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終.慕情の色彩 |
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![]() 四賀龍子 |
(運命という名の荒波に抗うには、乙女たちはあまりにか弱く、あまりに無知であり、あまりに純粋で在りすぎた────。旅は道連れ、世は情け。なれば此度、少女に対して情けを投げ掛けた者は他にあっただろうか。娘はめくるめくようにして移り変わった、少女との日々を思い出す。愛おしい子として見守り続けたその先で、待ち受けるのは二度がない別離。それは所詮、この花園を舞い飛ぶことが赦された折より、変わらぬ終止符の形であったことを今更ながらに思い出す。無知と無垢と静粛と淑女の中で培われるものは、女の一生を捧げる為だけの哀しき学びの箱たち。良人と呼ぶその人の顔を立てる為、両親の願いに応える為、乙女たちは蜜を啜る術も知らずに、巣立っていくことを強要されていた。──例えば少女の患った病が、その蜜を啜る術を知った代価なのだとしたら、それは少女だけではなく、この娘にも等しく与えられるべき罰であった。だが、如何したわけか娘は五体満足で、特に元気を失うこともなく、世界に闇が齎される恐怖を味わう機会もなかった。すべての業を少女が肩代わりしたのだとすれば、呪いを解く為の術を手にした娘にできることは、最早ひとつを除いて他には見つけることもできない。──月も眠る頃、その日は珍しく薄明の姿を空が見せつけていた。静寂に沈む人々の寝息は床板を這い、娘の耳朶を叩くにも至らない。誰の視線に咎められることもなき頃合いを見計らい、娘は少女の部屋を訪れた。扉を二度ほど叩き、少女の名を呼ぶことを、娘は自分勝手にも少女に開錠を促す為の合図としていた。少女がそれに倣い、扉を開けてくれるならばそのままに。そうでなければ、開錠を促すべく。開けて頂戴──の一言を添えたか。ともあれ、月も眠る頃に、娘と少女の逢瀬は果たされるだろう。)八千代。あたくし、あなたに約束をしましたわね。あなたの呪いを解いてあげる──、と。その約束を、果たしにきたのよ。(視線は交じり合っただろうか。それとも、逸れただろうか。娘は知らずとして少女を真っ直ぐに見詰めていた。少女の眸は日に増して輝きを強め、桃色は未だ、病を発症するより以前の少女の頬を彷彿とさせた。────人は恋を彩りに喩える時、それを桃色と呼ぶのだろうか。ひと齧りすると不老になるとされた異国の果実。娘が見詰める色彩豊かなこの世界には、その果実をふたつぶ、抱え込んだ少女が、いつでも真ん中に立っていた。それは今宵も、変わりなく。) |
Published:2018/12/17 (Mon) 18:17 [ 27 ] |
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![]() 山縣八千代 |
(瞳が異彩に染まったとき、娘の世界はひとりになった。されど、過日の月夜の逢瀬を経て、再び世界が開きかけていた──それでも。元婚約者の訪問の後に、再び閉じ、そうして娘の世界はふたりになる。娘を訪れるは唯一にして、語らうもまた同じく。もう満足にその輪郭を捉えることはできぬ瞳ではあったが、其れを理由に娘は少女との多くの触れ合いを強請るようになった。ぬくもりを感ずる距離感にて、悪戯に少女の相貌へと指先を伸ばす。誰も訪れやしない二人きりの空間でも、紡ぐ声音はささやかに。まるで秘め事を共有するかのように。もう直ぐそこに迫っている永劫の別離など感じさせぬかのように、少女の前では眦を緩め、楽しげに、或いは、いとおしげに相好を崩す姿が散見されたことだろう。そして、黎明の刻。唯一が奏でる音を受け止めたならば、寝台から扉への距離を視えているかのよな滑らかな足取りで歩む。