/12/13 (Thu) 21:53 [ 25 ] |
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