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壱.いとけなくとも戀の花 |
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![]() 山縣八千代 |
(過日、新入生を歓迎するが如く薄紅の愛らしい花にてドレスアップをしていた桜は、ふたつの季節を経て紅き葉を茂らせている。ひゅるり、と吹く悪戯な凩によって、間断なく色づいた葉は地面へと舞い落ちて紅の絨毯を作り上げていた。宛がわれた寮の部屋より、斯様なる晩秋の情景を見詰める瞳はどこか寂しげだ。というのも、愛らしい薄紅の色や、或いは、実家の庭にて咲き誇る薔薇の真紅と比して現況娘の瞳を彩る秋の深紅は、どこか寂しさを抱くように感ぜられる。唯でさえ「さびしい色ね。」とそんな感想が口を吐く色彩であるのに、其処へ乙女達の園をあかく染め上げる斜陽が夜を引き連れながら重るものだから、胸中にはただただ寂寥が募った。平素は姦しい娘が憂いに満ちた相貌にて晩秋の夜の静寂の一部となろうとしているものだから、相部屋の女生徒がまろい瞳晒し、娘へと気遣わしげに声をかけたのも道理だったろう。どうしたの、何かあったの、と柔い声が耳朶打てば、娘は物憂げな視線を一度少女へと向けた後、静かにつむぐ。)せっかちなのは、葉っぱなのかしら。それとも、風かしら。貴方、どちらだと思う? 冬になりたがっているのは何方なのかしら。(先刻の質問に対する解としてはあまりに不適切であり、不親切。けれど、奏でられる声色が揶揄の色を孕まぬことは明白であるが故に、心優しき同室の少女は娘の意を汲まんとする。「山縣さんは、冬がお嫌いなの?」 次いで紡がれた疑問符に、ふるり、と首を振った後、娘は漸く、少女を見た。)いいえ。嫌いではないの。雪の白はきれいでとても素敵ですもの。けれどね、秋が終わって、冬が過ぎて、次の春が来てしまったら──千代の傍から、千代のお姉さまがいなくなってしまうのかしら、って……最近はそんなことばかり考えてしまうのよ。お姉さまとずっと一緒に居られたらいいのに、お姉さまをずっと感じられたらいいのに、って。(すれば、「まあ、」と先刻よりも随分と明るさを帯びた感嘆の音が紡がれる。不可思議そうに首を傾げ、少女の真意を察そうとするも、そも人の機微に疎い娘に斯様な真似が出来る筈も無く。さりとて、対峙するのが意地悪な凩でなく優しき同級生となれば疑問は直ぐに解かれよう。「それなら、形に残る思い出を作られたら如何かしら。」少女より齎されたのはひとつの提案。そうしてその提案を甘美なもののように思わせる乙女達が語り合う噂話。)まあ、!(かくして、此度は娘が喜色と期待滲む感嘆を綴り、簡素な謝辞の後に桜色のショールを羽織って部屋を出た。目指すはひとつ。日々、いつだって想いを馳せ、姿を求めるうつくしきひと。寮の階段を駆け上がる様を上級生に「はしたない。」と窘められようと軽やかな「ごめんなさいね。」を置き土産として、ほんの少し肩が跳ねる位になった頃。娘はひとつの扉の前に立つ。時刻は午後六時少し前。突然の訪問を迷惑に思われる可能性なんて娘の中には欠片も無かった。手甲を四度扉へと軽く打ちつける。)龍子お姉さま。千代です。(四度のノックには、運命の扉を開くという意味が込められているのよ──嘗てそう教えてくれた母の声を想起しながら、ソプラノを響かせた。) |
Published:2018/11/15 (Thu) 18:55 [ 3 ] |
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![]() 四賀龍子 |