未だ少女の輪郭を捉えることができた折より、幾度も幾度も辿ったその道は、光を失った娘の中に刻まれていたが故に。だからこそ、そう待たせることもなく少女の鼓膜へ開錠を告げる音を届けることは叶ったろう。そう、と扉を開けば芳しい香りが鼻梁を擽る。屹度、少女が瞳が在ろう場へ眼差しを注いだ。)ごきげんよう、お姉様。(そうして、唇に弧を描き、いつもどおりに挨拶を紡ごう。さりとて、少女の声音が奏でられれば、娘の唇は結ばれ、耳朶に触れる音を堪能することを選び取る。)ええ。約束。覚えています。千代の龍子お姉様から頂いたものは、千代、ちゃんと、全部覚えているわ。ふふ。果たして下さるなんて、とても嬉しい。千代ね──、また視えるようになったら、一番にお姉様のお顔を拝したいと思っているの。(言葉を紡ぎ、少女を求むるかのように娘は少女へと指先を向けるだろう。そうして、「どのように?」と解呪の方法を尋ねるかのようにゆるりと首を傾げた。) |
Published:2018/12/19 (Wed) 10:09 [ 28 ] |
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![]() 四賀龍子 |
(甘い蜜を啜るようにして紡いだ物語の終止符を打つ手は、この娘に託されていた。それが何を意味しているのかを知らぬほど、無知ではないつもりだった。確かに世間知らずではあったのかもしれない。それは今後も一生涯、変わらぬ姿で娘に貼り付き続けるのかもしれない。しかし罪と呼ばれるほどの無知ではないつもりだった。故に、少女の嬉々として描かれる未来を語るような言の葉に、娘の心は細い針先で突かれたように痛んだ。しかし、痛む胸を抑えて何も言わずに終いとするのが、正しき道であるとはとても思われない。ならば互いに傷つこうとも、喩え少女の眸に再び雨音が足を寄せようとも、娘は凛として通った声音で真っ直ぐに紡ぐしかなかった。これから先の、互いの未来を。)八千代、あなたの病の発端は初恋なのだそうよ。そうしてその初恋を終わらせることが、あなたを唯一呪いから解き放てる手段なのですって。(少女の眸に娘の顔は如何様にして映り込んでいたことか。娘は暫し眉間に皺を寄せ、酸いものを噛み締めた折に舌先で転がし続け、その酸い味のなかなか消えないことに難儀している折のような、なんとも言い難い想いを胸中に抱いたまま、二の句を紡ぐ。)可愛い八千代。あたくしの、あなた。今日まで花園で大切に育てられた、愛らしい花。────選びなさい、八千代。世界を捨て、二度と光のない世界の中であたくしと生きるのか。それとも、初恋を捨て、もう一度光を取り戻すのか。或いは、その眸の視力が失われぬうちに。あたくしと共に、現世を捨て、黄泉へまいりましょうか。………どんな道でもいいのよ、八千代。それがあなたに悔いのない、あなたを不幸にしない道なのならば。──でも。共に歩む道は棘道となりましょう。違う道は唯一あなたに光を残せるでしょう。けれど忘れないで頂戴。あなたがどんな選択をしようとも、あたくしは一生涯、あなたの姉様であることに変わりはないわ。(娘は向けられた少女の指先に、自らの指先を絡めて語った。竹刀を振った骨張った娘の指先より、随分とやわらかく、細く、乙女らしさに満ちた真白の指先。レエスに覆われることの多かった少女の指先が、自らを着飾り慈しむことを惜しまなかった少女が。まるで病人のようになってしまった根本に、娘へ向けられた初恋という名の罪があるなら。──絡めた指先に、些かばかり娘は力を込めた。) |
Published:2018/12/21 (Fri) 09:49 [ 29 ] |
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![]() 山縣八千代 |
