ブーゲンビリアをあなたに

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續.渺茫なる春嵐の向こうに
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宝生花雨
(学園を去りて宝生の本邸に戻った娘は、数日の後には別邸へと移り住んだという。数人の世話係を連れて少ない荷物と共に、こじんまりとしていると言っても主が娘一人ならば十分すぎるほどに広いその場所へ、増えた荷は両親やきょうだいたちからの贈り物と、写真が一枚。寄る辺とする想い出の象徴、乙女の初恋のあかし、いとおしいあなたとの色褪せぬ日々の欠片。額に入れられ大切そうに額に飾られた一片は、日差しがいっとうあたたかい庭に面した一室に。そこは娘が好み、想う方からも好いてもらった弦を奏でる一室でもあり、宝物ばかりを集めたような場所だった。それからは時折、弦の音につられて訪れるものと家族が顔を出すことがある程度。娘にとって幸いであったのは、異彩を宿したにも拘らず家族の誰もが娘自身を厭わなかったことである。勿論御家の外聞や付き合いの上では悩みの種でもあろうものだが、別邸にとされた他はそれ以上でも以下でもなくただ家族であった。だから役割失くした娘はただ穏やかに、そこにあるだけのものとして過ごしていった。まるでどこかの芸術家だとか、ご隠居された方のよう。思ったままにそう笑ってはみたけれど、なんだか複雑な顔を返されてしまったのは少しだけ申し訳なかったと思っている。日々は等しく、変わらず過ぎ去って――きっとあの子も学園を卒業したかしら。季節の花の香りを感じながら幾年かが過ぎて、適齢期を過ぎようという娘を見初めたのは異人の男だった。流暢な日本語の方で、その語学力から在日でのお仕事となったのだとか。弦の音を聞くうちに心惹かれたと大層な美辞麗句を頂いた時には、これがお国柄かしらと少し恥ずかしくなったもの。そうして成程、彼の隣に並べば娘の異彩も然程目立ちはしない。差し引いても、色々な風景や物事を語ってくれるその方との時は楽しいもので、けれどだからこそ。妻にと望まれて困ったように眉を下げてから一つだけ、娘は確認をしたという。「わたくしは、いちばんに想う方をもう決めております。ですから貴方様のことをいちばんには、どうしても想って差し上げられません。それでも……よろしいでしょうか。そんなひどいおんなでも、妻にと仰っていただけますでしょうか」彼のことは決して厭わしいわけではなく、むしろ慕わしいと感じている。けれどだからこそ、忘れ得ず想う方がいることを隠さずに伝えたかったし、伝えなければいけないものと。それは娘が異彩を宿した理由やその病の事、ひかりを映さぬから本来の妻の役割を果たせぬことよりも大事として。結果として娘は妻となり、母となるに至った。別邸から彼の元へ居を移した後、子の成長を見守り晩年にはまた同じ別邸へと戻ってきたのは病の養生の為。異彩を放つ病を患った後にはとんと健康体であったものだけれど、我が子の巣立ちを見届けた後にはまるで役を終えたかのように病に侵された。レエス模様の瞳をゆっくりと閉じ、眠る様に逝った姿は最期まで微笑んでいる様相で、それは蕾綻ぶ春を間近にした時節のこと。かつては宝物を集めた一室を私室として、苦しむことなく穏やかに息を引き取るまでには病を知ってからそうかからず、家族と呼んだものの誰よりも早くに世を去った。娘だった女の部屋に飾られていた写真は三枚。一枚は妻として、愛する夫の隣で微笑むもの。裏には“愛する夫と”、と柔らかな文字で。一枚は母として、愛する家族と共に微笑むもの。裏には愛する家族と”、と優しい文字で。それから最後の一枚は淑女として――いいえ、ただ乙女として。春めく乙女がふたり手を取り合って微笑むものが。その裏には“最愛のひとと”、と。いっとう古い乙女の想い出には、雨のようにささめいた艶めく二人だけのひみつの歌のよに。そう綴られていたと、残されたものは語ったという。)

(想いあっていても叶わぬものが初恋なのでしょうか。それとも、叶えてはいけないものだから初恋はそう呼ばれるのでしょうか。どちらでも構いません、どちらにしても恋とは甘いばかりのものではないのですから。いのちみぢかし恋せよ乙女。しかしてその恋が実り叶わぬ花ならば、痛みと共に乙女は淑女となるのでしょう。)
Published:2018/12/29 (Sat) 22:54 [ 38 ]