(折々の最中に垣間見える四季の表面を、なぞる指先が神々のものであるならば、捧し武士道たるは何処。今や讃える神も祈りを捧げる先も、自由という枷の元にして歩き回ることを赦された時代。その時代錯誤に乗り遅れ、到底今にも足元を掬われては転びかける、屋根の傾きが気にかかる我が家を思い出し、冷気を段々として孕んでいく風に髪を靡かせる。靡く髪は、然して手入れも行わずいる筈が、如何にも乙女気を其処にばかり散りばめたがるようであった。──時は秋も暮れを迎える頃。暦のうえではとうに冬を名乗る日和に、しかし小春日和は未だその恵みを乙女たちへ向けただろう。紅葉とは名ばかりの、色づきが紅に黄に橙に、はては茶に朽ちるそれらが御山から駆け下り、軈て寮の庭先や、学校の裏庭を彩るようになった日のことは、未だ記憶に新しい。瞬くほどの隙間を潜り抜けるようにして、時とは移ろいゆくものだ。乙女心と秋の空。そんな言の葉の厭味に負けず、ここに集う乙女たちはきっと、秋の空よりも、或いは真夏の太陽よりも、芯を持ちたる心を左胸に宿していた。只、誠に残念なことをひとつ挙げるなら、その宿された心が花開く折を見る機会には恵まれないのだということだ。恋をすべく、ここへ通うわけではない。良人のよき妻となるべくして、皆が乙女から女へ変わる為に、ここへ通っては、美しいまでの花園の中で生きる。刹那を舞う蝶が美しく眸に映るように。小枝を離れて地に落ちるまでの桜の花弁の一枚が、随分と優雅にして美麗であると感じられるように。ここに集う乙女たちには、そんな美しさが宿っていた。──娘の纏うものは、流行りの洋装とは異なった。常に和装の娘は、その日も和装に身を包んでいた。赤い牡丹の咲く黒地の着物は、幾分か袴の時よりも動き難い。さりとて、今日はお勤め──とは名ばかりの、乙女たちが受ける授業云々──も終わりを迎え、ささやかないとまへと入ったところ。夕暮れもすっかり早くに終わり、濃紺が空から垂れ込める日和の多くなった頃。肌寒さにと羽織った肩掛けは、深紅色の毛糸で編まれた母からの贈り物だった。──今日日は如何にも都合がよく、扉の小突かれる軽やかな音が響く頃、同室にいる筈の友人の姿はなかった。如何だか理由をつけて、現在は部屋を留守にしているものだから、扉を小突く相手に対して、扉を開いてやれるものは娘を除いて他にはいなかった。娘はその扉の軽やかな呼び声を聴くと、椅子から腰をあげて扉へ向かう。そこを開くと、来訪者は如何やら娘の客人であるようだった。)あら、いらっしゃい。丁度良いところに来たわね。今は友人が留守にしていて、あたくし一人で退屈していたところだったのよ。──中へお入りなさいな、今日の千代は、この姉様へどんな御用件かしらん。(扉を開けた先に立つ少女を迎える様に、少しばかり身を引き、娘は少女の入室を促した。その眸はやわらに綻び、慈しみの色を宿している。秋風よりも随分と、あたたかな眼差しであるに違いなかった。) |
Published:2018/11/15 (Thu) 20:02 [ 4 ] |
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![]() 山縣八千代 |
(山縣八千代という娘にとって、世界は優しいものであることは常理であったし、世界に溢れる人々もまた──故に、優しさを与えられたとて、其処に特別性を見出すことは無く。さりとて、互いの失せ物を拾うことを契機として紡がれし一つの縁は、もう随分と前から特別の枠に納められている。訪問の旨を告げ、かのひとの名を呼んでからの刹那のとき──戸が開かれるまで大人しく待っていることも娘にしては珍しかった。けれども、逸る心の片鱗は具に現れていたことだろう。例えば、奏でる声音の弾み方に、前髪を整える指先に、そして、今か今かと落ち着きなく持ち上げられる踵の動きに。)ご機嫌よう、龍子お姉様。(木製の扉が開いた先、煌々と輝くエジソン電球の光芒の下、相好崩す姿を眸いっぱいに映す。袴の裾を拡げ、軽く頭を垂れる所作は夜会にて淑女たちが為す挨拶を真似たもの。視線を再び少女へと映す頃には、栗色を煌めかせ、促されるがままに入室を果たした。音を立てることのないよう扉を締め、幾度か訪れたことのある少女の部屋へと視線を一巡り。言葉を奏でる折、吸い込んだ空気は乙女の香りに充ちていた。)