ブーゲンビリアをあなたに

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肆.スピカが流れた日
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葛城翔子
(彼女の瞳を染め上げたものを呪いだと言うのなら、きっと解呪の方法もあるだろうと期待していた。毒には薬があるように、絶望には希望があるように。まだ記憶に新しい道を辿った先、初めて来たときとは全く異なる緊張に鼓動を騒がせてはリースの無い扉へ手を伸ばした。施錠されているかと思いきや呆気なく開いたその先には、目当ての人物ともう一人。虹を閉じ込めた寒色と、濡れた様に輝く黒真珠が驚いたように此方を見つめていた。)――突然ごめんなさい。でも、どうしても今、聞きたいことがあって。(此処で退くわけにはいかなかった。日に日に光を失っていくあの子の瞳を思えば、一分一秒たりとも無駄には出来ない。気圧され僅かに後退った足を踏み出して、扉を閉める。どうか、お時間を。緊張に駆ける鼓動を抑えつけ乍らそう続けた声音は自分でも驚くほどに只事ならぬ色をしていて、だからと言う訳ではないだろうけれども二人は優しく奥へと招き入れてくれた。ソファを勧め、香りの良い紅茶を淹れて、それから何事かと此方が話しやすいよう助け舟まで出して。其処で漸く、焦燥に駆られて突っ走った己を恥じるのだけれど、二人は柔く微笑むばかりだった。)………大切な人を、助けたいのです。(その一言を皮切りに、写真館を訪れた後の事をかいつまんで説明する。視力を失いつつある中でも変わらぬ彼女を、あの夜交わした約束を、思い出してはまた焦りが込み上げてきて。膝に置いた手が、袴に深く皺を刻んだ。)どうすればいいのか分からないの………。だから、教えて下さい。礼を欠いた、恥知らずだとは重々承知の上ですけれど…お二人はどうして今も、その。見えているの…?どうすれば牡丹ちゃんは元の様に視力を取り戻せるの…?(特別な力のない、唯の少女に出来る事には限界があった。だから藁にも縋る思いで問う。宝石を宿した瞳が揃って瞬き、それから問いの答えを与えてくれたのだった。すっかり冷たくなった紅茶に漸く口を付ける、けれどその味はよく分からなかった。舞台の脚本と思えばよく出来た筋書きだ、けれど語られたのは紛うことなき真実。未来を選んだ二人が歩んだ、現実だ。カップをソーサーに戻したなら、頭を下げた。話してくれた事への感謝と不躾な態度であったことを謝罪し、館を後にする。初恋。乱れた思考の中、その言葉だけが耳の奥で反響して足取りを重くする。炎のように鮮やかな瞳は、彼女が誰かに焦がれた証だった。ならば、一体誰に? そんな疑問が浮かんではちりちりと胸を焦がす。自分である筈がない、ならば婚約者のその人だろうか。或いは舞台で携わった関係者?そう思考を巡らせても答えは彼女の中にしか無いと分かり切っていた。「屹度、」と最後に館の主人から告げられた一言も気掛かりだった。視力か、初恋か。どちらか一つしか選べぬのだと告げるのは確かに、)辛いわね……。(叶うなら、どちらも手にして欲しかった。病などとは無縁の所で、幸福を胸一杯に抱いて欲しかった。もう何度目とも知れぬ溜息と共に寮へ戻り、部屋へ向かう途中。「ねぇ聞いた?」なんて潜めた声にふと足が止まる。)――……え?(婚約破棄を突き付けられ、実家に戻るらしいと囁かれていたのが最上階で今も一人でいるその人だと分かると同時、慌てて来た道を戻る。名簿を捲れば、一番最後に記されていたのは確かに彼女の婚約者の名だった。)…………最低。ほんと、最低最悪……。(呆然とした呟きは誰にも届かない。けれどそれで良かった。詰ったのは、彼女の婚約者では無かったから。もし彼女の初恋相手がその人であったなら、これで彼女の視力が快復に向かうかもしれないと、彼女が傷ついた可能性を一瞬でも喜んでしまった、自分自身、だったから。)
Published:2018/12/14 (Fri) 19:39 [ 24 ]