弐之章
春はディミヌエンドに
窓外より差し込む陽光の光が瞼の裏よりちらついて目を覚ます。重たげに緩慢と開けた視界にいの一番に飛び込んできたのは、きらきらと輝く埃の欠片たちだった。
まるで星屑みたい──あの光景をそう喩えたら「星空は眠る前に見るものよ」と、きっと貴方は笑うのだろう。記憶の中の微笑みは美しく、わたしの心へと温かさを齎してくれる。けれど、それと同時──仄かな寂しさと切なさすら連れてきてしまうのだ。あゝ。早く。早く、この瞳に確とその姿を映したい。触れることができない記憶の中の像ではなくて、触れ合うことが出来る本物のぬくもりを感じたい。
寝台から降りて身支度を整える。学園に行く時よりもずっと時間を掛けて念入りに。つげ櫛を何度も何度も行き来させて髪へと艶を与えたならば、桜色の紅を取り出して指先でそっと唇へと滑らせた。貴方の顔は優しげだから、真紅よりも桜色が似合うのよ。都会では艶やかな紅が流行っているそうだけれど、貴方には此方が良いと思うの。過日告げられた言葉を想起すれば、自ずと唇の両端が持ち上がる。全ての仕度を終えれば、姿見の前に立った。正面だけではなくて、あの子の隣を歩く際に、あの黒曜石に映るだろう横や、後姿もしっかりと。着物の袖が楽しげに揺れる様は、蝶の翅のはばたきにも似ていた。
──そうして、二頭の蝶がその翅が触れ合って仕舞うほどに寄り添いあって辿るとあるみち。花洛学園の正門から街へと続く小路を真っ直ぐに進み、稲荷神を祀る神社の鳥居を目印に三叉路を左へ。日中でもランプの光芒が燈るミルクホールの隣の隣。ひそやかに佇んでいる洋館の前、すっかりと蔦に覆われた門扉を前にして、二人同時に、ほう、と息を吐いた。少し視線を奥へと遣れば、噂に聴いていた濃い桃色の花弁にて作られた美しい飾りが見える。促すように傍らの少女へと視線を配れば、彼女も同じように此方を見ていて、互いの姿が互いの瞳に映る様がなんだか面映かった。けれど、その刹那、ちりり、と瞳の奥が熱を帯びたかのような心地に苛まれ、一瞬、すぐ目の前にいるはずの彼女の輪郭が二重になった。数日前から、時折、視界がぼやけることはあったけれど、斯うして熱を帯びたかのような感覚に苛まれるのは初めてのことだ。
「──?どうかなさった?」
驚きからきっと丸い瞳を晒してしまったのだろう。気遣わしげな声音がわたしの耳朶を打つ。幸い、いつもどおり、何度か瞬きをすれば痛みも遠退いてしまったから、ふるり、と首を横に振って、笑みを作った。
「いいえ、何でもないの。気になさらないで。さ、いきましょうか。」
「……ええ。そうね。そうしましょう。」
二人同時に門扉を開けて、石畳の路を進む。重厚な扉を引けば、室内よりランプの穏やかな光芒が足元へと落ちて、「あら。」という落ち着きを孕んだ女性の声が耳朶を打った。
「随分と可愛らしいお客様だこと。ふふっ、もしかして坂の上の学園の生徒さんかしら。」
「ねえ、写真を撮りにきたのでしょう? 素敵な戯れが流行っているというのは、本当のことのようね。」
声に導かれるままに二人同時に視線を向ける。其処に在ったのはたおやかに微笑む女性の姿。
彼女の眼窩に嵌められた一対の宝玉を見たとき、堪らなく心がざわついたのは如何してだろう。