[ 他の物語を読み返す ]
壱.いとけなくとも戀の花 |
|
![]() 茅倉牡丹 |
(避暑地で過ごす夏季休暇を終えて暫く。軽井沢だとか箱根だとか、銘々が過ごした典雅でありふれた夏の話題もなんだかんだと尽きる頃、時節は漸う秋の深まりを見せ始め、窓の外では黄葉を控えた銀杏の葉が一枚、また一枚と風に攫われていた。踊り場のはめ殺しから見上げる秋は寂しい。さりとて胸に過る感傷は、わあっと上階に広がった乙女たちの声によって掻き消される。鐘の音より分かり良い、上学年の放課の合図だった。教室の引き戸が開け閉めされる音、慎ましやかで姦しい女生徒たちの御喋り。階段の上へ視線を移せば、早くも幾人かが教室を後に各々何処かへ歩いてゆく。――このときを待っていた。眼鏡の奥で上の階を睨め付ける様にやおら目を細め、秋思を覚えた一瞬を置き去りにして、つと踊り場から踏み出す一歩は戦場に宛ら赴くが如く。)ごきげんよう、御姉様方。(二級三級上の方々が行き過ぎるたび慇懃に頭を下げながら、上学年の集う階を淀みなくずんずん先へ進んでゆく。両のまなこは人を探して確りと光を宿し、足取りに遠慮がないわりに、目立つことを嫌って背景に溶け込むように壁際を歩く。色褪せた木枯らしにでもなった気分で一直線に目当ての教室を目指した。)翔子さんは此方にいらっしゃる?(斯くしてたどり着いた先で、戸口に屯する女生徒に声を掛けた。華やかな四学年の教室に、ぽつりと二学年のつぼみが混じる。幾度か此方を訪ねたことはあれど、果たしてどのように映るものだろうか。場違いに上学年の階へ上がってきたのも、偏にふたつ年上の彼女を訪ねてのこと。とはいえ、下級の女生徒が用事を持ってくるのが珍しいわけでもなし。取り次ぎを頼む傍ら、開け放たれた戸の先に慕わしい人の姿を探してぐるりと教室を見回した。) |
Published:2018/11/16 (Fri) 00:53 [ 3 ] |
|
![]() 葛城翔子 |
(薄紅を引いた担任教師の麗らかな唇が、学生としての今日を終いとする一声を紡ぐ。鈴を鳴らしたように可憐な女学生達の声が今日一番の明るさでそれに応える中、葛城の唇はぼんやりと結ばれたままだった。机に頬を突き睫毛を伏せたまま、吐き出す吐息は些か重たい。馴染みの劇場に足繁く通っては非現実的で煌びやかな世界に時を忘れ、好み選んだ習い事に精を出す夏休みが終わった事も、胸で芽生える憂鬱の種の一つ。もう一つは、ゆっくりと迫り来る冬の気配が供としている言いようのない切なさ。「どうかした?」と席に着いたまま振り向く旧友へは首を振り、切り替えるように大きな深呼吸を一度、二度。くりっと丸い瞳を柔く細めて、何でもないわと笑ってみせる。)……寒くなってきて、嫌だわって思っただけ。指が悴んで、思う様に動かなくなってしまうんだもの。(茶化すような軽やかさに合わせて、両の手を頬につく。そのまましばしの歓談に移ろうとした所で、また別の旧友に名を呼ばれた。指先に誘われ向けた眼が教室の出入り口に立つその姿を認めたならば、瞬間まるで朝陽を浴びた蕾が開くかのように喜色が顔いっぱいに広がるだろう。)牡丹ちゃん!まぁ、どうしたの?何かあった?(話途中の友人たちに断りを入れる余裕も無く、彼女の元へ駆け寄る姿はまるで主人を見つけた犬の様。見えぬ尻尾を振りながら、にこりと浮かべる笑みだけは上品に。その来訪を喜び乍ら、小首を傾げるのだ。) |
Published:2018/11/16 (Fri) 20:54 [ 4 ] |
|
![]() 茅倉牡丹 |
(一通り視線を流せば、馴染みの薄い容貌や後姿の中で、彼女の姿が輝いているように一際目を引いて見えるのは如何なる道理だろうか。そのかんばせが旧知の声に振り向き、此方を認めて瞬く間に表情が移り変わってゆくのをじぃっと眺めていると、他のものは丸切り気にならなくなってしまうのだからこれはいけない。にこりともせず、かといってまごつくでもなく、ともすれば厳めしいような顔で冷然とただ一人を見つめている様はとても無邪気な後輩の姿とは言い難いだろう。いつのころからか背丈も逆になって、見上げることで補っていた幼気もなくしてしまった。それに対して、背丈に比例するように年上の姉分が可愛らしく見えてくるのだから不思議なもの。