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弐.春はディミヌエンドに |
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![]() 葛城翔子 |
(待ち侘びた約束の日が来るまでたったの七日だったというのに、それだけの時間が過ぎるのをこんなにも長く感じたのは初めてだった。毎日、ふと気付けば暦を眺めていて、頭の中は彼女と過ごすその日がどんなものになるかとの想像ばかり。あまりに楽しみなものだから、前日の夜は中々寝付けなかったというのはここだけの、葛城だけの秘密の話。遠くで囀る鳥の声にぱちりと目を開けたなら慣れた手つきで身支度を整えよう。結った一束の三つ編みを左肩に流し、迷った末に椿が舞うお気に入りの着物に臙脂色の袴を合わせてみる。粧し込んだ格好は「写真に残すのだから綺麗でなくちゃ」との苦しい言い訳を羽織っていた。誰に言うでも無い、自分自身への言い聞かせ。姿見の前でくるくると角度を変えて可笑しなところが無いか、入念に確認しては、少し早めに自室を出たならば、やがて彼女の部屋へ続く道にブーツの軽やかな足音とご機嫌な鼻歌が小さく響く。事前に此方から、迎えに行くとは伝えていた。ノックをしたのは約束より数分早かったけれど、扉が開かれたならその向こうで、堪えることのできないとびきりの笑顔を浮かべていたはずだ。)御機嫌よう、翔子ちゃん!準備はよろしい?(そんな挨拶も程々に、逸る気持ちのまま「行きましょうか。」と手を差し伸べる。折角のお出かけなのだから少しでも触れたい、そんな浅ましい下心故にであったが、果たして彼女は応えてくれるだろうか。否であれば大袈裟に残念がって、大人しくその手を下ろすのだけれど、もしも温もりが重なれば無邪気な笑みが色を深めよう。)楽しみねえ。どんな風にして撮りましょうか?(そんな他愛ない言葉を交わしていればきっと、目的地までの道のりもあっという間だ。) |
Published:2018/11/24 (Sat) 21:21 [ 11 ] |
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![]() 茅倉牡丹 |
(指折り数えた七日間、彼女の隣に並ぶのにどう振る舞ったら良いのかと、昼とも夜ともなく考えていた。母や周囲が挙って着せ替え人形にしてくるものだから、箪笥の中はいつだって、如何にもハイカラな乙女が好みそうな色柄に溢れている。自分に可愛らしい出で立ちが似合うとは一向に思えないけれども、折角一緒に写真を撮るのだから、少しくらい飾らなければ。約束の訪れを告げるノックの音に、鼓動が一際大きく胸を叩いて、さっと椅子から立ち上がった娘は最後の仕上げとばかりに姿見に映った己を見返した。フリルをあしらったシルクのブラウスに臙脂の袴を合わせた出で立ちで、いつも通りの仏頂面が鏡に映っていた。最後の確認を済ませて扉を開けるまでに、時計の秒針は半周もしなかっただろう。)御機嫌よう、翔子姉さん。(礼儀に則った礼で出迎えて、ふと彼女の出で立ちに視線を移す。鮮やかに描かれた赤い花がじわりと滲むようにぼやけた。)――あら。素敵な御召し物。私もちりめんの方がよかったかしら。(瞬きの間の出来事。僅か眉を潜めて――とは言っても、常日頃眉間に皺の濃い娘のこと、別段珍しい相形でもないのだけれど、目を細めて確かめる様に見れば椿の柄が鮮明になる。「とてもお似合いです」と一瞬の間を椿柄に見惚れたことにして、彼女の手を取ってしまおう。あたたかなてのひらに、瞳の奥を苛む熱が和らいでいくようだった。自然、かんばせの険も薄らいで、手を取りあって歩き出す足取りも軽いもの。麗らかな日和を映して、黒いばかりのまなこも穏やかな光を宿し。)写真館の方が、屹度良い様に撮ってくださるわ。……ほら、ご覧になって。あの西洋館ではないかしら?(さして長い道のりではない。示した先に佇む蔦で覆われた建物が一つ。道順は間違っていない筈。そうであるならば、屹度あれが、乙女の集う噂の写真館なのだろうと。) |
Published:2018/11/26 (Mon) 02:01 [ 12 ] |