……あら!お姉様は退屈が何よりもお嫌いだもの。そんな寂しい世界からお姉様を連れ出せたのなら、千代も嬉しいわ。けれど、千代がお姉様と同じ部屋なら決してお姉様の傍を離れたりしないのに……──世界には、とぉっても贅沢な方がいらっしゃるのね。(斯うしてお姉様と慕うことの許される関係性を哀しく思ったことはない。さりとて、学年が異なれば必然学び舎にて共に過ごす時間は限られる。更には、娘自身が然うであるように、箱庭の守り人たちの目が届かぬ場であれば、誰も知らぬ一面も、そろり、と顔を出すやもしれない。少女のことならば、どんなに些末なこととてこの瞳に捉えたい。その権利を与えられし上級生が羨ましい。歌うように紡がれた言の葉には、その響きの軽やかさとは裏腹に存外に深い独占欲が滲んでいた。)ああ、そう。そうだったわ!千代ね、今日はお姉様にどうしても叶えて頂きたいお願いがあってきたの。龍子お姉様……、千代と御写真を撮って頂けないかしら。(さりとて、その強欲さも少女からの疑問符が耳朶打てば忽ちに霧散する。大きな瞳を縁取る上下の睫毛を重ね合わせた後、両の腕を伸ばし、少女の掌を掬いあげることが叶ったならば。期待と確信を綯い交ぜにした光湛えし虹彩にて少女を見上げ、)お願い、お姉様。(と、甘えたな声音で乞うた。) |
Published:2018/11/15 (Thu) 23:07 [ 5 ] |
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![]() 四賀龍子 |
(様々な気色の乙女が集う花園に於いて、その花園の最中でもいっとうに、花園の名が似合う乙女を挙げるなら、娘は妹と可愛がる少女の名を挙げずして、誰の名を挙げたか。娘の色味とは異なる栗色に、愛されることを当たり前としてつくり上げられたかの如き、愛らしさの結晶のような姿。ささやかなる身動ぎさえ、それを目にした殿方は、はたとして恋の息吹に気づいてしまうほどの──愛らしい、我が妹。互いに確実なる血の繋がりがなくとも、実の姉妹とは異なろうとも、妹と呼ぶに相応しい少女のことを、娘はちいさく誇りに思っていた。愛らしいを体現するものの隣に立ち並び、共に外道を歩く折。裏庭にて言の葉を交わす密会を、他者に盗み見られる刹那。娘の胸中には確かなる、誇らしさにも似た感情が湧き出した。泉のように湧いたそれは、一時ばかりのうちに湧き出しては、軈て萎むようにして静まっていく。打っては返す海波とは異なり、激しさなどそこには存在しない。唯々、穏やかなる親心にも似た想いがあるばかりだった。)御機嫌よう、八千代。今日日も変わらず、あなたは愛らしいわ。(淑女の如き礼儀の正しさに、薄らそれを真似たような上塗りの色が隠せぬところに、さりとて愛らしさを感じる。嬉々たる声音にて少女の御挨拶を受け取る娘は、嫋やかな微笑みを欠かさない。勝気と捉えられることも多いその笑みに、さて少女が何を感じ取るのかは、娘の計り知れぬ域であるとして。)どうもありがとう存じますわ。あなたのお陰であたくし、今々は退屈せずに済みそうね。──あら、まあ。確かに。千代と同じ部屋を宛がわれたなら、それは素晴らしい時ばかりでしょうけれど。別れの折にはきっと、今生の淋しさに苛まれてね。離れがたく感じてしまうに決まっているわ。………あたくしと同室になる程度の幸いなど、千代と同室になった娘さんの幸いに比べたら、どうってこともないでしょう。(夢のようなひと幕を空想の泉の中に浸し、一滴を滲ませ、広げ、空想は軈て曖昧な輪郭を描き出す。さりとてそれは叶わぬ夢。泡沫の吐息。なればこそ、大袈裟なまでに同室の友人の幸福を羨むらしい少女を、優しく宥めてやるのが姉を務める娘としての任であろう。伸ばした指先はそろりに持ち上がり、軈て少女の拒絶さえなければ、その淡き髪を梳くようにひと撫でするに違いなかった。)──……写真を?如何してまた……、……それは特に断る理由もないから、構いはしませんけれど…。(娘の黒真珠の如き眸は丸められた。きょとりとして、想像もしなかった物事を投げられた折に見せる、少しばかり驚愕した色を宿した娘の眸が。甘く乞う少女の、その姿を映し出していた。) |
