ブーゲンビリアをあなたに

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参.ペイル・ムーン・シャドウ
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宝生花雨
(最初はすこうし、視界が霞む程度だった。それが徐々にぼやけるに代わり、黒曜石は異彩を宿すに至った。柔らかい薄青にまるでレエスを纏ったかのような縞模様。光の加減で虹彩のきらめきの色も変わって見える瞳を前に、娘の周囲からは人が減った。友人は勿論、教師さえも遠巻きに。それを寂しいとは思えども、口に出せぬまま浮かべた微笑みの色はきっと雨天のようだったかもしれず。日常生活においても躓くことが多くなり、人にぶつかることも多くなっていた。視えない分、耳はひとの声を拾うもの。痛む胸はあれど心配事はそれだけではなく、家のことだってそう。呪いかどうか、写真を撮った所為なのかはわからない。でもほんとうなら、一緒に写ったあの子は大丈夫かしら。こんな様子では家のことも儘ならず、長女としての務めも果たせるかどうか。月が欠けるかのように、心配事が浮かんでは支配されていく胸の内。それでもあの日、出掛けなければ良かったなんて、そんなことはちいとも思いはしなかった。デエトも、ふたりで写真を撮ったことも、ミルクホウルで甘味をはんぶんこしたことだって、欠片も後悔していない。隔離された1人部屋で過ごす時間は昼間はそれこそ持ち込んだ弦を弾いたりも出来るものだけれど、楽譜もあまり見えなくなってきていたから長い時間そうしていることもなく。休憩を挟みながらそっと、窓から階下の花壇を眺めていることも多かった。例え視界がぼやけていてもその姿は想像することが出来たし、花の色も覚えていられたから。そして夜になれば、差し込む月明かりだけがひとりきりの静寂に影を伸ばして慰めのように心和らげてくれるのだ。瞼の裏に描く姿が、心配でもあり支えでもあるように。)
Published:2018/12/05 (Wed) 00:29 [ 20 ]
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万丈艶子
(“あれ”が呪いだというなら、同じように写真を撮った自分を始めとして、流行りに乗じて写真を撮った生徒達にも変化があるべきではないだろうか。人から人へと移っていくならば、学園中に同じように瞳が違う色を宿す人間が沢山いるはずではないだろうか。――そんなことを言っても、今はまだ移っていないだけ、まだ変化していないだけ。容易く一蹴されて終わった。そう短気ではないけれども、流石に業腹で仕方がなくて、あの少女を庇うのかと冷めた目を向けられた時に啖呵を切ってしまった。)そのように仰るのでしたら、わたくしだって呪われてやりますとも! ええ、いっそ本望です! 余程に見えていない方々と関わりなど持ちたくはございませんので!(行為そのものに後悔は無い。もう少し、淑女らしい言葉選びがあっただろうと思っただけ。たった一度だけ出会った写真館の店主が、とても真剣に向き合ってくれたのを覚えている。嬉しそうに笑った顔も。あれが人を呪う時の表情なのだろうか。仮に、そうだとしても、望んでもいないのに瞳が変じて日々を過ごすのが難しくなっているひとに、あれほど冷たい目を向けて容易く孤独を仕向け、“いつも通り”を装う周囲に対する怒りは変わらなかっただろう。穏やかな気質であるからこそ、烈火の如く、という表現が似合うほどに怒り露わにしたのは相当周囲を驚かせたらしかった。それからは腫れ物を扱うように、というよりはまるで、万丈艶子という人間などいないかのように扱われた。勿論、課題があればこなして提出する。授業にだって出席している。けれども誰一人としてそこに万丈艶子が存在しているようには扱わない。