あるはずのない尻尾が、彼女の背後で嬉し気に揺れているような錯覚を覚える始末。その喜色につられてか、僅かに目元の険も和らいで。)ええ、……いいえ、急ぎの用事ということではないのですけれど。(始めこっくりと頷いて、かと思えば考え直して言い淀む。勇んで来たはいいけれど、飛び込みの急用とは言い難い。それに――ちらと視線を上げる。此処は人の目が多い。)翔子さんに弾いていただきたい譜を家から幾つか届けていただいたの。これから少し、お時間よろしい?(顔色は一つも変えないままに、如何にもそれらしい用事――それもさして急を要さない案件を持ち出して、姉と慕う人の細やかな手指に誘いの手を差し伸べよう。幼き時分であれば自分勝手に手を繋いで思うまま攫ってゆくこともできようけれど、淑女たるもの相手の意に反する強引な振る舞いはしないもの。さりとて黒々としたまなこでじっと見つめていては、ほしいものを目で訴える子供と同じかもしれない。ふたりでお話がしたいの、いいでしょう?――直向きな瞳がほんのりと強請る色を宿す。許容を信じて疑わなかった。) |
Published:2018/11/17 (Sat) 15:43 [ 5 ] |
|
![]() 葛城翔子 |
(放課を迎え浮き足だった声が満ちる教室の、その向こうに立つ年下の幼馴染。いくつか向けられた好奇の目に萎縮するでもなく此方を真っ直ぐ見つめるその眼差しは知り得る誰よりも鮮烈で、いつだって容易く心を奪う。だから、先程までの淡い憂鬱なんてものもすっかり掻き消されてしまった。かわいい妹分を前にしてはいつもこう。胸の奥底から湧き上がるのは優しい色をした感情で、それを隠せたことなど一度もない。今だってきっと、伝わってしまっているのだろう。意識せずとも零れる笑声と、弧を描く己の唇。それに眼鏡の奥が和らぐ気配がするのが証だ。)あら、そうなの?ふふ、こうして牡丹ちゃんが来てくれるなんて、火急の件かと思ったから少し意外。でも嬉しいわ。(顔の前で両の指先を合わせたなら、言葉に嘘はないと言わんばかりの微笑みを浮かべ、見上げた。続く言葉があろうかと待ち望んではさらりと下ろした前髪が揺れる。)まあ、素敵!私で良ければ喜んで。丁度暇を持て余していたところだし、時間はいくらでもあるの。(茶を帯びた瞳は大きく瞬き、やがてとろける。差し伸べられた手を取らない理由、可愛らしいお強請りを断る理由が、一体どこにあろう。白魚のような指先に自身のを重ね、そのまま柔く握り込んでしまう。寄り添うように隣に立てば、「今の時間なら、きっと音楽室は空いているわね。」と楽しげに紡いだ。話をするためならば自室ででも構わないのだけれど、と付け足して、とりあえずと歩き出そう。) |
Published:2018/11/18 (Sun) 12:16 [ 6 ] |
|
![]() 茅倉牡丹 |
(突然の訪問にも拘わらず迎える笑顔があればほっと一息――とはいえ一息の代わりにけぶるまつげをはさと震わせたに過ぎず、けれども気難し屋の面の下では、重なったやわらかな手のひらに、自分が差し出した手だというのにことりと胸が音を立てる。春を運ぶ女神に触れたようだった。行き先ばかりは音楽室に定めて教室を後に、幾らか歩を進めればうら若き姦しさは遠ざかり、通りすがる者も会釈を交わす程度に落ち着いたところで。)――ごめんなさい、姉さん。少し嘘をつきました。(重ねた手をそっと握り返して、正直に言おう。音楽室へ行っても手元に譜はないと。)譜はまだ私のお部屋に置いてあるの。それとは別に、姉さんにお願いしたいことがあったものだから……連れ出してしまってごめんなさい。よろしければ、先に私のお部屋へ寄ってから、音楽室に行きましょう。(彼女に弾いてもらいたいのは本当。けれども、それが今日訪ねた用件というのは偽り。級友の元から連れ出してしまったことは少し後ろめたくもあって、何しろ野に咲く花のように可憐で快活な彼女には、同級の友人も多かろうと思うが故。けれど無茶なお強請りを聞いてくれる程には心を置いてくれているのは確かだろうと理解している。だからこそ彼女に対しては、図々しくも甘えてしまうのだ。音楽室へ行く前に、と寮の方を示して伺う。出鼻を挫くようで申し訳ない気持ちもあれど、心の内は本来の目的の為にそわそわと落ち着かなかった。