Published:2018/11/16 (Fri) 22:24 [ 6 ] |
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![]() 山縣八千代 |
有難う存じます。お姉様──お姉様こそ、本日もたいへんお美しいわ。(娘は恋を知らない。故に、娘が少女へと抱く感情の正体を察することすらできぬ凡愚であった。さりとて、特別性を認識する程度であれば斯様に愚かな娘にも可能だ。心がいっとう鮮やかな喜色に充たされるのはいつだって少女より優しき言葉を投げられたとき。そして、また。何よりも娘の心へ蔭を落とすのも、少女に依るものであった。髪を撫でる指先の熱を堪能する折には心地よさげに瞳を眇めるも、宥めの言葉を受けた後、娘の花唇が象るは歪な執着の証。我侭の欠片。)──……同じお部屋でなくても、お姉様は寂しく感じて下さるでしょう? 千代が、冬を、春を思うと寂しくて切なくて、泣いて仕舞いそうになるのと同じように、お揃いに。(空を揺らす声色は強請るような甘ったるい響きを孕んだ。一歩、少女への距離を詰めれば必然、娘と少女との身長差が顕著なものとなり、娘の視線は自然と少女の黒真珠を仰ぎ見るように上へと向けられよう。上向きに美しい弧を描く睫毛の曲線の合間より覗かせる栗色は、長きに亘り培われ、誰の咎めも受けることなく育ち切った甘えたな自尊心をその裡に宿した。故にこそ、言葉尻こそ疑問符示す抑揚を抱いたものだが、娘は胸中に不安は滲まない。是の旨が返されて当たり前と信じきっていたし、仮令、少女より異なる旋律を返されようと棘は全て鼓膜から脳裏への旅路の中にて削ぎ落とされよう。して、懇請の真意を探らんとする少女の問いかけが耳朶打てば、握り締めていた指先に一度、きゅ、と力を籠めた後解放して、何をも掴まなくなったたなごころを胸のあたりに添えた。数瞬の静謐。一度視線を少女より外し、窓の外にて音立てず葉を落とし続ける桜の木へと向ける。かたかたと窓硝子を叩く凩は、矢張り好きになれそうもなかった。「千代ね、」憂いを孕んだ声色が、静かに響く。)近頃は季節がとても意地悪なものに感じられるのです。昨年よりもずっと足早に駆けていってしまっているんじゃないかしら、って──次の春でお姉様は学園より巣立って仕舞われるでしょう。ですから、千代、その前にお姉様との想い出を形にしたいと、そう思ったの。(訥と語られる娘の胸中に少女は何を見出すだろう。自らの思いを口にすることばかりに気を遣る娘に、対峙せし少女の機微を察するような余裕はなく、其の黒真珠に滲む驚嘆の色すら看取できぬまま。ゆうるりと視線を黒真珠へと戻した。ふたりの視線が交錯した暁に、先刻の少女からの問いかけに対する回答への緒が紡がれる。)そう思っていたらね……、お友達からとあるお噺を教えて頂いたのよ。ねえ、お姉様。お姉様は九重葛の写真館の噂をご存知?(曰く、運命の相手とともに写真を撮れば、一際美しく仕上がるという写真館の噂。恋は知らねど、少女との縁に運命めいたものを感ずるからこそ──そうして、誰よりも美しき姉との思い出であるからこそ。形に残すならば、“其れ”がいっとう相応しく思われた。) |
Published:2018/11/18 (Sun) 14:34 [ 7 ] |
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![]() 四賀龍子 |