だからと悲しいなどとは少しも思わなかった。悲しいのは、たいせつなひとから世界を見る力が日々奪われていっていること。監禁に等しく隔離されてしまっては、容易く会いに行くことも出来ない。だからこそ、夜が更けた頃、息を殺し足を忍ばせ、階段を慎重にのぼっていった。手に持つ小さな器に、甘い香りを携えて。そっとノックをする時、小さな花が暗い中で揺れる。潔く枝から落ちる花も、もう盛りは終わりそうだった。最後の最後に咲いたものを少し拾い集めてきただけではあるけれど、見て愛でる以外の方法で楽しめるものをと考えて。)花雨さん…花雨さん、わたくしです。艶子です。(呼ばう声は密やかに。けれどきっと、程なく迎え入れてもらえると疑いもせず。)
Published:2018/12/06 (Thu) 18:21 [ 21 ]
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宝生花雨
(呪の真偽などきっと些細なことだ。写真館の噂がどうあれ、異端は避けられるが世の常。それが不可解なままに瞳の色が転じたとなれば尚更。判断されるに肝要なのは結局のところ変化したという事実だけなのだから。自らに向けられる冷ややかなそれも、気持ちでどう思うかは別として理解は出来なくもない。自分や、大多数と違うものをひとは恐れるものだから。当事者としては、違和の始まりはもしかすると写真館へと赴く前からあったかもしれないとさえ思い辺りがあるからこそ、そう言った意味では誰よりも冷静でいるのかもしれず。隔離された孤独の中は冷たい視線こそ届かないものの、ひとりきりでいる分どうしても不意に考えに沈んでしまう。そうすれば心配ごとや杞憂が積もりよくない方向に行きがちで、気が滅入っては悪循環と思えばこそ気分転換を試みる。ひとりきりで出来ることも限られているから些細なことばかりだけれど、その中でも楽の音と景色を彩る色には特に支えられていた。後者に至っては想像も含め、思い出すその中にある姿ももちろんとして。土の香りの温かさ、花の香りの甘さ、彩る草木と共にある可憐な姿。見上げる瞳のまるさと鮮やかなきらめき、揺れる髪の柔らかさ、触れた指先の感触、この名を呼ぶ声まで、細部にわたるまでまなうらにあった。だから月明かりだけが心慰めるような夜に響いた声を聞き漏らすこともなければ違うこともなく、密やかな音に顔を上げた。)艶子さん?(誰であるかを問う疑問符ではなく、どうしてここにと訪ねるような音だっただろう。ぼやける視界はけれどまだ完全に失われてはいないから「すこし待っていてくださいね」と返してからゆっくりと扉へと向かう。足取りはすこし確かめるようにして、それからノブにてをかけて手前に引けば甘い香りと、ひとりきりの夜にはない色彩とあたたかさを感じた。)こんな時間にいらしては……いえ、わたしのもとにいらしては、叱られてしまいますよ?(それどころか彼女だって。呪がどうこうよりも冷ややかな視線を浴びせられて遠巻きに、腫れ物に触れるようにされてしまう。名を貶めて万丈の家にまで迷惑をかけてしまう。それは呪よりも余程憂うべきことで、非情なひとのありかただろう。けれど自分で思っていたよりもずっと、ここにひとりは心細かったよう。眉尻下げて困ったように彼女を見やってみる反面、「寒かったでしょう。冷えてはいけないから一度入って」と迎え入れてしまうのだから。)
Published:2018/12/07 (Fri) 13:47 [ 22 ]
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万丈艶子