はつこい。……そう──初恋、ふふ。御伽噺みたいね。(解呪の法が耳朶に触れる。直ぐには理解が及ばなくて、確認するかのよに繰り返した一度目の言葉の響きは稚さばかりを帯びれども、脳内にて咀嚼が叶えば、嚥下するかのような所作でこくりと一度頷いて、真っ当な音を娘は紡ぎ出す。魔法のようだわ、と、斯様な思索も芽生えたが口にすることなく、少女へと眼差しを向け続ける。仮令、此処で少女より、「だから初恋はあきらめなさい。」と失恋を促す言の葉が奏でられていたならば娘は桃色の眸に仄暗さを刹那に灯し、すぐさま全てを涙海に沈めてしまっただろう。どうして、そんな意地悪を言うの。御姉様はそんな方ではないわ、と──娘が中に確立された少女の姿を押し付けることすらした筈だ。けれど、少女の花唇より続けられた旋律が、その全てを制止する。幸か不幸か、もう碌に機能を果たさなくなった双眸では少女が貌に添えられる色彩までを看取することは叶わず、瞬きの度、娘のまなうらに描かれる少女が姿はいつもどおり凛然とした気高きもの。娘が今、唯一、瞳に映したいと希う美しき花。芳しき、薔薇の君。)御姉様、(静寂を貫いたまま、眼差しのみを少女へと向け、その旋律の終わりを待った。そうして、旋律に終止符が打たれた後、娘は戯れるように絡まる指先に柔く力を篭めてみる。そして、また、少女の指先に力が篭められ、触れ合いに深まりを感ずれば、桃色の瞳を眇め、幸いを露にした。)──千代が是までこの瞳のことを「呪い」だと思っていた理由は視えなくなってしまったことではないわ。千代の大好きな花を、千代から奪っていこうとするからなのよ。(甘い声で、娘は宛転と語る。娘より示された肢の何れを選び取るのかという解ではなく、光を失ってこの方、その胸中に秘めてきた想いの姿を。比喩表現をひとつ挟んでは、再び口角を持ち上げ、「つまりね、」と楽しげに。朗々と。)千代にとって呪い足りうるのは、お姉様を失うことだけ。お姉さまへの想いを失うことだけよ。 だって、千代の世界は、あの満月の日から──いいえ、屹度お姉様にお逢いした、彼の日からずうっと、お姉様と千代だけで出来ているんですもの。……ねえ、お姉様。わたくしの貴女。(絡まる指先を引き寄せるように、そうして娘が足は半歩前へ進めれば、ふたりを隔てる距離が短くなる。躊躇感じさせぬままに、欲しがるかのような科白は、無垢の象徴か、それとも、傲慢が片鱗か。何れにせよ、小柄な体躯のなかいっぱいに詰め込んだ恋情は、外に出たがっていた。少女を欲していた。まずは、挙動に。それから、言葉に。)千代の想いを叶えてくださった先、御姉様はずうっと千代と一緒にいてくださる? 千代の、わたくしだけの貴女でいてくださる? 他の誰にも、他の何にも心を砕かず、ただただ──わたくしを見詰め、わたくしだけを想うと誓って頂ける? わたくし、先ほどすこうし嘘を吐いたわ。また視えるようになったなら、龍子お姉様のお顔を一番に拝したいと言ったけれど──本当はね、(つま先へと力を篭め、より一層少女の貌との物理的な距離をまず縮めた。そうして、体温を共有せぬままの指先を少女が頬へと伸ばして行く。随分と光を失った世界ではあるも、此処まで距離を縮めれば、指先が落ち着く先を誤ることも無いだろう。無事に、その頬へ手を添えることが出来たならば、慈しむようにそっと輪郭を撫でて。囁くほどの声量で、)もし、視えるようになったなら、ずっと、龍子様だけを見詰めていたいの。ずっと、ずっと永劫に。貴女以外は、要らない。けれど、貴女がわたくし以外にも心を注いでしまうなら──そんな優しくない世界に居たくない。ねえ、龍子様。わたくし、それくらいに、貴女が好きよ。(紡ぎ終え、踵を夜気にて冷やされた床へと落ち着ける。ゆるり、と伺うように首を傾ければ、少女よりの解が紡がれるまで唇は三日月ばかりを描くことだろう。) |
Published:2018/12/21 (Fri) 17:38 [ 30 ] |
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![]() 四賀龍子 |
