壱之章
いとけなくとも戀の花
私達は此の箱庭で、日々、緩やかに死へと向かい生きている。皆に認められる「良妻賢母」を育てるということは、その枠を逸脱する「個」を殺すことだ。
私達は、御家のために「淑女」となる。御家の為に「個」を捨てる。其れは、生れ落ちたときより、否、母の胎内にて眠り始めた頃より、私たちに課せられた義務だ。
欲するものをすべて与えられ、過ぎることはあっても不足することはなく、飢えも知らず、貧困も知らず、愛情ばかりを注がれてきた幸せなこれまでの道。
だからこそ、その道を歩むことに抵抗は無く、しがらみに感じたことすらなく、
ただ当然のこととして受容してきた。
この学園を卒業したら、「淑女」となり「良妻」となり「賢母」となることを。
けれど、然う。其れは、あくまでもこの箱庭から出された後の御話。
麗らかなる陽射し、芳しき花の芳香。萌ゆる紅葉のくれない。
夏季休暇を終え、伽藍堂だった寮にもたくさんの楽しげな声音が響くようになった。
話題は皆、似たり寄ったり。
顔も見たことの無い許婚から届いた手紙の趣味の悪さについてだとか、
久方ぶりに逢った両親からお小言を言われて大変な日々だったとか。
この箱庭にいる少女たちは、ただの乙女であることを示すかのように姦しく、
空を自由に飛べぬ鳥かごの小鳥のように囀り、歌うばかり。
その旋律は万華鏡のようにくるくるとその様相を変えてゆく。
そうして、最後行き着く先は、近頃、学園で流行っているひとつの噂について。
「九重葛の館のこと、あなたはご存知?」
「ええ、もちろん──確か、西洋の血を引く方がやってらっしゃるとか。」
「いえ。そのことではないわ。あの写真館に纏わる言い伝えのことよ。」
あのね、──と声を潜めれば傍らの乙女は黒曜石の瞳を輝かせ、身を寄せてくる。
さすれば、ふうわりと私の鼻腔を擽る甘い芳香。これは屹度、私だけが知る香り。
そして、掠れるくらいの私の声音の響きを知っているのは、世界で唯一、彼女だけ。
学園で出会った一人の乙女。私と同じ、何れ淑女とならねばならない期限付きの女の子。
大切な子、と聞いて真っ先に思い浮かぶ、愛らしい人。
「あの写真館で運命の相手と写真を撮ると、飛び切り綺麗に映るらしいの。」
彼女のことを思うたび、体の中に春が訪れたような心地になる。
その所以を私は知らず、そして、また本能的に悟ってはいけないものだと察している。
だけど、この学園にいる間だけならば。夢見心地を味わうだけならば。
──、そう。大切な子という便利な言葉を使うだけならば、屹度、神様だって咎めはしないだろう。
「ねえ、今度。私たちも撮りに行ってみましょうよ。」
私たちが女の子でいられた日々の記憶を一つ、形に残すくらい許される。
そう思っていた。