(以前にも増して、花壇と向き合っている時間が増えた。誰かと言葉を交わす機会が減ったからだ。暇さえあれば雑草を抜き、土の具合を見て、根ざす花を観察する。より美しく咲けるように。花壇の様子を一緒に見たかった。そろそろこちらは終わりの時期。春の花の準備を始めていて、寒さでやられないように気を付けなければならない。そんな他愛無いことを話したりしながら、先日のデエトは楽しかったとか、ミルクホウルの甘味は美味しかったですねとか――在るはずだと思っていた明日が来ないなんて、いつでも考えられるのに。こんな形でやって来るだなんて思ってもみなかった。結婚の為に学園を去るのであれば、もっとおとなしくしていられたのだろう。そうではないから尚更、悔しさと悲しさがある。自分に何が出来るのだろうと、扉の前で少し考える。やっぱり、分からない。)叱られても構いません。わたくしがどうしても、花雨さんに会いたかったのです。(あくまでこれは自分の判断と行動である。渋られたって扉の前で待ち続けるくらいのつもりでいたからこそ、迎え入れてもらえたのがとても嬉しかった。「お邪魔いたします」と静かに入った部屋は、狭くて何とも味気ない。こんな場所にひとりずっといるのは、きっと心細いだろう。)金木犀の花を集めてきました。もう盛りも過ぎて終わる頃ですけれど…良い香りは変わりません。(そっとテーブルの上に置いた器で、季節の移ろいを感じてもらえたら。そうして自分が知るよりずっと慎重でぎこちない動きから、異彩宿した瞳にかつての鮮やかな世界は無いのだと分かってしまう。自分を見てほしいと浅ましくも思う。だって貴女の目に映るのは喜びなのだから。)……あまり、目の具合はよろしくありませんか?(どれくらい見えているのだろう。このままでは、全て見えなくなってしまうのだろうか。儚く終わる世界も、その先に待つものも。どうしてこうなってしまったのだろう。自分の目とひとつずつ交換できたらと考える。空のような色にレエスを宿す瞳を、ひとつずつ。お揃いですね、と笑って。自分の瞳で世界が見えるようになったら。絵空事と分かっている。それでも、諦めきれない。貴女が見ている世界を、貴女の瞳に自分が映ることを。)
Published:2018/12/08 (Sat) 15:29 [ 23 ]
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宝生花雨
まあ……いけないひとね。(咎める様な言葉選びの反面で声音は柔らかく、見つめる瞳はまろみを帯びて、こころは嬉しいと思ってしまっている。ほんとうにいけないのはきっと自分のほう。それでも、まなうらに浮かべて心寄せたきらめきがそこに在れば恋しくなってしまうのは致し方なし。細くなった心では尚更に、その気持ちが染みるのだ。叱られる事よりも会いたいと行ってくださる、その気持ちが。迎え入れた彼女を案内するように先ゆく足取りは、足元を確かめるようにゆっくりとしたもの。案内するほど広い部屋でもないけれど、今はほんの少し引っ掛かるだけでも容易く足を取られてしまうから。ただでさえ暗くなった視界に、今が夜とあらば尚更に。月明かりがあると言えどもずっと拾える光が少なくなってしまった瞳には、彼女のまぶしさすら以前のようには捉えられなくて。)この甘い香りはやっぱり、金木犀でしたのね。盛りの頃はきっと綺麗だったでしょうに、逃してしまいましたから。でもこうして届けていただけると、香りと共にちいさな花が思い浮かんでまるで……まるで一緒に、見つめたみたいですね。(微かな橙色がその小さな花なのだろう。朧気にしかとらえられないものなれど、香りと想像が手伝えば風景が浮かぶ。吹く風に乗って届く金木犀の香りに包まれて、彼女と一緒に並んで微笑み合う。実際には叶わなかったことを口に出すのはどうかと少し惑ったけれど、今彼女がこうして運んできてくれた季節の移ろいを確かに共に感じているから、結局は言葉にすることにした。異彩を宿した瞳を彼女へと向けて微笑むに、無理な様子は見られない。ただ少し、表情に精彩は欠いているかもしれなかったけれど。映しこんだものの輪郭をもうほとんどしっかりと捉えられない眼差しは、彼女を確かに見つめ認識していてもやっぱり違うもの。)