(御挨拶もさることながら、それが漸う板につき始めたように感じられる、眼前の少女の姿。娘も幾らか年若き頃には、そうした初々しさと上真似のような手際の悪さが垣間見えていたことだろう。さりとて次の春には、少女も更にひとつ歳をとる。娘より下であることに変わりはないが、娘がこの花園を去る頃、娘より下の少女も姉様と慕われるだけの立場に一歩ずつ近づいていく。そうであろうとも、娘にとっては少女が妹であることに変わりはない。親にとって、子が永遠に子で在り続ける様に。姉にとって、妹は永遠に妹で在り続けて何ら不可思議はないのだった。)そうねえ、そう感じるようになったわ。随分と、時が経ったように感じていたけれど──千代とはまだ、離れがたい想いでいっぱいですもの。(花園の内側へ足を踏み込んで以降より、重ねた歳月は決してこの娘にとっても、短くはないものだった。その内々に顔つきも少しばかり大人びれば、学んだ知識も花園に足を踏み込んだ時より増えた。正座は幾ら続けようとも足を痺れさせるようなこともなくなり、嫋やかに微笑む仕草を覚えた。龍子の名には些か不釣合いなまでの、淑やかさを持つ淑女然たる立ち居振る舞いは、さりとて気分屋のきらいを覗かせる娘の板にはやはり馴染まずに在る。花園から再び外へ飛び出した折、既に用意された鳥籠の中に飼われるばかりの人生。そこに実りを見出そうものなら、この少女を妹として慈しむこと以外に何があっただろう。短き時の中に於いて、知らぬ世界の全てを知ったような心持で以てして、娘は静かに語った。──して、憂いを帯びたる少女の囁きに、再び耳朶を寄せる時。硝子を叩く風の音も、娘の鼓膜を揺らすには至らない。全神経で以てして、娘が認識したがるのは少女の存在ばかりであった故。)幸いの時ほど、はやくに流れ去ると語った人があったわ。千代はあたくしと一緒にいた季節、存外短く感じられたのなら、それだけ幸いだったのでしょう──と、己惚れてよろしいかしら。あたくしもね、今年は随分と季節がはやく移ろうように感じていたのよ。昨日まで春だったと思っていたのに、もういつの間にやら、ひととせ。過ぎようとしているのですからね。(思い出に視線を向けるように、少女を見詰めながらも、その向こう側に透ける、過ぎた日々を見遣った。さりとてそれも刹那ばかり。次いで現実へ引き戻される折には、娘の黒真珠がはたとして瞬くだろう。噂話のお好きな花園だ。乙女ばかりが集えば、それは致し方のないこととして。)ええ、よく知っていてよ。“あの写真館で運命の相手と写真を撮ると、とびきり綺麗に映る”というものでしょう?あたくしは試したこともないけれど、千代はそれをしてみたいの?(少女の挙げたる写真館への磐余は二つある。ひとつは写真館の主人は西洋の血が混ざっているのだということ。そうしてもうひとつが、今し方娘の挙げたことであった。──さて少女はどちらの噂を聞いたのか。それとも或いは、どちらの噂も知っていたのか。問いかけるばかりの娘には、その真意は未だ汲み取れない。) |
Published:2018/11/18 (Sun) 20:00 [ 8 ] |
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![]() 山縣八千代 |
(妹という立場を与えられた娘にとって、花洛学園での日々のすべてに姉の影があった。少女なき日々を過ごしたことはなく、また、想像したことすらない。少女が在ることが当り前の日々──甘く優しい平穏なる日常。其れが当り前に永劫重ねられると信じて止まなかった。けれど、現実とは残酷なるものである。娘にとっての優しい世界の一角に終焉の兆しが見えた。此岸に生誕してから是まで、愛ばかりを与えられ、辛酸等舐めた事すらない娘にとって、迫り来る終焉は到底受け入れられる物ではない。さりとて。時の移ろいばかりは、どれほど涕泣しようと、唇を尖らせ不平を顕にしようと、とめられるものではないこと位はこの出来損ないの頭でも理解していた。故に、せめて、と。慰めの代わりに、揃いを強請る。)ふふ。良かった──千代ばかりが悲しいなんて、とっても寂しいもの。(そうして、少女の花唇が同意の旨を紡いだ暁には、未だ稚さを残す相貌にあえかな笑みを刻んで、安堵の呼気を静かに落した。そうして、娘は少女が奏でる旋律へと懸命に耳を傾ける。