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![]() 葛城翔子 |
(扉を叩いてからの数秒、落ち着きの欠けた視線は廊下の向こうや自身の爪先を行き来する。髪型は崩れていないだろうかとその毛先を見遣ったのと古びた金具が声を上げたのとは殆ど同時であったろう。しゃんと背筋を伸ばし見た彼女は、何時もよりもずっと綺麗で華やいでいた。今日という日を待ち望んでいた娘にとっては、こうして顔を合わせただけでも嬉しいことだというのに、彼女も同じ気持ちだったのだろうかと期待して――舞い上がった心は視界を淡く曇らせて、彼女の眉間の皺がいつもよりもほんの少し深いことに気付けなかった。常に眼鏡を掛けた彼女だ、褒め言葉を添えられたなら、細められた眼差しだっておめかししたこの姿を唯よく見てくれただけとも取れて、「ありがとう」とはにかむに留まった。)これね、今一番のお気に入りなの。牡丹ちゃんもとっても素敵だわ!はいからな装いが似合って羨ましい。私も挑戦してみたいとは思うのだけれど、自分じゃ似合うかどうかも分からないし……。いっそ牡丹ちゃんに見繕って貰おうかしら?(柔い手を握りながら軽やかに紡ぐ。普段よりも穏やかに見える表情と陽射しを受けて煌く瞳を何度も盗み見ては、自然唇が弧を描いた。凛とした佇まいの彼女がふと和らいだ様子を見せてくれるのが昔から好きだったから。つい衝動のまま、じゃれつくように腕を組んでは示された館に目を向けた。)まぁ、本当。きっとそうよ!このリース、目印だと聞いているもの。……さ、入りましょう?(腕を解いて一足先に出迎えてくれたブーゲンビリアのリースに駆け寄っては、彼女に幼子のような笑みを向ける。そうして扉の前で目配せを一つ、大丈夫だと分かれば意を決して扉を開けよう。その向こうで待っていた美しい女性へ、ここへ来た目的を告げたなら後はその人に任せれば良い。) |
Published:2018/11/27 (Tue) 21:23 [ 13 ] |
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![]() 茅倉牡丹 |
(彼女の隣を歩いたことは、それこそ幼い頃から両手の数では足りないほどだ。引く手に縋って後をついて回っていた昔日は、今でも手を繋ぐ度毎に胸に過るうつくしき思い出。幼心で自分の感情でころころと変化してゆく彼女のかんばせを物珍しく思ったのを覚えている。おおきな栗色の瞳が映す世界は、どんなにか鮮やかなのだろうと憧れたのだったか。こうして歳を重ねてなお、彼女の隣に居られることは僥倖なれど、さてこの胸を過る想いは姉と慕うに相応しいものであろうか。晴れやかな外出日和の今日、黒の瞳には彼女ばかりが映っている。)お写真を撮っていただいたあとで、お洋服を見に行ってみる?私、普段あまり自分では買いに出ないのだけれど、翔子姉さんが着てくださるのなら、選んでみたいわ。(つないだ手の反対、空いた指先で襟元のたっぷりとしたフリルをちょんと直した。明るい日差しの下でぼんやりと灯るミルクホールの洋灯を通り過ぎ、賑やかさから少し遠ざかれば写真館は西洋の御伽噺にでも出てきそうな佇まいを覗かせていた。駆けてゆく彼女の背中を、そう離れた距離でもなしに「待ってちょうだい」と声を掛けつつ追い掛ければ、またじわり。眩さに目がくらむように視界がぼやける。笑顔が眩しい、なんて比喩だろう。窓硝子に反射した陽射しに少し眩んだだけ、きっと。さっと瞬きをしてしまえば、扉の前に立つ彼女へ一つ頷いて、開いた門扉の先へ共に入って行こう。)御免下さい、お写真を――(用を告げる傍ら、店に待つ女店主の、その両のまなこに視線を吸い寄せられたのは、娘が初めてではないのだろう。随分不躾なまじまじとした視線を送ったと思ったけれど、女性は微笑んだばかりだった。)……綺麗な方ね。まるで本当に異人のよう。(撮影の準備をする店主の姿を目で追いながら、こそりと隣の彼女へ向けて囁く。学園に囁かれる写真館の噂の中で、店主を勤める女性に纏わるものも耳にしたことはあって、けれども実際に目にするまでは異人と聞いたところでそこまで興味は抱いていなかった。そうは言っても、実際に玉をはめ込んだ様な瞳を目の前にしては、どこか落ち着きなく心が騒めく。店の前でほどけた手を、もう一度求めたくなるくらいに。) |