……そうですね。大分暗くなってきています。ああでも、艶子さんのお顔はちゃんとわかりますよ。(日毎ぼやけて閉ざされていく視界であれど、まだ彼女を捉えることは出来る。それは違うものであっても安心できる点の一つだった。実際に彼女を目にしてどれだけ安堵したか。それは彼女の声が傍で聞こえる事、存在に対してだけではなく――まだ彼女をこの瞳に映しこむことが出来ている。滲んだ世界の中ではっきりと輪郭を保っている。そのことにとても安堵した。だから痛いと口にすることも、見えないと表現することもなく、微笑んで彼女のある世界を見つめた。)艶子さんから見て、わたしの瞳はどう……見えますか?やっぱり恐ろしいものに感じる?(透徹が如き薄青に描かれるレエス模様。半透明なそれは繊細なひかりを宿すのに、映すものはどんどん失われていく。この異彩は恐ろしいものだろうか。姿見を見ても自分ではもうよくわからなくて、けれど皆気味悪がるものだから。それならば彼女にはどう見えているのかと気になった。彼女にも、気味悪く恐ろしいものにみえているのかしらと。)
Published:2018/12/09 (Sun) 10:37 [ 24 ]
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万丈艶子
時にはいけないこともしたくなるものです。良い子として振る舞うだけはつまらないと思いませんか?(良妻賢母としての姿を求められ続ける未来が待つからこそ、尚更。粛々と言われるがままだなんて、ほんの短い仮初めの自由の過ごし方としてはあんまりなこと。そんなことを加味しなくとも、会いに行かないという選択肢は無かった。手を引くなど烏滸がましいとしても、せめて声を届けて。その先なんて何をすべきか、しても許されるのかも分からないまま。以前であれば考えられないほど緩やかな足取りは、軽やかに円舞曲を踊った足と同じとは思えないほど。月明かりの中に浮かぶ姿は確かに宝生花雨そのひとであるのに、どうしてこれほどに変わってしまわねばならなかったのだろう。瞳の色が変じるのみならず、光まで奪われて。やはり、香りで分かるものにして正解だった。花を手折るが忍びないのはいつでも同じだけれど、きっと瞳に形も色もうまく映せなければ憂いも深くなるだろうから。それはもしかすると、自分のほうが言えることかもしれない。だってほら、今も“思い浮かんだ”と告げた唇に、少なからず哀しい気持ちになってしまう。)本当なら、花雨さんの手を引いて花壇の周囲だけでも歩けたらと思ったのですけれど…。いえ、きっと次はそうしましょう。わたくし、花雨さんの目になれるように努めます。(とても許可が降りる空気ではなかった。実際、一度そのようなことを匂わせる発言は教員に一蹴されたのだ。外の空気を体の中に取り込むだけでも気分は変わるのに、閉じ込めるだけ閉じ込めて見ないふりばかりする人間ばかり。彼ら彼女らは、自分が閉じ込められ側になったら、仕方ないですねと甘んじて受け入れて“良い子”でいられるのだろうか。小さな花達は、人のように冷たい言葉は吐き出さない。色も香りも変わらず優しく在って、ともすれば慰めるかのように。)それなら、やはり今夜お訪ねして良かったです。(いつ、全ての光が途絶えてしまうのか。分からないから、まだ見えるうちに顔を合わせたのは正解だったと思う。以前のようにはっきりと映りはしなくとも、その瞳の中に自分がいることに、ひどく安堵する。けれど続く問いに、く、と僅かに喉を鳴らした。明らかに異質な沈黙を生じさせて、けれど黙っているわけにもいかなくて。そして何より、嘘はつきたくなかった。)……外国の方の、明るい青の瞳のようだと、最初は思いました。でも…もっと違うものだと…その、嫌な意味ではなくて、まるで人のものではないようで…宝石のように、見えて……花雨さんが、このように言われてどう感じられるかは分かりません。それでも、(その色彩が、光失われる証であるとしても。)……綺麗だと…そう、思います。(か細く告げる声が纏う恋しさまでも、どうか拾われてしまいませんように。それでも傲慢に思う――己の言葉が少しでも、光になれたらと。)