──ええ、本当に。如何してそんな珍妙な御話がありましょうかしらね。(御伽噺の題材として使用されるような事柄が、現実に起きていることは今更確認するにも及ばない。現に眼前に立つ少女の眸の色はその色彩を変え、煌めきを増す毎に少女の視力を奪っていったことを、この娘は誰よりも重々承知しているのだから。きっとお医者も治せぬ奇病であることは確かだった。今更、誰がお医者に少女を診せようとしないこともまた、定かであった。それを呪いと呼んだなら、最早医学的に解決する術に縋る者はない。この時代には未だ、科学的物事よりも、神秘的物事を異常現象として捉える古風が残っている。散切り頭を叩いてみても、少女と娘の周囲には、文明開化の音を聞く者は少なかった。──軈て娘の話をゆっくりと聞き終えた少女が、その選択のうちのひとつを選び抜く時。呼ばれたその称号に、娘の肩は僅かに揺れた。しかし緊張の中に揺れた肩も、瞬く間にはその力を抜かずにはいられない。何故ならば、見詰め合った先に。少女の幸いを露わとした眸が、世界中の光をそこにかき集めたようにして、光り輝いていたのだから。)………本当に、いいの?あなたの世界が、あたくしだけになってしまっても。そのうちに、あなたの世界には何も映らなくなってしまっても。恋を諦めないということは、囀る小鳥の姿も、美しく咲いて散る桜の花弁も、何もかも、見えなくなってしまうということなのよ。(薄ら震える声音は少女の口吻より紡がれたものではなく、娘の方が紡ぎ出したものだった。戸惑いは確かに声音に反映され、少女の鼓膜を揺らした筈だ。──何故かと問われるなら、答えはひとつ。少女の選ぶ道の先に、互いが手を取り合う姿はないものと、勝手な想像の中に描いていた娘の未来とは異なる道を、少女が選んだ為だった。それは即ち、少女の恋も諦めず、そして娘の恋も諦めずに済まされるという結果に繋がってしまう。互いが互いを慈しみ合い、愛し合えば少女の世界は光を失うことになる。それを知っても、猶。)ずっと傍にいるわ。あたくしの身も心も、八千代の傍に。──あなたを幽閉することになるでしょうけれど、あなたと同じ屋敷に住まい、あなたの世話は全てあたくしが熟してあげる。あたくしが、八千代の眸の代わりになりましょう。八千代の耳の代わりになりましょう。八千代の手足の代わりになりましょう。────あたくしの、八千代。あたくしは、八千代の、龍子で在り続けると誓うわ。(頬に触れる少女の指先の温もりに、先立つ未来を想うと、心は締め付けられた。不意にして与えられた少女からの新たな温もりに、娘の黒真珠は涙の膜をつくりあげ、軈て黒真珠からは透明な真珠がひと粒、こぼれ落ちては娘の頬を伝う。)何を捧げてもあたくしとの恋を守ってくれるというのなら、あたくしも。何を捧げてもあなたとの恋を守りたいの。──だってこんなにも、八千代を愛しているんですもの。(黒真珠が生み出す雫は、何故だか全てが透明な真珠だった。薄暗い月明かりの下、時折輝くその雫をそのままに、娘は少女の指先に頬を摺り寄せ、自由の効く手で以て、床へ踵を落ち着けた少女の背を撫でた。──何を犠牲にしても。誰を不幸にしても。乙女たちの分かち合い、育てあった恋だけを守り、結んでいく────誰がこれを罪と呼べるだろう。何よりも清らかで美しく、純粋で穢れを知らない、この乙女たちの初恋を。) |
Published:2018/12/21 (Fri) 22:25 [ 31 ] |
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![]() 山縣八千代 |