Published:2018/11/30 (Fri) 01:08 [ 14 ] |
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![]() 葛城翔子 |
(日常における些細な出来事や、道中で目に付いた風景について。思いつくままに話題を広げるものだから、数歩進むたびに話の主軸はころころとその色を変えたことだろう。普段であれば多少は節度を守ろうと堪えられるものの、交わる視線があまりにもくすぐったくて、つい浮き足立ってしまうのだ。幼い頃からいつも、彼女の前では良い子にしていられない。いい加減落ち着かねばなるまいとの理性と、まだもう少しだけ甘えていたいとの欲求の間で揺れながら、繋いだ手に力を込めた。何は無くとも零れる笑みは、彼女からの提案に一層輝く。)いいのっ?是非!私も牡丹ちゃんに選んでもらいたいわ。……ねぇ、良いのがあれば二人で揃いにしてしまうのはどう?全く同じでなくとも、色を変えるだとかしてみたりして。(戯れのような提案にしては、声が震えそうだった。少しだけ駆け足になった心音が万が一にでも聞こえてしまわぬように、それと頬に集まった熱を散らすべく駆けたのだけれど、制止の声に振り向いては首を傾げる。どうかしたか問う前に扉は開いてしまったから、微かな違和感の正体を得ることは無いだろう。)……ええ。つい見惚れてしまったわ、とっても綺麗な色をしていたもの。でも髪は私たちと同じ色ね、…異人の方は皆、あのような――宝玉のような色を宿しているのかしら。(此方を認めた眼差しに、柔らかい微笑に、つい目を奪われてしまった。その馴染みの無い、白とも青とも取れるような色はまるでお伽噺に出てくる至宝のような輝きであったから。無意識を心に強いた所で、所作にぎこちなさが生まれるだけであるとは分かっていたけれど、精一杯、失礼にならぬような自然さを心がけてちらりとその人の背中を見る。)……なんだか緊張しちゃう。(潜めた声音を彼女の耳元に吹き込んでは、もう一度温もりを共有したくて手を伸ばした。重ねて、柔く力を込めれば準備が整ったと、呼びかける声が届くだろう。折角繋いだ手を解くのも惜しまれて、そのまま引いて歩き出す。指定された場所には二脚の椅子が置かれていたから、それに腰掛ける時だけ、一度離して。)…ねぇ牡丹ちゃん、せっかくだし手を繋いで撮りましょう?(やや上擦った声は、この時を待ち望んでいたが故の高揚か、それとも。願う様に胸の前で自身の両手を組んでは、そう強請る。) |
Published:2018/11/30 (Fri) 22:22 [ 15 ] |
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![]() 茅倉牡丹 |
(子犬のように可愛らしいと思う。風に遊ぶ花にも似ている。彼女は日向の人。そんな彼女とお揃いが似合うかどうか、少しばかり自信がない。頬に手を当てて、困った風に首を傾げた。舞台の上でなら、何だって着こなしみせるのに。どうして私はこうなのかしら。「揃いのハンカチーフくらいなら……。」せめてもとその場を収める言葉を投げかけて。陽射しの落ち着いた写真館の中に入ってしまえば、自然声は潜められ、)……あの方の瞳に見つめられると思うと、私、なんだか落ち着かないわ。(内緒話をしていることは、静かな店内のこと、屹度主人にも知れているだろうけれども中身までが届くことはないだろう。とはいえなるたけ声を小さくして話すうち、耳元で囁かれる声に、耳殻が熱を持つようだ。つられるように緊張してしまって、こくりと一つ頷いた。けれども、緊張するのはカメラを向けられるからではない。隣にいるのが彼女だからに相違なかった。)……ええ。そういたしましょう。折角ですもの、ね。(呼びかけに応じ、用意された椅子に腰掛けようとして、彼女の言葉にふとまたたく。乙女の鈴声は、何処か熱っぽくさえ聞こえて、愈々頭がおかしくなってしまったかもしれない。口元に笑みを湛える代わりに、ちょっぴりと目を細め、てのひらを上につなぐ手を差し出そう。)――彼方の長椅子では如何?本物の姉妹の気分でも、味わってみるというのは。