Published:2018/12/11 (Tue) 21:48 [ 25 ]
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宝生花雨
小さい頃にふたりで、庭の草木のなかで遊んで服を汚してしまったときみたいな?(幼き日を思い出しながら、小さく浮かべた笑みをもって彼女への返答とする。ええそうね、と。自由を謳歌出来るいまこの時に、粛々と受け入れ続けるままだなんてもったいないわ。心のままに過ごして、振る舞ったっていい。それがこのこころに触れて、会いに来てくれることなら嬉しくない筈がない。だから反面で、心配と揺れる思いも残るのだ。円舞曲を躍ることさえ出来ないこの足は、いかに視力に頼りきりだったかが閉ざされていってよくわかる。この瞳を呪と呼ばれていなければ、異彩に染まっていなければ、もっと思うは軽かった筈。ほんとうかどうかの問題ではなくて、彼女も同じようになってしまわないかが気がかりにすぎて。同じように瞳が異彩に染まること、足元おぼつかないほどに視力が下がること、こんな風に隔離されること、我が身なればこそ心静かに受け止められようが逆であったなら。想像だけで苦しくてきっと上手に笑えなくなってしまいそう。そう思えば我が身で良かったとさえ思わぬでもないけれど、口にしたら怒られてしまいそうだから秘密。月明かりの下、甘い香りにこころとかして浮かべる笑みは、その形がはっきりと捉えられずとも喜びに染めて。憂いを映さぬ横顔はその気遣いこそを想ってこそ。哀しいことなどないように、瞳の中のレエスが揺れる。)きっととても時間がかかってしまいますよ。ご覧になったでしょう?それでも艶子さんが構わないのでしたら……ええ、あなたとまたお花が見たいわ。(きっと部屋からは出られない。その許可はおりないだろう。わかっていながらも口にする思いはまるで、そうできたらと夢を見るように。歌うような口ぶりはみじかしいのちを惜しむようで、けれどひとつとしてかなしみを滲ませずに。今夜で良かったと彼女がいう声にだって、まあまあと微笑を深めるその花顔は瞳に異彩を宿す以外は変わりなき宝生花雨である。このまま過ごせばきっとこの瞳に映るひかりはすべて途絶えて、闇に閉ざされれば彼女のきらめきを映すことも叶わなくなるだろう。それでも今はまだ、そのひかりが導のように世界を明るくしてくれるから。)人のものではない……宝石。だから見えなくなってしまうのかしら、ね。(視覚が閉ざされかけているからこそ、他の部分が敏感になる。喉の鳴る音の後に続く沈黙をただじっと待っていた。彼女にも他の人と同じように見えているのならばかなしいけれど仕方のないこと、そうも思いながらその声を待って、聞いて、その先。)……艶子さんには、この瞳が綺麗なものに見えるのね。(ほっとしたように反復する音が纏うのはきっと、安堵だった。映す色彩を失いゆく程に虹彩の光が増す瞳はまるで皮肉のよう。それでも、彼女が綺麗と言うのなら誰に忌み嫌われたとて平気でいられるような気がした。どれ程か細くあっても、それこそが暗闇に灯るあたたかな光となり失った後の導にもなれる。ふとあの日繋いだ指先が、彼女の頬へ伸びる。添えるように触れることは叶うだろうか。叶えばレエス模様の揺れる瞳を向け、眉尻と眦をとろりと下げて微笑もう。)――ありがとう、艶子さん。(伝える感謝の音には、彼女へ抱く愛しさや恋しさをもすべて込めていた。語らぬ秘密の代わりに、全てをこの五音に。)
Published:2018/12/12 (Wed) 21:36 [ 26 ]