著者の方は屹度、素敵で、けれど切ない恋を経験したのでしょうね。(瞳が宝石に変じるなど、悲しいだけの恋ばかりを経た者ならば屹度紡いだりしないだろう。そも、恋愛譚を執筆することもない筈だ。病を患った当初の娘であれば、先述のような悠然とした感想など言えなかったことは自明。斯様に平素の姿を崩さぬ所以は、娘にとって、世界の色彩を喪うことそれ自体は些事に転じたためだった。否、正確には。娘の世界が、唯一と定めるほどに狭く小さくなったからだろう。初恋と、その他の有象無象を比較すれば、天秤にかけるまでもない。しかも、それを、初恋の君が受け止めてくれるならば、斯様に美しく輝かしい未来があろうか。呪いなどとんでもない──これは、娘が世界の完成への祝福とも思えてならなかった。故に、惑うよに微かに震える少女の声音が耳朶に触れれば、心底不可思議そうに首を傾げる。)どうして? どうして、迷う必要があるというの──確かに、千代は、小鳥も、お花も好きよ。可愛らしいもの。けれど、小鳥の囀りは耳で堪能すればいいわ。お花の美しさも、香りを楽しめばいいだけよ。千代は知っているもの。小鳥の姿も、お花の姿も──それにね、千代は確かに、お花も小鳥も好きだけれど。そのために、お姉様を諦めなければならないなら。それは、千代からお姉様を奪うものと同じよ。 わたくしは、わたくしから、お姉様を奪うものなんて大嫌い。そんなもの、千代の世界には要らないわ。(狂気と紙一重なほどに、無垢で無邪気な声音で欲しいものを欲しいと強請る。それを遮るものを悪として切り捨てる。大正の世──男達よりもよっぽど儘ならぬ生を強いられる女の、而も、御家のために様々な自由を制限される貴種の一端が紡ぐものとしては、極めて異質で異彩だった。これもすべて、偏に、これまで娘へと注がれ続けたものが、愛情という皮を被った単なる甘やかしという餌だったことの代償か。とはいえ、世間を知らず、我慢を知らず、自らの姿すら曖昧なまま──自尊心ばかりを育て続け、盲目的に生きてきた娘の行く末が、真に光を喪うことは、必定にも思われた。)ええ、ええ。龍子様。──わたくしの世界は、貴女とわたくしの二人でできているの。あら、……幽閉? ふふ。いいえ、違うわ。貴女の世界にわたくしをご招待下さるのでしょう。貴女とわたくしだけの世界を作ってくださるのでしょう。貴女のぬくもりを感じられるなら、愛をいただけるなら、……それだけで、八千代は幸せよ。 屹度、わたくしは、これまで以上に何も出来ない千代になるのでしょうけれど──どうか、貴女の指で、瞳で、唇で、愛で、わたくしを導いて。私にたくさんの幸せをくださいな。(少女との恋を叶えられるならば、それは娘にとって至上の輝きを自らが内に抱くことと同義。それ以外の世界を喪うことなど、少しは怖くなかった。そして、同時に、愛おしい少女の行く末を、その世界を狭め、多くの負担を強いることになると理解しながら、罪の意識など微塵も感じてはいなかった。不意に、少女の肌へと滑らせた指先に温かな雫が触れる。ゆるりとした瞬きの後、その正体を察すれば、真珠が描いた軌跡を拭うように親指を柔く滑らせる。薄ぼんやりとしか映らねど、屹度、宝石のように美しいものなのだろう、と──静かに思った。)龍子様の心を、未来を頂けるなら、わたくしはわたくしの全てを捧げます。ですから、どうか──この初恋を叶えてくださいな。そして、どうか、わたくしに……貴女の千代に、千代を見詰める愛しい方のお顔を、笑顔を、お見せになって。わたくしが、千代に八千代に──あなたのお顔を覚えていられるように。(背中に触れる指先に導かれるようにまた半歩、少女との距離を詰め、静かに望む。娘の世界から、全ての色彩が消えてしまう前に──、最期に視るのは、貴女だけがいい。この花弁を散らすそのときまで、貴女のことを、貴女だけを、ずっと覚えていられるように。) |
Published:2018/12/22 (Sat) 20:56 [ 32 ] |
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![]() 四賀龍子 |