娘とは異なり、随分と物識りな姉による言辞は、娘の心を忽ち喜色に染め上げていく。言葉にて返答を紡ぐより先、栗色の眸輝かせ、何度も首を縦に振る所作からも、娘の胸中の様相が窺い知れるか。)ええ。ええ! もちろん! お姉さまと共に居られるときが千代はいっとう幸せなの。甘いハットケーキをいただくときよりも、お母様とお買い物に行くときよりも、きれいなお花を眺めるときよりも、ずっとずっとずっと。比べることすらできないくらいに、お姉さまの隣で、お姉さまとお話しする時間が大好きよ。お姉さまは、千代を幸せにする天才なの。けれど、ふふっ。お姉さまもそのように感じて下さるなら、千代はお姉さまを幸せにする天才なのかもしれないのね。(無邪気に。無垢に。娘は笑みを深め、先刻までの憂愁など幻だったかのごとく朗々とした声色にて幸いを紡ぐ。表情も、声色も、ころころと変わる様は宛ら万華鏡が如く。其れ自体は平素と然して変わらぬものではあるが、一つ一つの色彩が、他一般に対するものと比して、随分と色に富むものであることを少女は知っているだろうか。)やっぱりお姉さまは物識りね。そして千代のことを一番に分かっていらっしゃるわ。千代は、先ほどその御話を教えてもらったばかりなのだけれど──、お姉さまとご一緒できたら、とても素敵と思ったの。そうしたら、居てもたってもいられなくって。気付いたら、お姉さまの元へ走っていたわ。(少女よりの問い掛けにやや迂遠な言葉にて是を紡ぐ。そうして、仄かに芽生えし羞恥に頬へと朱を集わせたならば、少女にも娘の心が伝わるだろうか。) |
Published:2018/11/19 (Mon) 22:35 [ 9 ] |
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![]() 四賀龍子 |
千代に寂しい想いはさせませんとも。あたくしも千代と同じだけ、悲しんでいてよ。如何にも顔には出難いようだけれど、これでも十分に胸を締め付けられるように感じる程度には。ね。(肩を竦めるようにして娘は自嘲にも似た笑みをひとつ、落してみせた。落し物の繋いだご縁が今日日まで続き、初めましての頃よりも確かなる絆で結ばれているという実感は、決して自惚れや自意識の過剰が過ぎた為の結果ではないと思っていたい。只の勘違いであるならば、しかしそれもそれで良しとして。如何にかその勘違いを、少女が解いてくれませんよう──娘は年相応に狡賢く、見たいところだけを眺め、見たくないものには視線を向けない。それが赦される年頃が、終ぞしまいを迎えようとしていることを承知していればこそ、娘は今ばかり与えられている権利を存分に振るう。在るものは使わねば宝の持ち腐れである。若きを武器とし、無知を防具とし、無邪気の旗を振って、乙女たちは今日も花園の内側で黄色いささやかなる声をあげ続けている。──娘の返答に対して、早々にして首を縦に振る少女の姿を眺めると、娘の眦は綻んだ。愛し子を眺めるような、母の如き眼差しと、姉という立場からの眼差しとを綯交ぜにして。)互いが互いの幸いとなるのは、とても良いことね。あたくし、千代がいるだけで十分な幸いを貰うことができているんですもの。あたくしたち、似た者同士だったのかしらね。それとも、姉妹を続けるうちに、本当の姉妹のように似てしまったのかしらん。(互いを互いの幸いとする関係を、姉妹の一言で片付けられるものではないと知りながら、そうと語るはあくまでも予防線。一歩を踏み込めば最後、姉妹は姉妹としての関係性を見失うに違いない。──娘は既にそれに気づいていた。少女の無邪気故の無遠慮なまでの愛も、そして娘が少女に対して向ける愛も、きっと姉妹同市のそれとは異なることに。さりとてそこには確証がない。明瞭とはならない予測ばかりの、曖昧な境界線のうえを漂うに過ぎない考えである。故に、娘が色濃いに関して何かを少女へ打ち明ける機会は愈々訪れなかった。このまま桜が散る頃に、鳥籠へ向けて一歩を踏み出してしまえばいい──その時ばかりは、確かにそう。思っていた筈だった。)お千代の頼みなら、引き受けましょう。けれど写真を撮るばかりでは味気ないから、写真を撮った帰りには喫茶店にでも寄りましょうか。クリイムソオダでも頂きながら、もっと千代との思い出を深めさせて頂戴な。(さり気ない約束事を、恋人同士の逢瀬と呼ぶなら。この二人の間に交わされるこうした約束事は、乙女の密なる秘であるに違いなかった。) |