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万丈艶子
ふふっ…はい、そのような時です。懐かしいですね。(思わず唇から漏れる小さな笑い声。口元を指先で撫でて、幼い頃の記憶が今も優しく鮮やかに残っているのを実感する。あの頃もまた、今とは違う意味で許される日々だった。限られた時、終わりが確約されているあわいの箱庭。その中で閉じ込められているだなんて、何と勿体無いのだろう。いつ来るとも知れない終わりまで、たとえ悲しみも苦しみも伴ったとしても、眩いほどの輝きを、儚い時間を、大切にして過ごしていきたかった。他ならぬ、貴女と。たとえ共に円舞曲を踊れなくとも。奏でられる弦の音に耳を傾けられずとも、咲いた花を並んで愛でられなくとも。何度だって手を伸ばして、重ねた手をそっと引いて、ゆっくりと歩む時間はきっと、痛みがあろうとも幸せに違いないと断言出来る。あくまで、自分にとっては、であるけれども。どうして、貴女でなければならなかったのでしょう。瞳が染まり光奪われるこの“呪い”とやらが、まこと呪いであるとしても。その呪いを分け合えるのならば、自分が半分もらうのだって少しも躊躇いはしないのに。けれどそういえば、花のかんばせがくもるのも容易に想像出来てしまう。だから、秘密。どれほど憂いが濃くなろうとも、笑っていよう。涙を流しても、心引き裂かれるような痛みがあっても。どうか貴女が、再び曇りなく笑える日が来ることを願い祈る。幼い願望だと誰かに切り捨てられたならば、ならば望まぬことが大人であり正しいことなのでしょうかと問い返すだろう。誰かの幸せを願うことに、優劣など無いと思う。そう信じたい、と言うほうが正しいか。)わたくしは時間がかかっても構わないのです。それに諦めるほうがずっと、わたくしは嫌で…(叶い得るとはとても言い難い望みだと分かっている。決して帰り来ない日々をなぞるような時間さえ、誰も許してはくれない。あとどれだけの時間、このひとの瞳に光が宿っているかも分からないのに。もうどれだけ、この姿を映してもらえるかも。きらめく青い瞳の、得も言われぬ光。その色が光を奪っている証ならば、憎くも感じる。けれど同時に、どうしようもなく異彩宿す瞳に目を奪われる。ぬばたまの黒髪、白い肌。レエスを敷く対の青。以前見た、西洋で作られたという精巧な人形の瞳はとても美しい硝子球が使われていた。それとは比にならぬ輝きにこうも惹かれてしまう自分が、恐ろしくもあった。)……その瞳の色が、花雨さんから光を奪う証なら、憎くもあります。けれど、美しいとも…だってわたくしが知るどの宝石よりも、(きれいに思うから、と。そこまでは声に出来ずに。どうしたら光を取り戻せるのでしょうか。異彩が消えずとも、失われようとしているものを掴み取れるのでしょうか。確証など何処にも無くて、けれども少しの希望はある。あの写真館に、きっと。答えに繋がる何かはあると思うから。)花雨さん…わたくし、何度だって此処に来ます。きっと貴女の瞳を治す術を見つけます。だから…だから、待っていてください。(優しく頬に触れた指先に、どうしようもなく焦がれる心。何も出来ない自分が悔しくて、涙が零れそうで。それを必死に押さえ込みながら、誓うように告げる。頬に触れる指先が離れていってほしくなくて、そっと自分の手を重ねて。どうか、今だけは許してください。月はきっと、秘密にしていてくれるから。貴女の為なら何だって出来るだなんて、愚かしい驕りでしょうか。けれど心からそう思うのです。どうか貴女の幸いが、限りなく多く、限りなく大きく。そしていつまでも、ありますようにと。儚き想いの果てなど知らぬまま。嗚呼、わたくしはきっと、これほど誰かを想うことは二度と無い。確信と共に微笑んで、月夜にそっと目蓋をおろした。)
Published:2018/12/13 (Thu) 00:29 [ 27 ]