(見ぬ著者に想いを馳せる少女の言の葉の夢見心地に、娘は緩やかな動きで以てして頷き返してみせた。その肯定の意を示す仕草が、正しく少女の視界に映っているのかは、娘の知り得る処ではない。何処まで見えていて、何処まで見えていないのか。確実に覚束なくなっていく足取りの経過を知る娘であろうとも、少女の見詰める世界を知る術はない。少女の見詰める世界は少女のものであり、娘の見詰める世界は娘のものである為だ。所詮は個体同士として呼吸をし合う仲ならば、世界の端と端とを重ね合わせて共有することは叶っても、全く同じ世界を見詰め合うことは叶わない。現実とは、そのような理不尽に折り合いをつけて成り立つばかりのものなのだから。)あなたがそう言うのなら、あたくしはこれ以上にあなたを止めることはしないわ。如何か後悔のないように──いいえ、あたくしが後悔をさせないように、八千代の世界の中心となりましょう。そうしてあたくしの世界の中心は、八千代。あなたに。(何を捧げればそれを幸福であると呼ぶことを赦されただろう。後どれだけのものを犠牲にすれば乙女たちの恋は誰にも咎められず、尊いものとして扱われただろう。少女の視力と運命と、狂気だけで足りぬというのなら。娘はとうに自ら狂気の泉へと爪先を浸す準備を整えていた。これから先に、後ろ指を指されるばかりの人生が待っていようとも。盲目の中に生きる少女に見える処で、他者の蔑む微笑を視界に映そうとも。恋を結ぶ──その先に、待つ苦痛は棘に似るだろう。その苦痛を目で見て知るのは、きっと娘が負うべき業であって違いはなかった。少女が、少女の見詰める優しい世界を、火炙りにかけられた業を負ったように。)そうね、八千代がそのように言うのなら、幽閉ではないのかもしれないわ。────八千代。あたくしとあなたの世界を創り上げる為に、すこうしだけ、あなたには苦を強いるかもしれない。あたくし、今の婚約者との話を白紙に戻してしまおうと思うの。そうして、八千代。あなたの婚約者であった男の妻となるわ。その条件として、八千代をあたくしの傍へ置くことを示す心算よ。あなたの元婚約者は、あたくしの遠い血筋にあたっていたの。ですからきっと、この条件を呑み込んでくれる筈。──尤も。あたくしは子を産みはしないし、身も心も、八千代にしか赦しませんけれど。(互いに育んだ恋を結ぶには、幾つもの物事を巧みにやり過ごすだけの計画が必要だった。そこには事実上の、娘の嫁入りは避けられない。何の代償も支払わずして、この恋は結ばれない。苦味を帯びる一時もあるだろう。その未来も避けられはしまい。故に、先んじて少女に娘の企てた計画を語っておく必要があった。その頃には、娘の頬を濡らしていた真珠も、黒真珠から生み出されることを辞めてしまっていただろう。只管に強い意志だけが、そこには再び宿っていた。)──愛しい愛しい、あたくしの八千代。あなたが願うなら、幾らでも笑顔を捧げましょう。あなたが全てを捧げてくれるというのなら、あたくしもあなたに全てを捧げましょう。死が二人を別つ時まで────あたくしの、あなた。あたくしだけの、愛しいあなた。どうかあたくしの顔を、いつまでも忘れないで頂戴ね。(縮まった距離は、最早吐息の交じり合う距離だった。娘が少しばかり膝を折ると、少女の桃色に染まった唇はすぐそこに迫るだろう。──娘は笑った。ひどくまばゆい、太陽を見た刹那の時のように。或いは、満開を迎えた桜を見上げる際のように。────そうして如何か、叶うなら。少女の眸の息の根の、止まらぬうちに。その桃色の唇に、娘の唇が触れることを。神ではなく、わたしのあなたへ。お許し願いたく──、今宵。月も雲の裏へ、隠れる刹那に。) |
Published:2018/12/25 (Tue) 22:31 [ 33 ] |
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![]() 山縣八千代 |