(けれども用意された一脚に座る前に、視線を巡らせれば片隅に西洋風の貝殻ソファが目に留まり、指先を其方へ向けてみようか。二人掛けのソファには二人並んで座ることも出来よう。仲睦まじく、手をつないで、近く寄り添って。そうしたら、本物の姉妹のように、或いは、それより親しい様に、写るだろうか。唯一残る形に思い出ならば、美しく。噂の真相など二の次に、形だけでも想いが通じ合っているように錯覚できたら。彼女が同意してくれたなら、「奥様、宜しいかしら?」と主人に声を掛けながら、差し出す手にエスコートの役目を持たせて。勿論、二脚に並んで写ることもやぶさかではなく。いずれにせよ、女主人が不思議な瞳で撮影機を見つめる向こうには、手をつないだ二人の少女が事写っていることだろう。) |
Published:2018/12/02 (Sun) 01:51 [ 16 ] |
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![]() 葛城翔子 |
(二人の少女以外に客の居ない店内では、秒針が刻む音も、些細な衣擦れの音も、主人である女性が機材を準備しているらしい物音も、全て耳に届いた。まるで図書館や、幕が上がる寸前の劇場のようだ。潜めたはずの声もうんと静かな室内ではしっかりと聞こえる。館の主人の華奢な背中から隣にいる彼女へ視線を滑らせ、激しい同意を示す様に小刻みに頷いて見せた。可笑しなところは無いだろうかともう一度襟元や袴の裾、ブーツの靴紐に髪型と落ち着きなく見下ろしては「変な所はないかしら?」だなんて、心配そうに眉根を寄せて。)……でも、あんな美しい瞳が見つめてくれるんだもの。素晴らしい写りになるのでしょうね。(緊張はする。思い描く将来、理想の淑女像に等しい女性の前に立ち、あの美しい瞳に見つめられるのだから。けれども同時に、あの人ならば確かに、いい写真を撮ってくれるのだろうとも思った。この先他の誰とも、此処で写真を撮る心算は無い。彼女とだけ。だから比べようのない位に美しく、今この瞬間の時を切り取ってくれるに違いない。頷いてくれた彼女の耳元へ続けてそう囁いた声音は、そんな甘い期待を孕んでいた。)まぁ……素敵。彼方の椅子がずっといいわ!是非、お願いします。(真っ直ぐに目を合わせればその瞳が細められたことに気付く。差し出された手と指先の示した先を見て、組んだ指先を解き、合わせて、同意に瞳を瞬かせた。一足先に腰掛けた椅子から立ち、彼女から差し出された手に自身のを重ねる。温かく柔らかいそれにとくりと鼓動が高鳴った。そんな二人へ贈られた微笑ましげな眼差しには柔い笑みを返しつつ、二人で並んでソファに腰掛けよう。姉妹の様に寄り添って、彼女の肩に触れる距離で。そこに甘えるように小首を傾げたなら、二人の親密さは言葉にせずとも見る者に伝わるであろう。)――ありがとうございました。(撮影が終わったとの声にほっとした声でそう返す。どきどきとまだ忙しない鼓動を押さえるように胸に手を当てていたものだから、店主からの説明もしっかりとは頭に入らなかった。辛うじて写真が出来上がるのはまだ少し先になるとのことだけ。繋いだ手を離すことだって忘れたふりをしていた。)ふぅ……緊張したわねえ。でも楽しみ、三週間も待ちきれるかしら。(――随分と遠ざかったブーゲンビリアのリースへ振り向けば、開放感からようやっとそんな言葉を紡ごう。こつこつと踵を鳴らしながら、向かうはこの辺りでも一番の賑わいを見せる商店の集まった大通り。日はまだ高い、買い物をする時間は十分にあるだろう。)……さて、牡丹ちゃん。約束よ、私に似合うお洋服を見繕ってくれるのでしょう?お揃いのハンカチーフも選びましょう。(けれど出来れば、身に着けられるものが良い。そんな我儘、今はぐっと我慢して笑みを浮かべたなら手を引いた。少女たちの休日はまだまだこれからだ。買い物を満喫し、疲れた時には甘味処で休んで、目一杯今日と言う日を輝く思い出で埋め尽くそう。そうこれからの予定をふわふわと語る女はとびきり幸せそうに、丸っこい瞳を細めた。) |
Published:2018/12/03 (Mon) 21:31 [ 17 ] |
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