努めて冷静にひとつ瞬きをして、それでね、と何気なく"お願い"の為に言葉を継ぎ。)翔子姉さん。私、翔子姉さんとお写真が撮りたいの。――九重葛の、写真館で。(曰く、彼の写真館で運命の人と写真を撮ると――年頃の乙女たちの間ではありがちな噂なのかもしれない。けれど、そんな噂のことなどおくびにも出さず、「写真をお守りにするのが流行っているでしょう。」と、ただふたりで写真を撮るのが目的であるかのように言葉を紡ぐ。九重葛の写真館と言えば、などとまことしやかな噂は、さて、彼女の知るところであろうか。平生、臆病風などどこ吹く風の娘が少しだけ顔を俯けて、重たく切り揃えられた前髪が目元にかかる。それに従って視線も少しばかり余所へ流れて、それだけが少女の抱く緊張を見出す鍵だった。) |
Published:2018/11/20 (Tue) 01:58 [ 7 ] |
|
![]() 葛城翔子 |
(互いに手を取り重ねることの叶う距離だ。ちらりと覗き込んだ先、例え薄い硝子が遮ろうとも微かな動き一つ見落とさない。――睫毛、長いなあ。そんな事を思っては暖かな手に頬を緩める。音楽室への道すがら、話題は専ら夏季休暇や新学期に入ってからの出来事についてであろうけれども、口を開く比率はきっと女の方が多い。彼女の話も聞きたい、けれども自分の思い出も共有したい。我慢の利かぬ幼子のように『聞いて聞いて』とばかりに雑談に花咲かせてみれば、名も知らぬ少女たちの笑い声はあっという間に遠退いて行くだろう。代わりに、二人分の足音が明瞭に届く。繋いだ手に籠められた力と告げられた言葉にはたと立ち止まってしまったものだから、静寂が落ちるとすればその時、ほんの一瞬であった。嘘? そう短く反芻しては、彼女のまなこを見つめた。)あら、まぁ……そんなこと、全然気にしないで?牡丹ちゃんに連れ出されるのなら喜び勇んでついていくわ、私。だから謝る事では無いのよ。(思わず口元を覆った指先は、そのまま頬を包むように当てられる。小首を傾げた仕草に合わせわざと可愛げを演出したならば、「ええ、そうしましょうね。どんな譜かしら……、楽しみだわ。牡丹ちゃんはその曲を聞いたことがあって?」と何気なく訪ねよう。示された寮への道を辿るべく爪先は方向を変え、こつりと靴音が穏やかに鳴る。けれども一歩は踏み出されず、続きを待って黒曜石の瞳を見つめ返す笑みは柔い。)………九重葛の。(反芻では無く、確認。それは確か、実しやかに囁かれる噂の館では無かっただろうか。そう思うと同時、鼓動は普段よりも一音高く歌う。)ええ、私の友人たちも皆、話題にしていたわ。素敵な話と思っていたの。(――誰の隣で額に納まったなら、美しく映るのだろう。そう考えた時に浮かんだのは、望んだのは、麗らかな黒髪だった。)……牡丹ちゃんから誘ってもらえるだなんて、思っていなかったから、……やだわ、どうしましょう。(繋いだ手の力を抜き、その指先を絡め取る。そうして先程よりも深く繋ぎとめたなら、空いた手で重たそうな前髪をちょんと流した。緊張しているだなんて珍しいと驚くも、それだけ思い切った誘いだと思えば愛らしい。ほんのり熱っぽい頬を綻ばせ、続けた。)私もね、牡丹ちゃんと撮りたいなって思っていたから。今、とっても嬉しい! |
Published:2018/11/20 (Tue) 23:24 [ 8 ] |
|
![]() 茅倉牡丹 |
(ふんわりとやわらかな少女の香りが心を満たす。小首を傾げる愛らしさに目を留めつつ、許容を信じてついた嘘とはいえ、いざ彼女の口からそれを聞くと浮足立ってしまう。感謝を告げるのに「翔子姉さんは、私を喜ばせるのがとても御上手ね。」と戯れを混ぜ込んだ。淑女にあるまじき我儘を通せるのも、お互いに学園にいるうちだけだと思えば、彼女に許されることは嬉しくもあれば、寂しさも伴ってくる。会話を弾ませるほどの甲斐性はないものの、歌うように語られる彼女の言葉に耳を傾け、ひとつひとつ相槌を打って、尽きない話題に時折は自らも口を開く。そんな近しい距離が心地よかった。けれどもいざ本題となると、今度は嘘を告白するよりも勇気が要ってしまって、彼女の反応に、いちいち心臓をおどかされながら「あちらの写真館は今、流行りだから」と何処か言い訳染みて頷いた。