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續.渺茫なる春嵐の向こうに |
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![]() 山縣八千代 |
(鳥籠が花籠へ変わり、世界の最大単位が二人となってから、幾年経っただろう。少女の稚さを失いつつある娘の聴覚や触覚は、五感のうちのひとつを代償として、随分と研ぎ澄まされていた。とはいえ、前述の通り世界は極めて閉ざされた狭きもの。故に、その矛先に存するは、少女と、娘自身のみ。譬えば。少しずつ己が顎の形が変わってきた。花唇のあわいより奏でられる声音も、過日、学園で過ごしていたときと比して落ち着きを孕む音となった。手足も伸びて、体つきも随分と女の其れに近づいている。纏う熱は、やや温度を低くして──。清澄たる冬の、未だ夜気の静けさが残る鳥籠にて、とこしえの誓いを交わしたときの姿かたちから随分と変容してしまったことだろう。それは、少女から淑女へ至る当然の帰結、子どもが大人になるための成長であり、成る可くして成るものである。けれど。娘はその変容を受容することが出来なかった。愛らしく、愛されるべき像からの乖離──、心のうちはあの時と寸分変わらぬというのに、外側の姿ばかりが変わってゆく。そうして、その変化を自らが瞳にて映せぬことも相俟ってか、軈て娘のこころには仄暗い希求が宿るようになる。)ねえ、お姉様。わたくしのあなた──お願いがあるの。(その希求に音を与えんとした契機は些細なものであった。早朝、娘と少女との息遣いのみが響く、娘のために与えられた花籠にて、娘はいつものとおり少女に身形を整えてもらい、吐息が混じらう距離にて花唇へ薄紅色の紅を引いてもらっていた。その折、昨日は滑らかに唇を撫でた筆先が端のあたりで薄い皮に引っ掛かる。痛みは走らずとも、拭いがたい違和感を抱いた娘は、ぱち、と瞼を瞬かせ、自らの指先を紅が中途半端に引かれた唇へと添えた。そうして、自らが唇の、瑞々しいだけではない現状を悟って、屹度少女の双眸があるであろう場所へ桃色の眼差しを向ける。凪いだ海のような、静かで落ち着いた声音だった。)お姉様の瞳でわたくしを見て、わたくしがいっとう美しく思えた日にね、……(言葉と共に紅筆を持つ少女の手首へと先頃まで唇に這わせていた娘の指先を添える。そうして、一度息を淡く吐いて、唇へと弧を引いたなら、淡く、甘い声を心掛けいつかのように強請るみたいに続けよう。)──どうかわたくしを手折っていただけないかしら。(自らを花と喩え、切なる希望を軽やかに紡ぐ。とこしえの恋を抱いたまま、愛らしい娘の姿で時を止めたい、と。そうして、少女のくちびるが何かを奏でるよりも先に、抱く願いの強さを示すかのように、言の葉をいくつも重ねた。)千代は、いつまでも、お姉様の中で一番の花で在りたいの。可愛い乙女でありたいの──萎れ、枯れる姿は見て頂きたくないわ。だから、千代が、わたくしが、一番美しい日に──あなたの手で、殺めて欲しいの。(元より、娘という花が実を結ぶことは無い。ひとらしい未来は、あの鳥籠に置いてきた。後は、少女が愛でる唯一の花としての在り方を貫くのみ。なれば、如何して、醜く朽ち果てることを美とできよう。恋心と魂も朽ちぬと言うのに、それを宿す体躯が醜くなりゆくというならば、そんな殻は脱いでしまえばいい。無くしてしまえば、美しいものだけが、遺るはず。)千代の、最後のお願いよ。叶えて下さるでしょう?ねえ、龍子さま。(相変わらず薔薇色に耀く双眸は、盲目なまでに少女を求め、少女からの愛を欲する。少女だけを欲し、少女に愛される自らをひたすらに求めた。もしも、少女より諾を賜ることが出来たなら、娘は幸せそうにひとみを眇め、「千代の棺には、たくさんの薔薇を敷き詰めてくださいな。お姉様。」そんなふうに強請るだろう。クリィムソォダを飲みたいと強請ったときと同じような語調と声色で── 美しい薔薇は棘を持ち、愛らしい鈴蘭は毒を孕む。ならば、稚い少女が愛にはなにが含まれよう。その答えを得られるとすれば、この世で唯一、至宝の縁の先にある美しい少女だけ。) |
Published:2018/12/28 (Fri) 23:30 [ 35 ] |
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