ブーゲンビリアをあなたに

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續.渺茫なる春嵐の向こうに
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葛城翔子
(彼女の居ない学園生活は味気なかった。授業も、食事も、ピアノに触れることも歌を口遊むことだって、何か足りないように思えて仕方なかった。人前で笑むことは忘れなかったけれど、誰もいない放課後の音楽室でピアノの前に腰掛けた時、白い鍵盤の上で指を躍らせる時には無表情になりがちだった。あの子に逢いたい、声が聴きたい。そんなことを考えながら、譜面をなぞる。やがて季節が巡り、学年が上がって、卒業だとか結婚だとかの文字も一層現実味を帯びていったけれど、心に描くは何時だって真っ赤な瞳で此方を見つめる少女の姿だけ。だから、だろうか。どこか空虚なままに卒業式を迎え終えたその日の夜。もう幾つかの夜を越えれば、婚約者であるその人との結婚の話も本格的に進み出す。いよいよ少女は淑女として歩むべき道の前に立っていた。床に入り、布団を頭まで被りながら、瞼の向こうに彼女を描く。記憶に残るその声を、擦り切れるくらいに何度も何度も再生した。けれど、それで満足出来る筈もない。)…………。(ぱちりと目を開ける。上掛けを羽織り、必要な物だけ簡単に纏めた荷物を手に取って、こっそりと自宅を抜け出そう。門を出て走り出す。一瞬だけ振り返り、両親の部屋の灯りが消えているのを確認しては胸の内でごめんなさいと呟いた。最後の最後に我儘を許して下さいと、駆ける足に力を込める。この夜が明けぬ内に、急げ急げと前だけを見つめて。)……牡丹ちゃん。(――もう何度も訪れたことのある、彼女の家。その部屋が何処かだって分かっていた。自宅を抜け出すのとは訳が違うけれど、もうこの機を逃してはいけないとの思いだけで忍び込む。庭を大きく回り、物陰を利用して辿り着いた彼女の部屋の窓をそうっと叩いて、続けて名を呼んだ。答えてくれるまでそれは何度も繰り返されるだろう、五回目辺りで応答無ければ、諦めるかもしれないが――)……迎えに来たの。一緒に、行きましょう?(もしも窓の向こうに、愛しい赤が瞬いたならば。甘やかにそう囁いて、手を伸ばすのだ。無謀だとは分かっている、人並み以上の苦労が待ち受けているだろうことも、彼女に重荷を背負わせることになることも分かっている。それでも、貴女の居ない人生に意味は無い。茨道となろうともどうか、箱庭を飛び出し貴女の隣に立つ事を、選ばせて。)
Published:2018/12/29 (Sat) 15:34 [ 33 ]