やっぱり御存知なのかしら。だとしたらお断りになるかしら。幾許かの不安が頭を過り、それが一層前髪の簾を重くした。ほどけた手指のあわいに入り込む空気がさっと心までも冷やすように思われたけれども、指先は深く繋ぎ直されて、前髪を払う指先が仄かに額を掠めていった。開けた視界で鮮やかな微笑みを見つめて、ぱち、と眼鏡の奥で瞬きが弾ける。)……翔子ちゃんも、私と?(気圧されたようになって、咄嗟にこぼれた言葉が相も変わらず可愛げないのが口惜しい。胸の奥がむずむずするのを堪え切れなくて、きゅっとくちびるを結んだ。桃色に色付いた彼女の笑みが眩しい。同じ気持ちを、自惚れてもいいものだろうか。)………それなら私も、とても嬉しいわ。お噂を聞いた時から、翔子姉さんとならどんなにいいかしらって、思っていたの。(表情が感情を語ることがないなら、自らの口で伝えるしかない。折角顔に現れない照れは、逸らした視線が物語るだろうか。一寸口角を上げてみれば済むことなのに、それを素面ですることは、実直に言葉を重ねるより難しかった。深く繋ぎ合わされた手を確かめるように握ってみれば、自分の頬も僅かばかり火照る気がする。常にはない頬の熱を隠したがるように、ついと手を引いて「行きましょう。」と宿舎へ向け道を促した。) |
Published:2018/11/22 (Thu) 23:04 [ 9 ] |
|
![]() 葛城翔子 |
(上手なのは果たして何方か。彼女がこうして何気ない戯れごとを口にするたびにこの胸はとくりと喜びに跳ねるのだと、そんな事はきっと、知らぬのだろうし想像してもいないのだろうと思うと何だか切なくなってしまうけれど。ころころと零した笑い声にはそんな乙女心を微塵も滲ませぬよう心掛け、)そうだったら嬉しいけれど。でも、喜ばせ方なら牡丹ちゃんのほうがずうっと上手。今日だってそう……教室に来てくれた時、とっても嬉しかったの。今もよ。(と冗談めかした本心を返すのだった。自分ばかり話してしまって、それに気付く度に口元を覆い、いけないいけないと苦笑い。彼女の声に耳を傾けつつ、時には話題を掘り下げて。落ち着いたその声色の紡ぐ言の葉が好きだから、いつまでだって話していたかった。流行の写真館についてだって、何れはこうして二人顔を合わせた際の話題の一つになったろう。自分から誘いの手を差し伸べたかもしれない。彼女がその写真館について既知であったことには些か驚いたし、「流行」についてもどこまで知っているのか分からなかったけれど、もしかして、もしかするのかしらと――弾けた瞬きに淡い期待が芽を出した。)………うん。(舞い上がる心地で微かに浮いた踵。共に紡いだのは普段よりもずっと幼い肯定で、その唇を結んだ彼女とは反対に柔く開いては笑みを浮かべよう。目一杯の背伸びしたものでは無い、唯の少女としてのあどけないものを。)まぁっ……同じことを考えていただなんて不思議ね?そうと分かっていれば、もっと早くにお誘いしていたのに。……ふふ。でも、牡丹ちゃんから誘って貰えたっていうこの事実が、嬉しくて嬉しくて。……うぅ、これからの毎日、きっと、何気なくこの瞬間を思い出しては頬が緩んでしまいそう。(甘やかに絡めた指に力を籠めては、空いた手でまた少し色を濃くした頬を扇ぐ。けれども交わらぬ視線に気付けば、その先を追う様に覗き込み、「照れてる?」なんて。問うた声は揶揄い混じりであった。彼女の美しい頬が同じ熱を宿している事にも気付くけれども、指摘する前に手を引かれて。一歩の遅れを取り戻すよう乱れた歩調を整えるついでに、繋いだ手に寄り添う様、距離を詰めたならねぇ、と呼びかける。)牡丹ちゃん、顔が赤いわ。……かわいい。(「こっちを向いて頂戴よ」彼女が拗ねてしまわぬよう、あまりしつこく強請ったりはしないけれど、楽し気な声はしばらく止まないはず。そうして宿舎へ向かう道中も浮かれた鼓動は歌い続ける。鍵盤の上で踊る指先もきっと、それに合わせて軽やかなステップを踏むのだろう。そうして彼女と別れ、支度して床に入る頃。約束のその日まであと――なんて、指折り数えては、待ち遠しさに心を震わせ乍ら、その夜を超えるのだ。) |
Published:2018/11/23 (Fri) 22:44 [ 10 ] |
|