ブーゲンビリアをあなたに

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肆.スピカが流れた日
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伊塚幸子
(事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。噂の渦中である彼女、ではなくもう一人の人物、瀬尾来冬子に会いに行ったのはつい先ほどの事である。そこで出会ったもう一人の女性。二人から聞かされた事は凡そ現実に起こり得るとは思えないことで、けれど事実、彼女は──大切なお姉様は、起こり得るとは思えない現象に苦しめられている。煌めく海面の光を閉じ込めたような眩い瞳を見たとき、畏怖を感じはしなかった。以前と変わらぬ美しいままの彼女であると感じた。ふと緩めた頬は、そのことを有り体と示した事だろう。彼女の部屋に幾度も足を運び、そうして救い出すと誓った言葉を違えぬ為に真実を手に入れたのだけれど、少しばかり気落ちしたように歩みを進めているのには、それなりの理由があった。)初恋と、引き換え……。(はあっと零した空気は溜息となって散っていく。あの二人が嘘を吐くとは思えない。何より、嘘を伝えたところで得られるものはなにもないと思えたからこそ。ならば、彼女が誰かを思っているということになる。その相手は一体誰であるのか、考えて浮かんでくるはずもない。)辛い選択って言っていたわね。(零す独り言は、誰に聞かれることもなく。辛い選択──彼女の瞳の光を取り戻すのが、もしかすると──ふるり、首を横に振った。おさげが揺れて、そうして歩みを進める先。ふと前から来る一人の男性を目に映した。ぱちり、と目を瞬かせて、慌てて習った作法をする。まさか学園の方から男性が歩いて来るとは思ってはいなかったが、上手く作り笑顔を浮かべることは出来たはずだ。けれど、安堵よりも先、胸に宿ったのは妙な違和感だ。どうして殿方が歩いて来たのか、そもそもこの道から来る人間なんて、学園の関係者くらいしかいないはず──つまりは。その考えが過ぎったとき、伊塚は慌てて後ろを振り返った。随分と進んだ先、歩みを進める男を追いかけようとしたとき、思い浮かんだ彼女の顔。今胸に宿るのは予感でしかない。予感が予感ではなく事実だったとしたのなら、自分にすべきことはあの男を追いかけることではない。伊塚は学園の方へと急ぎ足を進めた。──嫌な予感というものは当たるらしい。学園内に蔓延る新たな噂。それを耳にしたとき、伊塚は愕然とした。そうして胸元で手を組んで、小さく息を落とす。伊塚に気がついた少女達は慌てて噂話をやめて、ごきげんようと笑いかけてきた。それに答えるように笑い返す。)……未稀お姉様……。(そっと名前を囁いた。優しく誰よりも傷つくやすい彼女は、どうしているだろうか。先ほどの男がどんな人間であるのか、知るわけではないけれど。悲しみの底に沈まないようにと願うことしかできない。そうして思い出すのは館で告げられた言葉。彼女の想い人がもし、あの殿方であったのなら──ああけれど。もしも彼女の瞳に光が戻っていないのだとしたら。その相手がもしかしたのならと、思ってしまう心に気づく。そうだとしたのなら、どうするというのだろうか。彼女の光を取り戻せるのは──小さく浮かんだひとつの感情。その感情に名前をつけることを、少女はひっそりと拒んだ)
Published:2018/12/15 (Sat) 23:56 [ 29 ]