ふふ。千代の中心はいつだってお姉様だったけれど、お姉様の中心が千代となるなんて─……とても、とっても、しあわせだわ。(娘が戯言へと少女が如何な所作をとったか、娘は知る由もない。それは、仮令、娘が視力を失わずとも同じ帰結に至ったろう。娘の世界は狭く、その視野はより一層──取り留めもない、思索も孕まぬ理性より先に飛び出た感情の欠片よりも、己へと向けられる愛情が形を欲する。愛しい君とはいえ、娘に少女が世界を知る術はない。それ以上に、娘の中に少女の世界を知ろうとする気概もなかった。蓋し、耳朶を打つ少女の声音が形作る旋律が、娘の求むるものであったが故に。それを咀嚼し、幸福を噛み締めることこそが、娘が描きし最たる重要任務と相成ったのだ。)く?(強いられるというものを、稚いひびきにて娘は紡ぎ首を傾げる。次いで耳朶に触れた婚姻白紙にはわかりやすく双眸へ喜色滲ませ、さりとて、続く新たなる契には咋に眉間に皺を寄せ、不服を顕としてみせた。けれど、さらに続く言の葉に、紡がれる契に、娘は相好を柔く崩していく。それが、少女が己と共にあるために必要な権謀として定めたならば、異を唱えることは無い。ひとつ、懸念がないわけではないが、それすら些事と称して相違ないだろう。だって、その程度ならば、娘ひとりで対処も出来るというもの。故に、柔く眦を緩めたならば、嘗て口紅を拾ってくれたときに謝辞紡がんと向けた笑みと同じ色を相貌へと湛え、娘は無垢に言葉を紡ぐ。)ご安心なさって。お姉様。あの殿方がお姉様を──わたくしを苦しめるというなら、わたくしがあの御方を葬って差し上げる。何も見えずとも、ひとひとり殺めるくらい、きっと造作もないわ。わたくし、あの殿方……とっても嫌いなの。酷いことばかり言うんですもの。(正直なところを述べれば、少女が彼のひとのもとへ嫁ぐことすら面白くは無かった。されど、少女が娘との幸せを築く礎として必要と判じたなれば、受容する他ない。さりとて、それも、ふたりの幸せを築くためのもの。故に、その男が幸せが核心を──すなわち、少女自身の心や操を──害すとならば、娘は容易く本性を顕としよう。日本刀は扱えずとも裁ち鋏や、それほど刃渡りのない刃物ならば、この華奢な手でも扱える。盲目なる娘を侮るかのよな過日の男の科白に鑑みれば、虚をつくことも容易だろう。ひとひとりの命をはからんとする口吻としてはあまりに軽薄に、そして、明朗に娘は笑みを象り、少女へと紡いだ。甘い甘い、砂糖菓子のような声音にて、未来を紡ぐのは貴女だけではないと紡ぐ。)わたくし、千代の世界を紡ぐためなら、龍子さまとともにある未来を守るためなら、なんだってするわ。この命潰えても、わたくしはあなたのお傍に──、お姉様。龍子さま。わたくしの、あなた。わたくしの世界。わたくしの幸い──あいしています。とこしえに。ずっとずっと、あなただけが、千代の花よ。(桃色の瞳よりひとしずく幸福の欠片が零れる。眼前いっぱいに広がるいとしい娘の相貌が、この一時、明瞭に見えた気がした。美しく愛らしい──楚々として咲く一輪の花。手折ってしまいたい。抱きしめて、ずっとずっと傍らに留めたい。斯様な情欲を諌めたのは、唇に触れた少女の呼気。唇を擽るそれに淡く笑い、けれど、音を成す前に娘の呼気は少女のそれと混じらった。ぬくもりを共有し、互いに分け合い、奪い合う。激しさなど孕まずとも、愛の欠片を互いへと注いだならば、)龍子さま。あいしています。いつまでも──あなたの、すべてを。(吐息がまじらう距離でささやいて。娘は一度瞼を閉ざす。嗚呼、明瞭に少女が姿を描くことが叶う。それこそが幸せだった。それこそが愛だった。月も星も太陽すらなくていい。全てが死に絶える苦境とて、あなたがいればそれ以上は求めない。娘は、光を失うその瞬間、少女の唇を啄んで──音のないこころを奏よう。愛している。その6字を。) |
Published:2018/12/25 (Tue) 23:11 [ 34 ] |
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