Published:2018/11/21 (Wed) 20:16 [ 10 ] |
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![]() 山縣八千代 |
(少女の振る舞いが自らが置かれし立場を理解した上でのものであるのと比べ、娘の振る舞いは無知と無垢を併せ固めたが故のもの。抑も、娘にとって世界とは甘やかなるものであるからこそ、何れを切り取ろうと映り込む色彩の全てが截然な華々しさを持して、いつだって娘を持て成すのだ。さりとて、斯様なる世界に於いても、甲乙という価値観は存在する。娘にとっての最善は、少女が齎す蜜の色──姉と慕う少女より賜る甘さは、ほかの何よりも芳しく、甘やかで、至上だった。故に決して見ることの叶わぬ心の裡を言葉にて示されれば、明瞭となる幸に、眦は下がり、口角は緩く吊り上がる。)お姉様はいつだってお美しくて、凛とされているから……千代では、お顔を拝見するだけではそのお心を見透すことはできないの。でも。でもね、お姉様は、千代が尋ねたなら、今のようにきちんと言葉にして下さるでしょう?そんなお姉様の優しさが千代はとっても心地良いの。(秋の空と喩えられるように、乙女の心は酷く気まぐれなものだ。それは、娘にも当て嵌る。移り気な娘の心を絡め取って捕らえて離さぬ所以は、無論、対峙する少女が持する凛然とした魅力もあろうが、決して良き妹とはいえぬ為人の娘を訝しがることもなく見守り慈しんでくれる優しさがあってこそ。黒真珠に宿る光芒の穏やかさ──慈愛に充ちた眼差しは擽ったくも心地好く。宛ら、嘗て少女と邂逅を果たした日に世界に降り注いでいた春麗の陽光を思わせる。)寄り添うだけで、たくさんの幸せに包まれるなんて夢のよう。……ふふ、きっと、どちらも、ではないかしら。千代とお姉様は似ている部分が有ったからあの日惹き合うように出逢って、共にいるうちに少しずつお揃いが多くなっていったのよ。だから、これからもきっと──ああ、でも。それでは、いつかひとつになってしまうかもしれないわね。(なんと夢見がちな言かと、呆れられてしまうやもしれない。それでも、思索へと音を与えるに際し、推敲を経られるような慎重さを娘は持してはいなかった。故にこそ、数拍の後に神妙な顔付きにて「けれど、お姉様とひとつになってしまっては斯うしておしゃべりもできないのかしら。それは、……とっても寂しいわ。」等と紡ぎ出すお粗末さ。少女と異なり心の向くままに言葉をつむぎ、何らの防波堤すら要しない娘こそ、危険因子と称して違わぬだろう。実際のところ、理解などしていないのだ。この箱庭に入れられた訳も。この箱庭より先に続く鳥籠の未来も。乙女なりし価値も、淑女の重積も、何もかもを。無垢を免罪符とできる刻限など、幾許もないというのに──けれど、今ばかりは無垢の上に無知を重ねて、無邪気に笑みを深めるばかりだった。)有難う存じます、お姉様!クリイムソオダは、千代、まだ頂いたことがないの。翡翠色の飲み物にアイスクリンが乗っているのでしょう?きっと瞳はきらきら輝いて、ほっぺたは落ちてしまうのでしょうね。(心の弾みが双眸に、表情に、声音に宿る。乙女たちの密は甘く、儚く、故にこそ輝かんばかりの美しさを秘めるもの。具体的な日取りを次の週末に定める頃には、娘の頬を薄紅に染まり、栗色は燦然と輝いていた。) |
Published:2018/11/23 (Fri) 00:33 [ 11 ] |
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